第114回:樋口毅宏さん

作家の読書道 第114回:樋口毅宏さん

2009年に『さらば雑司ヶ谷』でデビュー。スピード感あふれる展開、さまざまな映画や小説作品へのパスティーシュを盛り込んだ斬新な手法で読者を翻弄する樋口毅宏さん。最近では『民宿雪国』が山本周五郎賞の候補になるなど注目度が高まる彼は、どのような作品に触れながら小説家への道を辿ったのか。小説同様スピード感あふれるしゃべりっぷりをご想像しながらお楽しみください!

その3「師匠・白石一文氏との出会い」 (3/4)

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――自分の作品を書こうと思ったのは、いつからだったのでしょうか。

樋口:大学時代には独学でシナリオを書いていたんです。卒論もオリジナルのシナリオでした。賞にも送りましたが、せいぜい二次どまり。社会人になってからも続けていたけど、忙しいから、眠いからと言って、言い訳を作るようになって。それでも書きながら、やっぱり自分は純文学が書きたいなと思ったんです。文体はすっかりト書きと台詞だけのシナリオに馴染んでしまっていたので、何年かかけて少しずつ直していって、石原慎太郎の『灰色の教室』や『太陽の季節』の亜流のようなものを書いていましたね。でも上達しなかった。昔書いたものが出てきたので読んでみたら、まあヘタクソでヘタクソで。今もヘタだけど。

――今とはまったく作風が異なるものを書いていたんですね。その後、作家デビューする経緯といいますのは。

樋口:『rockin'on』に山崎洋一郎の「激刊!山崎」というコラム連載があって、そこに珍しく小説のことが取り上げられていたんです。それが白石一文の『一瞬の光』でした。そこから白石作品を全部読んでいったんですね。いちばんショックだったのは『僕のなかの壊れていない部分』。もう完全にこれ以前、以後に分かれました。僕にとっての小説は2種類しかない。『僕のなかの壊れていない部分』と、その他の小説です。こんな小説があるってことが信じられない。何人かの信用できる方たちに読んでもらって感想を訊いたんです。真っ二つに分かれましたね。「こんなすごい小説を読んだことがない」と言う人と、「なんでこんな小説を読ませるんだ」って怒る人と。この本は本当に衝撃でした。こんなに嫌な主人公でいいんだ、って。村上春樹の「僕」や、川端康成の主人公だって嫌な奴ですが全然違う。例えば小説でなくても映画や漫画でも、反感を買うような人物が出てきても、じきにその彼の過去があきらかになって心の傷があると分かって、困難に直面して人間として生まれ変わって読者や観客の共感を得る、というプロセスがある。でも『僕のなかの壊れていない部分』の主人公は最後まで嫌な奴なんです。なんの共感も得られない主人公が何の成長もしない...そしてそれでいいんだと。言葉にならない衝撃でした。人は本来、恋人から見たときの自分、愛人といるときの自分、息子としての自分、会社員としての自分、個としての自分、社会の中の自分......と、多面体な自分が存在しています。なのにこれまで読んできた小説はみんな一面的。いい人はどこまでもいい人で、ちょっとずるいところがあってそれを自分でも認めているところが読者の安い共感を得ている。なんて薄っぺらなんだろうと思いました。フランスの演劇家、小説家のアントナン・アルトーの言葉で「生きるとは複数の問いを燃え上がらすことだ」というのがあって、読んだ時はフーンと思いましたが、まさに『僕のなかの壊れていない部分』のことだと思いました。

――そして、実際に白石さんに会う機会があったという。

樋口:インタビューする機会を得たんです。悪名高き『BUBKA』という雑誌で僕が記事を書くページがあって、白石さんが『草にすわる』を上梓した時にインタビューをしたんです。「樋口と申します」と挨拶したら、開口一発言われたのが「あなたはどんな小説を書いているんですか」。小説を書いていることは誰にも言ったことがなかったんですよ。彼女にも言ったことがなかった。なのに一発で見抜かれた。それで正直に「慎太郎の亜流みたいなものを書いているんですけど、うまくならないんです」って伝えました。その日は2時間以上インタビューして、そこから白石さんの作品が出るたびつたない感想を送り、1年に1回くらい葉書や電話をもらっていたんです。ある時50枚の短い小説を書いて送ったら電話がかかってきて「とりあえずあなたが書ける人だというのは分かった。じゃあ今から1000枚のものを書いて送ってきなさい」と。僕にとって白石一文の言葉は神の言葉ですから、「はい分かりました」と正座して答えました。それで2006年の9月から1年かけて800枚の小説を書いたんです。その頃は白夜書房にいたんですけど、作っていた雑誌も休刊になって身の回りもゴタゴタしていたので、自分のことを書こうと思ったんです。あれほど自分のことを見つめ直した1年間はなかった。でも純文学の文体だと1000枚なんて書けない。それで試行錯誤して、今につながっていく文体を作っていったんです。それで800枚の小説を書き上げました。その頃白石さんは福岡在住だったんですが、いつ返事が来るかなあとドキドキしながら待っていて、1週間経っても2週間経っても返事がこない。ああ、駄目だったんだ、まあいいか。これからも自分を信じて書き続ければいいよと思って年が明けた2008年の1月。会社から帰って駅についた夜中の12時近くに白石さんから電話があったんです。小説を送ったことをすっかり忘れていて「どうしたんですかー?」って訊いたら、「樋口君ね、夕方の6時から今の今まで、君が書いたものを読んでいた」って。一気読みしてくれたんですよ。「面白かったよ、今東京に越してきているから遊びに来なさい」って言われて、天にも昇る気持ちで翌週伺いました。テーブルをはさんで座って、分厚い原稿用紙の束が目の前にあって、「これ本当にあなたが書いたの?」「はい」「君ね、すごいよ。才能ある」。びっくり仰天ですね。そんなこと誰にも言われたことないし、考えたこともなかった。それを自分がこの世でいちばんすごいと思っている作家が言ってくれているのが本当に信じられなくて。「出版社紹介してあげるよ」と言われたんです。さすがにこれはおかしい、そういえば表札に名前があったっけ、〝白石詐欺〟じゃないかと思いました(笑)。きっと「編集者も忙しいから、とりあえず50万包んでくれない?」って言われるぞと思ったら、それはなかった。

――それで、その原稿が編集者の手に。

樋口:新潮社の郡司さんがちょうど育児休暇中だったときに読んでくださって、白石さんから「郡司さんが出すって言ってくれたよ」って連絡があって。文学賞もとっていない人間に天下の新潮社がから本を出すと言ってくれたことにまた驚きました。でも郡司さんの出版の条件が「ラスト50枚を削ってほしい」だったんです。その小説は僕のパーソナルなことが書かれてあるんですけれど、ラスト50枚でごろっと変わるんです。いわば『タクシードライバー』+『サイン』みたいな。今でこそ、僕の小説を読んでくださっている方は「しょうがねえなあ、樋口は」と思ってくれるけど、何も知らない人からすれば「なんだこれ!真面目にやれ!」というのは当然でしょうね。それでオレ頭が悪いから郡司さんに「すみません、お断りさせてください」って言っちゃうんですよ。こんなにいいって言ってくださる人がいるんだから、他の出版社なら出すって言ってくれるところがあるだろうと。2、3つ他の出版社で読んでもらったらやっぱり出版の条件がラスト50枚を切れ。それでまた「お断りさせてください」となってしまった。

――そして次に『さらば雑司ヶ谷』を書くことになる。

樋口:反省したんです。いきなり800枚の原稿を読んでくださいといっても、編集者には重荷だろうなって。それで、次は枚数を半分以下にして、スピードのある展開で、理屈抜きに面白いものにしようと。前に藤本義一さんがテレビで「面白い小説を書くちゅうのはね、主人公を困らせるといいんですよ」って言っていたことが頭に残っていたので、ようし、主人公の太郎くんを困らせてやろうと考えてプロットを作りました。会社を辞めたのは08年の12月15日だったんですが、その日に書き終えたんです。1か月で書きました。プロットの時点で、また白石さんに読んでもらったら、いいって言ってくれるだろう、郡司さんも出版するって言ってくれるだろう、出たら書評もいくつか取り上げてくれるだろう、いくつか他の出版社からも声をかけてもらえるだろう、と思ったらその通りになった。ただ、2万部か3万部ぐらい売れるだろうと思っていたんですけど、その半分でしたねえ(笑)。

――『さらば雑司ヶ谷』の前に書いた作品は、どうなりましたか。

樋口:別の出版社から出す話があるんですが、あまりにパーソナルな内容なので、もうちょっと待ったほうがいいかなと思っていて。今はお蔵入りの状態です。

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