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4月25日(月)

 晴天。昨日のinterFM「Barakan Beat」で出てることを知ったライ・クーダーとタジ・マハールの『Get on Board」を聴きながら、9時に出社。

 9時半よりZoomにて本屋大賞の反省会。11時より北上次郎さんとZoomにて「北上ラジオ」収録。Zoomありがたし。

 5月8日で建て替えのため一時閉店となる三省堂書店神保町本店さんに「いったん、しおりを挟みます」という秀逸なコピーのバナーが掲示される。

 自分にとって三省堂書店神保町本店は営業の面白さを教えてくれた原点であり、ここのメディカルブックセンターにて私の営業マン人生ははじまったのだった。

 当時御茶ノ水の駅前にあったクインテッセンス出版という歯科学を専門とする出版社に、22歳のまったく別種の専門学校を卒業し毎日パチスロをしていた馬の骨である私が奇跡のように採用となった。ただし憧れていた出版業とはいえ、それは目標だった編集ではなく、営業という最も忌み嫌っていた職種に就くにいたったのだった。

 忌み嫌おうがなんだろうが、拾っていただいた馬の骨である私は一生懸命働かねければならないと、担当として渡された書店や大学生協を廻ることになるのだが、その中で、特に最も歯学書のみならず医学書を興味を持ち夢中になって売っていたのが、この三省堂書店神保町本店のメディカルブックセンターだったのである。

 正直いえば私は自分が売っているものがなんだかわからなかった。またどれくらいそれが読者のためになるものなのかも理解できていなかったのだけれど、ここメディカルブックセンターに通ううちにそんなことではダメだと気づいた。メディカルブックセンターのMさんやHさんにきちんと話せるような人間になりたいと願い、少しずつ少しずつ自社の本に興味が持てるようになり、編集の人に内容を聞いたり、学会で耳をそばだてるようになっていったのだった。

 そうしていつの間にか信頼とまではいかないけれど、おもしろいやつくらいに思っていただけるようになり、メディカルブックセンターにて大々的にクインテッセンス出版の全点を置いたフェアをしていただいたのだった。それにはもちろん営業部の部長やら課長の協力も得て、図書カードかなにやらの特典も用意し、会社としても若い営業がなんだか夢中になってやってるからいっちょ少しやらせてみるかみたいな雰囲気になり、そうしてお前の好きなようにやってみろと初めて任された大きな仕事だったのである。

 今となっては売り上げがどれくらいだったのかとか本当に貢献できたのかわからないけれど、とにかく僕はそのときはじめて営業って面白いかもと思い、その後、28年営業を続けることになり、どうにか馬の骨から出版営業マンとなれたのであった。

長谷川晶一『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)
本並俊司『マイホーム山谷』(小学館)

 を買って帰る。


★★★★★★★

「本屋大賞ができるまで」(10)

【白川浩介(当時:オリオン書房ノルテ店、現在:リブロプラス商品部)の回想】

 本の売上を生活の方便とする身からすれば不遜な話ではありますが、書店員になる前は平台一等地を占める「ベストセラー」には興味がなく、書店の利用法といえば自分の興味関心のある本を書棚で探すだけでした。書店員になって仕事として「ベストセラー」の重要度を認知するようになったものの、たまたま勤務する書店が、そばに圧倒的な集客力を誇る駅ビル内にある競合店(幸いなことに自社)があることを良いことに、その店との差別化を図る意味でもベストセラー以外の売上を稼ぐというスタンスの店だったので、仕事としても相変わらずベストセラーを追いかけるより地味に売上が上がる銘柄を見つけてチビチビ売って一人でニヤけているような男でした。

 とはいえ、杉江さんから賞の創設のミーティング参加のお誘いメールをいただいた時は、なんか面白いことが始まる!とわくわくしたのをよく覚えております。わくわくしつつも、第一回目の会議の時から「ベストセラー創生」には後ろ向きで、「1冊を選ぶんじゃなくて複数冊で、フェア展開でも......」などと言って同業の先輩(茶木さん? 藤坂さん?)から怒られた記憶があります。今から思えば甘ちゃんです。

 話し合いを重ねるうちにこの活動にのめりこんでいく訳ですが、(自画自賛にもなりますが)中野さんも書いておられます通り集まったメンバーが本当に建設的かつ頭の回転と手が早く、物事がどんどん決まっていくこと、そしてこれまで知り合うすべもなかった広告業界の方と真剣にお仕事の話が出来たこと、そして、出版社や取次の方たちと、お互いの立場を想像し敬意を抱きつつも妙な立場バイアス(取引先と被取引先)抜きの対等な立場で真剣にお話できたことが大きなモチベーションになりました。

 本屋の店頭からベストセラーを作る、となると、自分の店単位の発想しかできなかった(何部仕入れて、××の売り場にフェイスはこれぐらいで積んで、手書きのPOPとパネルと...といった、規模は小さくても大事な事を積み上げていく方法)のですが、他業種の方の、最初から完成した大きな絵を描いて、現実とのギャップを知恵と工夫で埋めていくという手法も大いに学ばされ、刺激になりました。毎回のミーティングのたびに新たな発見と見識が得られた、幸せな時代でした。

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