水道橋博士さん

『ルポライター事始』、そして『たけし！』との出会いが人生を変えた

　お笑いのみならず、格闘技からサブカルチャー、政財界にも精通する水道橋博士さん。少年時代は「引きこもりの文系オタクだった」という。そんな水道橋博士少年の人生を大きく変えたのは2冊の本だった。

「思春期の頃、『ルポライター事始』に出会って、ルポライターに強烈に憧れたんですよ。でも、ストイックに正義をつらぬくことができるのかというところで、つまづいてしまった。そんな時に出会ったのが、殿の初めての自叙伝『たけし！』です。この2冊と出会っていなかったら、芸人にもならず、まったく違う人生を歩んでいたかもしれません」

　水道橋博士さんは芸能界きっての格闘技通であり、読書家としても知られる。しかし、ご本人は「読書という行為そのものよりも、本を読んでいる人を見るのが好き」だという。

「本を読んでいるうちに、アナザーワールドに飲み込まれていく人を見るのがものすごく好きなんですよ。すごく面白い本に出会うと、物語の中に入り込み、一種のトランス状態になれる。仕事で本を読んでいると、『批評しなくてはいけない』『原稿を書かなくてはいけない』という意識があるから、最近はなかなかそういう感覚にはなれない。無心にのめりこめることへの羨ましさもありますね」

読書の面白さを教えてくれた、吉川英治の『三国志』

　中学時代に夢中になった吉川英治の『三国志』。授業中、教師の目を盗んで、せっせと読書に励んでいたという。

「映画『レッドクリフ』が公開されたことで、また三国志ブームが巻き起こったりするのかもしれないけれど、当時はまだ同級生も誰一人として読んでいませんでした。最近流行りのキャラ先行型の読み方ではなく、ただひたすら血湧き肉躍るストーリーに夢中になっていました。その後、内藤陳さんが『どれだけ本を読んでも、三国志を超えるものはない』と言っていたことを知ったんですが、そういう意味では『三国志』って多くの読書家を酔わせている本ですね。当時読んでいた『三国志』は今でもとってあります。いつか入院でもして時間ができたら、もう一度読み返したいと思っています」

『ケインとアベル』との出会いが、活字中毒に拍車をかけた

　サッチャー政権下で、その右腕とも言われながら破産し、小説家となり、失った財産をすべて印税で取り戻したという伝説を持つジェフリー・アーチャー。彼の3作目の著作にあたる『ケインとアベル』は水道橋博士さんにとって、最も好きな本の一つだという。

「初めて読んだのは高校生の時です。この本を知ったきっかけは書評でした。『NY行きの飛行機の中で10時間以上読み続けて、それでも読み終わらなくて、飛行機を降りたくなかった』と書いてあったんですね。大袈裟だなと半信半疑で読み始めたら、本当に止まらないんです。トイレにも行けないし、食事をするのも忘れて一晩中読み続け、翌日は学校を休みました（笑）。我を忘れて本を読み続けるという経験をしたことがない人に、ぜひおすすめしたいですね」

アントニオ猪木という、永遠のバイブル

　水道橋博士さんには“バイブル”がある。それは日本の格闘技界に大きな影響を与えた名レスラー、アントニオ猪木氏が本名・猪木寛至名義で出版した『アントニオ猪木自伝』だ。

「一時期、本屋で大量に買い占めて、ホテルに泊まるたびに置いてある聖書と入れ替えるという遊びをやっていたこともあります。オレにとっては『アントニオ猪木自伝』が旧約聖書で、『1976年のアントニオ猪木』が新約聖書です。旧約聖書に描かれているアントニオ猪木像は、本人が語っているだけにポジティブな側面に光が当てられている。でも、新約聖書は周囲の証言を集め、“あの時の真実”を突き詰めていく。ノンフィクション好きにはたまらない本です」

　仕事柄、常に大量の本に触れていると、本の刺激に対して、ある種の慣れが当然生じる。

「男って、AV自体は永遠に見続けたとしても、同じAVを2回見ることはまずないんですよね。常に新しいものでなければダメなところがある。でも、『1976年のアントニオ猪木』は何度読んでも面白い。ストーリーもオチもすべてわかっているのに、ビンビンに勃つ何かある本なんですね。でもそれは『アントニオ猪木自伝』というベースがあるからこその面白さであって、どちらが優れているという話ではなくて、やはり両方とも大切なバイブルなんです」

時が経つのも忘れ語り合った、“PRIDEの怪人”との日々

　格闘技イベント『PRIDE』プロデューサーとして知られる百瀬博教氏も、水道橋博士さんが惚れ込んだ“漢”の一人だ。水道橋博士さんはご自身の著書である『本業』の中で、百瀬博教氏の著書である『プライドの怪人』をこう解説している。

＜百瀬博教本を読むことは、『この話が実話なのか！』と嘆息し、『こんな人が実在するんだ！』と嘆息する、物語の中に浸り、虚構に身を置く興奮だけで読者は『命がけの虚構』を共有することになる＞

　今年1月に急逝した百瀬博教氏。その謎に満ちた半生と素顔について。

「百瀬さんとは毎週のように会っていました。六十を超えた男と四十過ぎの男二人で膝をつきあわせて、何で盛り上がっていたのかと言えば、ずっと本や映画の話。女性がいるような店になんて一度も行きませんでした。百瀬さんは文系趣味を満足させてくれた存在。以前、『PRIDEの怪人』の解説文を読んだ石原慎太郎さんから電話がかかってきて、『お前の文章は三島由紀夫に似ている』と言われたことがあるんですよ。でも、これまでに三島由紀夫なんて読んだことがない。買いかぶりであることは承知の上で、一体どうしてそんな風に言ってもらえたのかと考えてみると、じつは百瀬さんが、三島由紀夫の大ファンだった。百瀬さんを通じて、何かしらの三島らしさのようなものを受け取ったのかなと嬉しかったし、本を書くという仕事を“業”として引き受けようと思った瞬間でもありました」

重松清さんからのメッセージ

　浅草キッドの『お笑い男の星座2』の書評の中で、作家・重松清氏が「そろそろ浅草キッドはビートたけしを正面から書くべきではないか」というメッセージを寄せている。だが、水道橋博士さんは「今のところ、その予定はないんです。」と語る。

「『百瀬博教研究は俺にとってのライフワーク』という話をすると、『ビートたけしじゃないの？』と多くの人に聞かれます。でも、ビートたけしという人は既にきちんと評価されているから、俺が本を書く必要はない。でも、百瀬さんは違う。文学者としての百瀬博教を客観的に伝えることができるのは俺だけなんじゃないかという自負がある。『不良ノート』や『プライドの怪人』といった膨大な数の著作があるけれど、そこですべてが語りつくされているわけではありません。しかも、いざ手に入れようと本屋を回っても、すべてを手に入れるのは難しい。今後、結実するかどうかはわからないけれど、自分にしか書けない百瀬さんの物語をいつか形にしたいという想いがあるんです」