第134回:篠田節子さん

作家の読書道 第134回:篠田節子さん

さまざまなテイストのエンターテインメント作品で読者を魅了しつづける篠田節子さん。宗教や音楽、科学など幅広い題材を取り上げ、丁寧な取材に基づいて世界を広げていく作家は、どのようなものを読んで育ち、どのような作品に興味を持っているのか。現代社会の食をめぐるハイテク技術と、そこに潜む怖さについて斬り込んだ新作『ブラックボックス』についてのお話も。

その5「食の裏柄を描く『ブラックボックス』について」 (5/5)

ブラックボックス
『ブラックボックス』
篠田節子
朝日新聞出版
2,268円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
仮想儀礼〈上〉 (新潮文庫)
『仮想儀礼〈上〉 (新潮文庫)』
篠田 節子
新潮社
843円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS

――新作『ブラックボックス』は食生活に関わってくるサスペンス。深夜のサラダ工場で働く女性が、工場の衛生管理や労働問題の実情、ハイテクによる野菜栽培の落とし穴に気づいて立ち向かっていく。

篠田:技術が暴走して、人工的なものが人間を含めた生態系に影響を与えていく。人間の叡智というものはどこまで及ぶものか、ということがテーマなんです。

――ご友人の作家の方から、深夜のサラダ工場で働いた体験を聞いたことがきっかけだったそうですね。

篠田:高橋ななをさんに聞いた話だったんですが、フィリピン人の女性たちに囲まれて日本人はたった一人という状態で仕事をしていた時、フィリピーナの一人が故郷から送られてきたドライマンゴーを差し出して「高橋さん、友達だから」って言ってくれたそうなんです。その話を聞いてもうかれこれ10年になるのかな。何だか切ないエピソードで、忘れられなくて。何年も経ってから「あのフィリピン人がドライマンゴーをくれた話と、工場の実態についての話を使った小説を書かせてくれないか」と頼んだら、快くOKしてくださって。

――深夜のサラダ工場の話にとどまらず、室内で人工の光と培養液で野菜を無菌状態で育てるハイテクのシステムが導入されて話が広がっていく。

篠田:日本生物環境工学会の見学会にも参加しました。参加費がすごく高かったんだけれど、自腹で(笑)。参入を希望する会社向けの会だったんですけれど、質問を受け付けるというので素人ながら「はーい」と手を挙げて聞いたりしていました。あとは経済産業省のフロアにミニチュアの植物工場を作っていた時があって、それも見に行きました。ただ、小説でそれをモデルにするとまずいので、現在ではありえないSF的なハイテク農場にして話を作っていきました。

――絶対的な悪人がいないことが印象に残りました。ハイテク農業をめざす人たちももちろん悪人ではないし、確かに砂漠のような場所では有効だなと思いました。

篠田:可能性のある技術ではあると思います。日本のように日照と土壌に恵まれているところでは循環型の農業を守っていくべきだとは思いますが、石油がいずれ枯渇する砂漠の国では、豊富な日照を利用して植物工場を作るというのはありかな、と。人間も制度も一面的な正義で切っていくわけにはいきませんよね。どんなやり方がいちばんいいのか、その都度考えていくことが大事。

――システムが複雑化するほどに、誰も全体を把握できる人がいなくなる。システムにブラックボックスが生じてしまう怖さが描かれていますね。

篠田:ポリシーや主義主張ですべてを判断していく硬直化したシステムの中ではたとえ瑕疵があっても改善されないまま物事が進んでいって、やがてカタストロフがくる。問題が起きた時ら立ち止まってその都度検証し、スイッチを切り替えていく柔軟さが必要だと思うんですが、なかなかそれがうまくいかないんですよね。原発なんかにも通じることですけれど、すぐにオールオアナッシングの発想になる。

――それにしても、ハイテクで栽培された野菜を加工していく際のプレドレッシング...。野菜に人工的に味付けするという過程ですが、あれは怖かったですね。

篠田:あれは実在しないんですよ。あれくらいのものを小説内で作らないと、実在する企業の特定の商品への批判になってしまうので。プレドレッシングも実在しないし、危険なサラダもないって書いておいてください(笑)。その他の添加物や殺菌消毒剤については、各自の判断ですね。

――プレドレッシングが実在しないと聞いて安心しました(笑)。そういえば『仮想儀礼』の時も、特定の実在する宗教団体だと思われないように気をつけた、とおっしゃっていました。現実なのかフィクションなのか分からない、ギリギリの設定をあえて選んでいるんですね。

篠田:リアリティのない設定では、何が起きてもハラハラドキドキなんかできませんでしょう。あとはスティーヴン・キングで鍛えられたんですが、具体的な光景を描いていく、ということをやっていきたいんです。

――篠田さんは宗教を扱った小説も多いですが、以前、宗教というよりはイデオロギーを扱っている、というようなお話をされていましたね。

篠田:今回の『ブラックボックス』もハイテクへの信仰と科学的思考が一種宗教化した場合の怖さを書いているといえますね。宗教と違って半年ごとくらいに次から次へと更新していかなくてはならないものであるにも関わらず、科学的な理論を修正不能な絶対的な真理であるかのように扱っていると、大変なことに。都合の悪いデータが出てきた時には今までのどこがおかしかったのか、検証して更新していく姿勢こそが大事です。それを「理論的には間違っていない」と言ってしまった時に、暴走が始まるんですよね。日本人は明治以降欧米的なものの考え方を取り入れてきましたが、その前は宗教にしても主義主張にしても、どこか融通無碍なところがあった。私がその著作から影響を受けた日高敏隆先生の言うところの「いい加減さ」なわけですが、その素晴らしさってあると思う。日本人本来のそうした柔軟な思考力に、硬直した文明を打ち破っていく知恵があるんじゃないかなって思います。

――今後はどのような作品を書く予定ですか。

篠田:中年男性のアイデンティティ・クライシスを描いた作品を構想しています。性別の役割分業を当たり前として生きてきた世代である60歳の男性が、定年を待たずにやめて自分の生きがいを探す。そこからいろんなことがあるんですが、その男性の謎を、次女の視点から追っていきます。今年の終わりくらいから『オール讀物』で連載できればいいなと思い、今準備しているところです。

(了)