『謎の独立国家ソマリランド』

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「アフリカの角」の全貌を描いた世界衝撃の刮目大作『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行著(本の雑誌社刊)2月18日搬入!
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4) 動物だらけの遊牧都市

 ハルゲイサは私が見たアジア、アフリカのどの町にも似ていなかった。

 ソマリ人は100%近くがムスリムであり、国民(住民)の100%近くがソマリ人であるソマリランドは当然イスラム国家だ。国旗には「アッラーの他に神はなし」とアラビア語で記されている。休日はイスラムの聖なる日とされる金曜日で、酒の販売は高級ホテルも含めて全面的に禁止されていた。

 その辺はパキスタン、アフガニスタン、イラン並みに厳しいが、それらの厳格なイスラム国家と異なり、女性は比較的自由なようだ。市場では女性が当たり前に物を売ったり買ったりしている。肉屋では若い女の子が包丁でヤギや牛の肉をぶったぎっていた。肉屋は典型的な「男の仕事」であり、イスラム圏では世俗的で知られるトルコですらありえないリベラルさだ。

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市場でトマトを売る女性(撮影:宮澤信也)

 ソマリアの女性は鼻筋がすっと通り、アフリカ屈指の美人として知られるが、さらに身にまとう衣装が素晴らしい。頭にはスカーフとベールを二重にかぶり、肩から下も二重の長い服に身を包んでいる。一見、厳重なムスリムと見せかけて、その基本四種の布がどれも鮮やかな原色で、複雑な模様と色合いを競っている。中でも足下からちらっとしか見えないレースの「襦袢」が実はいちばんお金がかかっていることもあるといい、江戸時代の日本人女性を彷彿させる。

 女性は手は肘から先、足は足首から先だけを露出しているが、多くの人はそこに染料のヘンナで花のような模様を描いていて、どうにも「美」で飾り立てずにはいられないようだ。いっぽう、男は襟つきの長袖シャツとズボンに革靴かサンダルという、アフリカでも中東でも共通したスタイルだ。

 売られている商品はどうかというと、まあ、衣料品から食器、事務用品まで日用品の9割は中国製である。もっとも今はアジア・アフリカのどこの国へ行ってもそうだ。

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ハルゲイサ中央市場のブッチャー・ブラザーズ(撮影:宮澤信也)

 生鮮食料品に関しては、肉はすべて地産地消。冷蔵庫が普及していないのだから当然だ。野菜は一部がソマリランド西部の農業地帯から、あとはエチオピアから来るという。

 米はインド、パスタ(南部ソマリアが旧イタリア領なのでパスタを普通に食べる習慣がある)はイタリア、その他穀物も世界のあちこちから届くらしい。

 意外なのは果物。新鮮なマンゴー、バナナ、オレンジ、スイカなどが売られているが、売り子に訊くと「南部」「モガディショ」という答えが返ってくる。戦国地帯から果物を輸入しているのか。無政府でも流通は意外に機能しているようだ。

 市場を出て、中央通りを歩く。店や民家も、壁や門、塀に絵や模様が描かれているところが多い。パン、工具、ジュースの瓶などの商品はもちろん、札束まで描かれているのはさすがにダイレクトなアフリカらしい。しかもソマリランド・シリングと間違えられないよう、ちゃんと「$」と記入されている。かと思えば、ロケットを意匠とする門、赤と白の四角をあしらった抽象絵画のような床屋など、現代アート最先端という感じすらする。

「アフリカって感じだね」と、中東の経験は長いがこの大陸に足を踏み入れるのは初めての宮澤が感心したように呟く。

 男たちは道端の茶屋でミルクティーやコーヒーをすすったり、スイカをばくばく食べたりしながら、私たちを見ると、大声で「ハロー!」「ヒーホン!(「ニイハオ」のつもり)」「ジャッキー・チェン!」「ジェット・リー!」と呼びかける。中国人と思っているらしい。

 町を歩く外国人は皆無で(欧米人はほぼ援助関係者に限られ、車で移動する)、相当珍しいようだ。一度など、乗用車が私たちの横でキキーッと急停止し、運転席の若い娘が目を丸くして「チャイナ!」とこっちに叫ぶと、また急発進して土煙の向こうに消えた。マウンテンゴリラやパンダが動物園から脱走しているみたいな感じなのか。

 それにしても、思ったことは何でも瞬時に言わないと気が済まず、しかも口に出せば一瞬で満足するようだ。

 こういう極端な単刀直入さは、80年代末から90年代初めにかけて世界で最も能天気な町と思われたザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサを思い出させる。

 百メートル歩くごとに10人から声をかけられて忙しいうえ、物乞いも多い。男、女、子供、体が不自由な人が各所におり、こちらに手のひらを差し出したり、袖をひっぱったりする。幸いなことに、ここでは物乞いも「超速」で、首を振ると、すぐ向こうに行ってしまう。世界でいちばん諦めのいい物乞いだ。でも、彼らは実はソマリ人ではない。

「みんな、エチオピア人だ」とワイヤッブ。「ソマリ人は物乞いなんかしない。それほど困っている人は少ないし、いたとしても物乞いなんかしないで盗む」

 物乞いをするくらいなら盗むというところに説得力があり、ソマリ人の気性をよく現している。

 ではなぜ物乞いも超速なのか。エチオピアは貧富の差がひじょうに大きく、物乞い大国でもあるが、本来エチオピアの物乞いはものすごくしつこい。どこまでもついてくる。ソマリ人とは打って変わって温厚かつ優柔不断なエチオピア人にはこのように情で訴えたり粘って根負けを誘うやり方が有効なのだろう。

 ところがこの作戦は即断即決のソマリ人相手には無意味で、それよりもすぐ諦めてパッと次の対象に移ったほうが得策なのだろう。こうして、ソマリ人と付き合うためには非ソマリ人までがソマリ的な行動をとるようになる。このソマリ化現象については、もっとずっと後になって私も思い知るようになる。

 さて、荒っぽくて超速の町ハルゲイサで唯一最大に厄介だったのは写真撮影だ。

 宮澤は20年越しの夢が諦め切れないらしく、リコーGRで写真を撮っていたし、私も自分のコンパクトカメラでときどき撮影していたが、そのまわりは常にトラブルの嵐が吹き荒れていた。

「俺を撮れ!」とポーズを決めるいかついオヤジがいる一方、「ノー! 撮りたければカネをよこせ!」と怒鳴る兄ちゃんもいる。厄介なのは、被写体になる本人がOKと言っているのに、何の関係もない通りがかりの連中がカネがどうとか許可がどうとか喚きちらすことだ。

 私は閉店した店の前に佇むネコを撮ろうとしたら、近くにいたおっさんに「カネを払え!」と英語で怒鳴られたので、「ネコに?」と訊いたら、「ノー!」と絶叫し怒り狂った。

 相手が一人ならため息とともにその場を離れるだけでいいが、大勢のいる場所ではみんなが騒ぎだし、不穏な空気に包まれる。郊外のラクダ市場──ラクダが軽く百頭はいてそれは壮観だった──に行ったときは、殺気だった群衆に取り囲まれ、ワイヤッブがいなければ脱出が難しかったと思われるくらいだ。二人きりなら何をされていたかわからない。

 こういうときは、ここの人たちが「北斗の拳」のソマリ人と全く同じ民族だという事実を、嫌でも実感させられる。パキスタン人やアラブ人、コンゴ人も荒っぽいと思うときはあるが、とてもこの比ではない。

「要するに同じなんだよ。写真を撮れっていうのも、撮るな!っていうのも」宮澤が車の中で汗を拭きながら言った。
「そうだな」私も同意した。「どっちにしても自分の意見を言いたいんだよな」

 ソマリ人の傲慢さ、荒っぽさ、エゴイストぶりは、思考と行動の極端なまでの速さや社会の自由さと同根になることに私たちは気づいていた。

 ソマリ人は根っからの遊牧民なのだ。稲や小麦が育つのを辛抱強く待つ農民とちがい、半砂漠に暮らす遊牧民は乏しい草や水が今どこにあるのか、瞬時に判断して家畜を連れて移動しなければならない。基本的に一人か一家族で動くから、自分が主張しなければ誰も守ってくれない。

 ソマリ人が遊牧民の証拠は私たちの鋭い考察を待つまでもなく、街中にいくらでもあった。

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飲用水を運ぶロバ車(撮影:高野秀行)

 ハルゲイサの町がなにより異色なのは、そこら中に動物がいることだ。一応ここは一国の首都だから他の建物より少し大きい程度ながら外務省や国会や大統領官邸がある。その前にも牛の群れが寝そべっているし、水道が行き届かない屋台や民家にロバ車が水を運び、モスクの尖塔には巨大なコウノトリが巣を作っていて、しかもたまにバブーンが通りを歩いているのも見かける。ちょっと裏通りに入ると、ラクダがうろついていることもある。

 そして市場だろうが住宅街だろうが、至るところにヤギがいて、ゴミでも覚醒植物カートのカスでも何でもかじっている。乾燥しているし土埃がすごいから彼らの「落とし物」は目立たないが、それにしても......。

「なんで街中にこんなに家畜がいるの?」ワイヤッブに訊くと、「そりゃ店や家で飼ってるからだ」と、どうしてそんな当たり前のことを訊くのかという顔をした。

 要するに、遊牧民の生活をそのまま都市に持ち込んでいるのだ。遊牧民だから周囲に動物がいて当然。不衛生だとか変だとか思いもよらないらしい。アジアとは全く別の意味でヒトと動物の共存が行われている。

 後にいろいろな人に聞くことになる。

「俺たちはちょっと前までみんな遊牧民だったんだ。おやじやじいさんはブッシュ(潅木の生えた乾燥した草地)に住んでいたんだ......」。

「遊牧をやってるとめったに人と会わないから、遠くから人影を見つけると誰でも構わず大声で『おーい! 何か知らせはないか!』と叫ぶ。その習慣は今でも変わらない......」

「昔は家畜の略奪や水場の取り合いがよくあった......」

 遊牧民は荒っぽくなければ生きていけない。速くなければ生きている資格がない──という感じなのだ。

 ワイヤッブによれば、1988年に、この街は南部の旧ソマリア政府軍の空爆と砲撃で廃墟と化したという。その後も、独立した1991年から93年、さらに94年から96年にかけて、二度も内戦状態に陥り、その当時は民兵たちがカラシニコフやRPG(ソ連製の軽機関銃)を持って撃ち合い、「テクニカル」と呼ばれる武装したピックアップトラックが高速度の戦車よろしく街中を走り回っていたという。つまり南部ソマリアと同様、武装勢力が覇権を争う北斗の拳状態にあったらしいのだ。

 それが氏族の長老たちの話し合いで終結、武装勢力は武器を返上し、民兵は正規軍兵士や警察官に編入され、今は街は首都としての体裁を整えている。

 超速の人や動物天国もさることながら、この街が何よりもすごいのは、銃を持った人間をまったく見かけないことだ。民間人はもちろんのこと、治安維持のための兵士や警官の姿もない。いるのは交通整理のお巡りさんだけだ。アジア、アフリカの国でここまで無防備な国は見たことがない。

 アニメの「ラピュタ」はもう誰も人が住んでいなかったから、平和で静かだったが、ここにはこんなに猛々しい遊牧の民がいる。しかも隣には海賊やら戦国武将たちがぞこぞこいる。

 それが10年以上も平和を保ち治安もいい。夜8時過ぎでも、私たち外国人が普通に街を歩くことができる。そして、携帯でゲームをやりながらキャハハハとはしゃいでいる十代の女の子たちのグループとすれ違う。まるで新宿か渋谷みたいに。

 この国は一体どうなっているのか。謎は深まるばかりなのだった。



『謎の独立国家ソマリランド』

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