第135回:新野剛志さん

作家の読書道 第135回:新野剛志さん

ツアー会社の空港支店に勤務する青年の奮闘を描いた、笑いと涙たっぷりのエンタメ小説『あぽやん』がドラマ化され話題となった新野剛志さん。江戸川乱歩賞受賞のデビュー作『八月のマルクス』をはじめ著作には硬質なミステリも多数。こうした作風の源となった読書遍歴とは? デビュー当時の話も含めて来し方をたっぷりうかがいました。

その3「旅行代理店に就職、あぽやんの世界へ」 (3/5)

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――卒業後は旅行会社に就職されたのですよね。新野さんの人気シリーズの『あぽやん』と同じですね。

新野:在学中に旅行業の講座を受けたんです。一般の社会人も受講できる、名物講座でした。入っていたスキーのサークルがつぶれてしまったし、ゼミもやめたので暇になったので、このままじゃいかんなと思って。旅行会社に入るのに必ずしも必要というわけではないんですが、一般旅行業務管理者の資格も取りました。特別に旅が好きというわけではなく、当時はバブルだったので海外添乗員って面白そう、というくらいの気持ちですね。就職活動の時に考えたのは、自分は文系だということ。理系に対してコンプレックスがあったんです。理系の人は製品を作る技術を持っているけれど、文系はなにもない。じゃあモノを作っていない会社はどうかと考えた。旅行会社は旅行というものを売っているけれど、モノを作っているのとは違う。会社のなかで人間自身を活かせる仕事ではないかと考えたんです。

――旅行代理店の空港支店に勤務している『あぽやん』の主人公、遠藤さんと同じく、空港勤務だったのですか。

新野:最初の勤務地が成田です。それが長くて4年半いました。本当は添乗員を希望したんです。今は添乗員というとみんな子会社の人なんですが、その頃は新入社員の半数の最初の配属先は添乗員でした。海外に行けるし響きがいいからといって自分も配属を希望したんですが、会社は人間を見抜いていたようで、僕は現場の空港の配属で、センディングという、お客様を案内する仕事をしていました。体育会みたいなところで、研修の時から「辞めろ」とか「帰れ」と言われて完全にパワハラ状態。女性の先輩も怖かったですね。今でも担当編集者が女性だと、優しい顔をしていつか豹変するんじゃないかと思ってしまう(笑)。途中で体制が変わって空港のチェックイン業務はグランドホステスの会社の女性たちが請け負うことになって、本社から空港に勤務していた女性たちはみんな本社に戻り、男性たちは出向という形で空港に留まることになりました。

――遠藤さんと同じく、スーパーバイザーになったんですか。あと、『あぽやん』のエピソードは実際の体験が多いのですか。

新野:異動した人がいたために、1年半でスーパーバイザーになりました。年上の部下もいる状態だったので最初は結構きつかったんですが、センディングの仕事がとても苦手だったので、慣れるとそうでもなくなりましたね。『あぽやん』に書いたことは実際にあったことを、話を盛ってデフォルメして書いています。ただ、時代が変わっていますから、まだ働いている元同僚たちにいろいろと聞いて、書き加えています。

――その頃は本を読む時間はありましたか。

新野:通勤時間が読書の時間でしたね。文庫を持ってバスに乗っていました。途中から車通勤になったので、読めなくなりましたが。その頃はちょこちょこハードボイルドを読んでいたんです。ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズなどですね。相変わらずガチガチのハードボイルドというよりかはユーモアがかったものが好きでした。ウォーレン・マーフィーのトレースシリーズなんかも好きでした。主人公が保険調査員で、日本人とイタリア人を親に持つチコと一緒に住んでいるんですよね。著者の奥さんも日系のアメリカ人だというトリビアを憶えています。あとはローレンス・ブロックとかも読みましたが、でも深く掘らずに終わっていますね。仕事はその後本社に戻ったんですが、その頃はそれほど読んでいません。大沢在昌さんの『新宿鮫』や高村薫さんの『マークスの山』を読んだのがこの頃だったかもしれません。

――本社に戻られてまもなく会社を辞めたそうですが。小説家になろうと思ったのですか。

新野:同僚と飲みながら「いつまでもサラリーマンはやってられないよな」「地方の文学賞でも狙ってみるか」といった話をしたことはありますが、あくまでも冗談でした。会社は6年半勤めて辞めたんですが、空港から本社勤務になったあたりから最終的に辞める流れに向かっていたと思います。会社に帰属している意識がなくて、空港に勤めていた気分だったんです。お客様を送りだすことが最優先事項で、空港のことを何も知らない本社の人間がいろんなことを言ってくることに不満があったくらい。まあ、今だと本社の人間がそうなのは当然だろうと思うんですが。それで、本社では、小さな会社で半数以上が互いの顔と名前を知っているなかで、自分は同期くらいしか知らない。ある種アウトサイダーな状態のなかで、企画に配属されたんです。企画ってアイデアを出して面白いツアーを作るというよりも、どうやってコストを削って安いツアーを作るかを考えるのが仕事だったんです。それで行き詰っていって、入社5年目の研修か何かの時、周囲を見ながらああ、自分は駄目だと思ったんです。それで、辞めたというか、失踪したんです。

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