第118回:桜木紫乃さん

作家の読書道 第118回:桜木紫乃さん

北海道を舞台に、そこに生きる人々の姿を静謐な文章でつづる作家、桜木紫乃さん。釧路で生まれ育った少女が、ある日アパートの一室で見つけた一冊の文庫本とは。読めばいつだって気合が入るという小説や漫画とは。大好きな小説と作家、意外な趣味(?)、さらには一人の女の波乱の人生を描いた最新作『ラブレス』についてもおうかがいしました。

その2「花村萬月作品の衝撃」 (2/4)

朱鷺の墓 上 (角川文庫)
『朱鷺の墓 上 (角川文庫)』
五木 寛之
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セラフィムの夜 (小学館文庫)
『セラフィムの夜 (小学館文庫)』
花村 萬月
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笑う山崎 (ノン・ポシェット)
『笑う山崎 (ノン・ポシェット)』
花村 萬月
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紫苑 (徳間文庫)
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花村 萬月
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透光の樹 (文春文庫)
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羊の目 (文春文庫)
『羊の目 (文春文庫)』
伊集院 静
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なんでもありか  静と理恵子の血みどろ絵日誌 (角川文庫)
『なんでもありか 静と理恵子の血みどろ絵日誌 (角川文庫)』
伊集院 静,西原 理恵子
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――その後、20代の頃はどのような本を読んでいたのでしょう。

桜木:裁判所に勤めていたんですが、資料室というか、図書室があったんです。法律関係の本もありましたが、私は文芸書ばかり手にしていました。そこで五木寛之先生の『朱鷺の墓』などを読んだことは憶えています。

――裁判所でどのようなお仕事をされていたのですか。

桜木:タイピストだったんです。ワープロが出始めて導入するかどうかの頃だったので、和文タイピストの最後の時代と言っていいのかも。

――いつまで続けてらしたんですか。

桜木:結婚して1年後に辞めました。それが彼が出した結婚の条件だったんです。24歳で結婚したんですけれど。

――はやいですね!

桜木:今思えばもっと遊んでおけばよかったですね(笑)。20代前半はいかにこの男の人に気に入られるかばかり考えてあまり本は読んでいなかったと思います。22歳で出会ったんですが、相手は十勝の人間だったので遠距離恋愛で...って、私なんでこんな話をしているんだろう(笑)。27歳で子供を産んだので、その後は子育てをしていて。その時ちょうど、網走に転勤になったんですよ。歩いて50mくらいのところに図書館があったので、よく行きました。ここが読書についての2回目の盛り上がりなんですが、そこで花村萬月さんに出会ったんです。『セラフィムの夜』を読んで、あ、やっぱり小説って面白いんだと思い、自分でも書いてみたいと感じたんです。『笑う山崎』は何度も読んでいます。このきれいで品のある文章があれば、どんなシーンを描いても美しくなるんだ、と感じていたように思います。読んでいる時にはそうはっきりと分からなかったんですけれど。私の書いた短編で、最初の単行本のタイトルにもなっている「氷平線」という言葉は、実は花村さんの小説からいただいたんです。『紫苑』という、『XX(ダブルエックス)』という題名で映画にもなった小説の最後に流氷の上で闘う場面があって、そこに「氷平線」という言葉が出てくるんです。花村さんの造語かもしれませんが、それがずっと頭にあったんです。それでタイトルに使ったんですが、直接お礼を申し上げる機会がないままで...。

――実際に小説を書き始めたのは、何かきっかけがあったんですか。

桜木:小説ではなく駄文を書いていたら、『北海文学』という同人誌の主宰者の鳥居省三さんが「小説を書いてみないか」と声をかけてくださったんです。それですっかりその気になりました。鳥居さんというのは『挽歌』を世に出した方なんです。その人に声をかけていただいたものだから、有頂天になりました。でも書いてはみたものの、どうにもならないものでしたね。今でも下手くそですけれど。でも、書こうと思っていることは変わっていないですね。釧路や漁村が舞台で。

――あ、そういえばその頃にはまた釧路に戻っていたんですね。

桜木:そうですね。釧路→網走→釧路→網走→留萌→江別と引っ越しを繰り返しました。ですから、太平洋とオホーツクと日本海、すべての海、漁村を見ているんですよ。これはいい経験になりました。海の色が全部違うんです。小説の中にしょっちゅう海を出すのは、そういうことなんです。

――その後『オール讀物』の新人賞に応募されたんですよね。

桜木:同人誌では男女のことを書いている人が少なかったので、自分がどう書けばいいのか悩んだ時期があったんです。それで鳥居先生に相談したら、「お前な、一回商業誌に応募してみろ、そうしたら分かるから」って。「近所の人間だけじゃなくて、知らない人に読んでもらえ」って。それで図書館に行って『オール讀物』の応募の要項をコピーしてきました。あれを投稿した時がいちばんあざとかったと思います。当時は30~80枚の規定で52枚書いたんですが、そのなかで4回性描写を入れたんです。これだけ入れたら誰か読んでくれるんじゃないかって(笑)。とにかく、読んでもらわないと意味がないって思っていたんです。

――その時の原稿が、受賞した「雪虫」だったのですか。

桜木:そうなんです。これでもう思い残すことはない、というくらい嬉しかったですね。でも、それからが長いんです。原稿用紙の使い方を知らないところからはじまって、書いて送っても何の連絡もこなかったりして。その時に4年耐えようと思いました。私は大学に行っていないんですが、大学ではみんな4年間勉強するんだから、自分も4年間は勉強だと思うようにしよう、と。結局留年して5年かかりました。02年に受賞しましたが、最初の単行本が出たのが07年ですから。その間に一回、松本清張賞に応募して最終に残していただいたんです。ある編集者の方に応募してごらん、と言われたんですよね。その時、長編の書き方が分からなったので、薦められた高樹のぶ子さんの『透光の樹』を丸写ししました。何枚あれば何が書けるのか知りたいと思ったんです。びっちり打ち込んで316枚だったんです。そこに景色のことも男女の出会いも全部あって、ああ、300枚あれば女の一生が書けるんだと思いました。そこから、長編を書く時には300枚というのがひとつの目安になりました。それからは高樹さんや小池真理子さんや伊集院静さんを読みました。時々『笑う山崎』を読み返して初心を取り戻して。やはり物語性の強いものや、その土地やその場所にいる普通の人間が描かれているものが好きですね。奇をてらったところのない、その時その場所で切実に生きている人が好きです。『本格小説』も『嵐が丘』がベースになっているけれど、切実な登場人物が出てくるわけですし。

――執筆の合間に読んでいたという『本格小説』。

桜木:そうです。執筆の際に気合を入れるために開く本は他にもあるんです。伊集院さんの『羊の目』もそう。こういう風に書けたらなあって憧れています。私が持っているのはサイン本なんですよ。図々しくも自分が書いた本をお送りしたら、サイン入りで『羊の目』をくださって。宝ものなんです。血のつながりがないところに絆を求めていく哀しい男の一生が、いろんな人の視点で書かれているんです。本人の視点が、ほとんどないのに彼のことを理解したいという気持ちにさせられる。そういう小説に憧れますね。いつかこうしたものを書けたら幸せだろうなと思う、バイブルのような本です。

――伊集院さんは桜木さんがオール讀物新人賞に応募された時に選考委員をなさっていたんですよね。

桜木:そうなんです。本棚のいちばんいいところに『羊の目』はおいてあります。その横には西原理恵子さんとの共著『なんでもありか』があるんですけれど。武豊さんとの3人の座談会なんて大好きです。西原さんも好きです。家にいる時は私自身が"毎日かあさん"なので。

――桜木さんの小説も、切実に生きている人たちが登場しますよね。そしていつでも、土地の匂いが感じられる。

桜木:背景がないと人は動かないと思うんです。編集者に、「人間だけ書いていても小説にならないだろ」って怒られたことがあります。今でも怒られるんですけれど。人間だけ描いてもいけないし、背景だけ描いていてもいけないんですよね。今日と明日、1週間後のことで手一杯の人間が、その場所で切実に生きている、そういうまっすぐな世界に触れた時とストリップを見ている時は背筋が伸びますね。

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