第135回:新野剛志さん

作家の読書道 第135回:新野剛志さん

ツアー会社の空港支店に勤務する青年の奮闘を描いた、笑いと涙たっぷりのエンタメ小説『あぽやん』がドラマ化され話題となった新野剛志さん。江戸川乱歩賞受賞のデビュー作『八月のマルクス』をはじめ著作には硬質なミステリも多数。こうした作風の源となった読書遍歴とは? デビュー当時の話も含めて来し方をたっぷりうかがいました。

その4「放浪生活から作家デビュー」 (4/5)

八月のマルクス (講談社文庫)
『八月のマルクス (講談社文庫)』
新野 剛志
講談社
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――失踪してからずっと放浪していたのですか。3年後にデビューした時に、ホームレス作家としても話題を呼びましたよね。

新野:旅もしましたが基本は都内にいました。夜はファミレスなどで原稿を書いて始発電車で仮眠をとって、週2回だけカプセルホテルに泊まってシャワーを浴びてベッドで寝るという生活でした。それまでの貯金をおろして使っていました。その時は2、3年で社会に戻ろうと思っていたんです。ほとぼりを冷ますためにも、自分の後ろめたさと折り合いをつけるためにも、それくらいの時間が必要だと思っていました。ならばその間に何か身に着けておこうと思い、じゃあ小説を書いて江戸川乱歩賞をとろうと思ったんです。江戸川乱歩賞と思ったのは小さい頃読んでいたから......ということはなくて、本屋に行くとその年の乱歩賞受賞作が並んでいて、すごく有名な賞だと感じていたからなんですが。

――失踪した直後からそんな冷静な状態だったわけではないですよね...?

新野:直後は冷静ではなかったです。酒をかっくらってギャンブルか何かに溺れてふてぶてしく戻るつもりでいたんですが、考えていくうちにある程度冷静になってきて、まともに社会に戻らなきゃいけないと思うようになって。だから賞も獲れたし今があるわけですが。

――冷静になれてよかったです。それで、紙とペンを買って...。

新野:そうです。他の資格だと参考書などが必要ですが、小説なら原稿用紙とペンだけでできる、という考えもありましたね。実際は大変でした。原稿用紙500枚の長編なんかを持ち歩くことになるんです。リュックに入れて背負っていたんですが、小説を書いたこともないし字も下手ですから、下書きをしてから清書する。するとどんどん原稿用紙が増えていくんです。つまりどんどんリュックが重くなる。

――『八月のマルクス』で見事乱歩賞を受賞するまで、何度か応募したのですか。

新野:3回目の応募で受賞しました。とりあえず乱歩賞を目標にしていましたが、その合間に他の賞にも応募しましたね。

――デビューが決まった時はどんな気持ちでしたか。

新野:聞いた瞬間は「やったー!」となりましたが、次の瞬間にとんでもないことになったな、と。世捨て人みたいな生活をしてまともに暮らしてなかった人間が講談社に呼び出されて、人に囲まれて記者会見とかさせられて。環境の変化についていけなくて、5日間くらいまともに眠れませんでした。編集者は「原稿直ししてください」って怖かったし(笑)。

――そういえば、ホームレス状態だったのにどうやって受賞の連絡を受け取ったんですか。

新野:つきあっていた彼女...今のかみさんのところを連絡先にして応募したんです。彼女には手紙を出して、向こうからはFAX通信で連絡をもらっていまいた。クロネコヤマトのFAX通信というサービスがあって、暗証番号を決めておくと全国どこでもコンビニの通信機器からFAXが引きだせたんです。それで資料をもらったこともありますね。

――彼女、失踪してホームレスになった人間によくつきあってくれましたよね...って、これまでもさんざん周囲から言われたと思いますが...。

新野:デビュー当時さんざん言われましたよ(笑)。最初の手紙に「迷惑ならおっしゃってください」と書きました。まあ、内心「連絡してほしい」と言ってほしくて手紙を書いたわけですが。そうしたらFAXをくれるようになって。後半はこちらから電話をかけるようにしていました。彼女のところを連絡先にして新人賞に応募して、選考の時期になって電話をかけて彼女が何も言わないと、ああ、駄目だったんだな、と思って。3度目の乱歩賞の時は、彼女が「何か講談社から留守電が入っていて、連絡をくれって」と言われて、公衆電話から講談社にかけました。編集部でも話題になっていたみたいです。この応募者は電話するといつも女性が出て本人はいない、何日か経ってから本人からかかってくる、って。「あいつはヒモだろ」と言われていたらしいです(笑)。

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