『謎の独立国家ソマリランド』

「謎の独立国家ソマリランド」は書籍になりました。

「アフリカの角」の全貌を描いた世界衝撃の刮目大作『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行著(本の雑誌社刊)2月18日搬入!
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第1章 1)ラピュタへのビザはどこで取得できるのか

 地上のラピュタ、ソマリランドに行こう──。
 2009年春、ついにそう思い立った。だが初っ端から難問にぶちあたった。どうやって行けばいいのかわからないのだ。

 ソマリランドは(それが独立国家と仮定すれば)、面積は約137、600平方キロメートル。これはイングランドとウェールズを合わせたのと同じくらいの広さで、日本でいえば北海道と東北地方を足した面積に近い。

 国土は東西に細長い。南はエチオピア、西はジブチ、そして東は例のプントランド(もしプントランドをソマリアと考えるなら「ソマリアと」)国境を接している。北はアデン湾。海賊が暴れ回っているところだ。ちなみに、西隣のジブチに自衛艦を含む各国の海賊取締および護衛艦が停泊している。海の対岸はイエメンである。

 つまり、行くとすれば、陸路、空路、海路の三種類の可能性があるわけだが、外国人に対してどの国境が開いているのかわからないし、ソマリランドに飛ぶフライトがあるのか、あるとすればどの航空会社の飛行機がどこから飛んでいるのかなどもわからない。

 いや、その前にビザの問題がある。
 どこの国のどんなビザがいるのか。もしかすると、ソマリアのビザで行けるかもしれないが、ソマリアのビザをどこで取得するのか。統一政府がないのである。今、国連や西欧諸国が後押しする「ソマリア暫定連邦政権(TFG)」という政府が存在するが、首都モガディショの一部しか統治できていないという。政府というより弱小武装勢力に近い。欧米に追従が基本的な外交スタイルである日本政府ですら認めていない。もしTFGがビザを発給しているとしてもとてもソマリランドで通用すると思えない。

 ミャンマー領内の国家モドキでは、隣国のタイや中国から密入国が常道だった。だが、ソマリランドは国家度の桁が違いそうだ。

 ソマリランドでビザを発給しているかもしれない。そう、いくら世界中で認められていないと言っても、本人は「国家だ」と言い張っているのだ。しかし、どこで取得する?
 疑問は一周して元に戻ってしまう。

 ダメ元でグーグルの検索に「ソマリランド共和国」と打ち込んでみた。驚いたことに、「ようこそ、ソマリランドへ!」と英語で記された立派なソマリランド共和国のホームページが出現した。

 簡単な国の紹介、行政区分や憲法や刑法、民法、貿易状況も掲載されているばかりか、なんとビザ申請用紙がダウンロードできるようになっていた。至れり尽くせりで、惜しむらくはその用紙をどこに申請すればいいのか、何も書いてなかったことくらいである。

 さすが、謎の国ラピュタ。人を歓迎しているのか拒んでいるのかもわからない。

 困り果てた挙げ句、ケニア・ナイロビ在住のカメラマン、中野智明さんにメールを出した。中野さんはアフリカ報道に30年近く携わっており、日本人としては(あるいは世界的に見てもそうかもしれない)アフリカを最もよく知るジャーナリストの一人だ。

 私は15年ほど前、エチオピアの首都アジスアベバのホテルでばったり中野さんと出会い、以後、貴重な情報を教えてもらったり、飯をご馳走になったりと、何度もお世話になっている。たまたま日本に一時帰国するというので、新宿でお会いした。

 中野さんは数年前、西アフリカのガーナで取材中に交通事故に遭い、腰の骨が砕けるというとてつもない重傷を負ったとのことで、杖をついていたが、目はキラキラと輝き、いまでもアフリカが大好きな青年のような顔つきだった。実は彼は朝日新聞の松本仁一氏がソマリランドを取材したときカメラマンとして同行していた。というより、彼の案内で松本氏はソマリランドに行ったのである。

「私は(エチオピアの)アジスアベバでビザを取りましたね」と中野さんは言った。大使館ではないが、それに類する事務所があったという。もう5年以上も前だから今はどうなっているかわからないけれど、たぶんあるんじゃないかとのことだった。そのときはビザを取得後、エチオピアから陸路で国境を越えてソマリランドに入ったという。

 ソマリランド自体はどんな国だったのだろうか。
「まあ、松本さんが『カラシニコフ』に書いているとおりで、至って平和な雰囲気でしたね。ただその後は行ってないからよくはわからないけど」

 中野さんは誠実に話してくれた。アフリカの国は一年でコロッと変わってしまう──しかも悪い方へ変わる──ことを中野さんは痛いほどよく知っているのだ。

"隣国"であるソマリアがよい例だ。3年前の2006年、南部ソマリアは首都モガディショを含めてほぼ全土が「イスラム法廷連合」というイスラム原理主義系武装勢力の支配下に落ちた。ところが、3年後の今、イスラム法廷連合は崩壊し、当時の幹部が現在の欧米が後押しする暫定政権の大統領におさまって、かつての同志たちと激戦を繰り広げている。ありえない状況が当たり前のように出現するのだ。

 中野さんと話せたのは嬉しかった。ラピュタの行き方がわかっただけでなく、「ああ、本当にあるんだな」と実感できた。だいたい、「ソマリランド」の名前を知る人間に会ったのさえ初めてだった。

 ただ、中野さんもソマリランドに知り合いはいないという。その点はどうにも不安が残った。ソマリランドが本当にラピュタならいいが、ウサギの皮をかぶったライオンという可能性は十分ある。とくに心配なのは地方の状況だ。弱小国家というのは、首都近辺は何とか取り繕えても地方はデタラメというケースがよくある。そして、地方にこそその国の現実が見えるのは世界共通である。二組の先輩ジャーナリストたちもそこまで足を伸ばしていない。私としては是非、地方を歩いてみたい。

 しかし、何もコネクションはない。アニメのラピュタのように、王族の血を引く者が目の前に現れるなんて都合のいい話も期待できない。

 ソマリランドを知る者は、中野さんの他にもう一人いた。私が早稲田大学の探検部に所属していたときの後輩で、今は毎日新聞国際部の記者である服部正法だ。探検部出身者は伝統的に怪しげな辺境に惹かれる。服部もその例外ではない。たまたまミャンマー情勢について教えてほしいと言われ、彼と飲みながら話していたら、「ソマリランドは僕もすっごく興味あるんですよ」と言っていた。ニュースなどは小まめにチェックしているという。でも彼もソマリランドに行ったことはなかった。

 ナイスガイの服部だが、唯一の欠点はやや粗忽であることだった。
 私は現地のコネクションは諦め、ぶっつけでソマリランドに行こうと腹をくくり、旅の準備を進めていた。 

 それが、明日アフリカに向けて発つという日の午後、服部から電話がかかってきた。
「高野さん、大事なことを言い忘れてました。実はソマリランド人が一人、日本にいるんです。その人、ソマリランド独立の英雄とかで」
「ええっ?!」

 王族の血を引く者じゃないが、かなり近い人がいたのだ。しかも場所は千葉県の東金。イブラヒム・メガーグ・サマターというその人物は、城西国際大学で経済学を教えているという。

 幸いなことにその場で電話をすると、ラピュタ独立の英雄は緊急の面談を快諾してくれた。

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ソマリランド独立の英雄、イブラヒム・メガーグ・サマター氏。JR東金線の車内にて撮影

 出発の当日、私は大きなザックを背負い、常磐線と東金線に揺られていた。みずみずしい田園風景を見ながら、半砂漠の遊牧民として知られるソマリ人が一体どうしてこんな場所に流れてきたのだろう、しかも独立の英雄なのに......という疑問でいっぱいになった。

 だが、何も訊く時間はなかった。大学構内にあるサマター教授の研究室に到着すると、帰りの電車まであと十分しかない。挨拶もそこそこに、「時間がないんです、ソマリランドで誰か信頼できる人を紹介してください!」と私は息を弾ませて言った。

「わかった」褐色の肌に白い髪とあご髭をたくわえ、ストライプのスーツがよく似合うダンディーな教授は、デスクの上にちらばるプリントを一枚ぺろんとめくると、裏にボールペンで、「1 ダビル・リアレ・カヒン大統領」と書いた。

 今までいろんな人に世話になってきたが、現地で頼りにすべき人が大統領というのは初めてだった。ちなみに「2」は「与党の党首」で、「3」は「第一野党の党首」、「4」は「大統領スポークスマン」だった。しかも、名前と肩書きのみで、電話番号もメールアドレスもない。「行けば、誰かが教えてくれる」と簡潔に教授は述べた。

 これで本当に大丈夫なんですかと問いただす暇もなく、私は上りの東金線に飛び乗り、エミレーツ航空の飛び立つ羽田空港に向かったのだった。


ソマリランド地図