第146回:藤岡陽子さん

作家の読書道 第146回:藤岡陽子さん

2009年に作家デビュー、最新作『手のひらの音符』でも高い評価を受けている今注目の作家、藤岡陽子さん。実は新聞記者を経てタンザニアに留学、帰国後は看護師の資格を取得して現在も働くなど、意外な経歴の持ち主。それらの人生の選択についても、読書傾向の変化のお話とあわせてうかがいました。

その2「大学卒業後は新聞記者に、そしてアフリカへ」 (2/4)

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  • 『深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)』
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  • 新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)
  • 『新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)』
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  • 新装版 青が散る (上) (文春文庫)
  • 『新装版 青が散る (上) (文春文庫)』
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――大学に入るとまた変わるのでしょうか。

藤岡:大学に入ると心が回復して元気になりまして、自然と恋愛に興味をもつようになり、江國香織さんや山田詠美さんの恋愛小説を読んでいました。こうして振り返ってみると、その時に興味あるものについて書かれた本を読んでいることがよくわかりますね。山田詠美さんの『トラッシュ』のような濃密な恋愛の本を読んで、恋の悩みの答えをそこに求めていました。昔から本に答えや手がかりや助けを探しているように思います。今もそれは変わらなくて、友達に相談するような感覚で読書をしています。

――本のなかに答えは見つかりますか。

藤岡:例えば若い時って自分はしんどい恋愛をしていると思うものですが、『トラッシュ』を読むとさらにしんどい恋愛をしている。主人公がしんどかったりそれでも頑張っていたりすると、私もまだまだ頑張れる、こんな風にやっていこうかなと思える。ヒントをもらうというか。そうやって読んでいたので、友達にも「あなたにはこの本がいい」「あなたにはあっちの本」と、処方箋のように選んで薬剤師の気分で本を薦めていました(笑)。

――読書日記のようなものはつけていましたか。

藤岡:記録ではないのですが、好きなシーンは抜き出してノートに書いています。すごく好きな会話とか、愛の告白とか、描写を抜き出して、ことあるごとに読み返して楽しんでいます。

――例えばどういう本のどのような場面を?

藤岡:水村美苗さんの『本格小説』で、子供の頃から知りあいだったけれどずっと離れていた男の子と女の子が大人になって再会して、男の子が女の子を担いで歩いて座らせる場面があるんです。そこはもう、自分大丈夫かっていうくらい、何度も読み返して(笑)。『本格小説』は30歳前後の頃に読んだと思うんですが、このシーンは自分の中でいちばん好きなんです。

――大学を卒業後、報知新聞の大阪本社の記者になられたのですよね。

藤岡:文章を書く仕事がしたくて、大学4年の時に新聞記者になろうと思いました。一般紙は2社ほど落ちたということもあるんですが、スポーツ新聞のほうがたくさん記事を書かせてもらえるというイメージもありました。スポーツも好きだったんですが、それよりはやはり文章を書くということが目的でしたね。文学のほうが好きでしたから。でも入社してみたらまわりはスポーツオタクの人ばかり(笑)。それに新聞記事の文章というのは型がある程度決まっていて、自分の色を出すと書き直しを命じられる。ニュースや記録を記事に入れないといけないので、余分な描写を入れると切られてしまうんです。「新聞」というのは自分とは合わないのかなと感じました。ただ、「1回読んだだけで理解できる文章を書け」と言われたことは大きかったですね。読んだ瞬間に頭に映像が浮かぶもの、二度読みせずにすぐわかるような文章の鍛錬をしてきたので、今も無意識のうちにやっています。それは良し悪しだとは思いますが、美文ではなく読みやすい文章を書くということは、今の自分のスタイルにつながっているかなと感じています。

――記者時代に読んでいた本といいますと。

藤岡:社会人前半の頃は、外の世界に目が向くようになって、読書傾向がすごく偏りました。沢木耕太郎さんの『深夜特急』や藤原新也さんの『印度放浪』に『メメント・モリ』、小林紀晴さんの『アジアン・ジャパニーズ』とか。ちょっと違いますが司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を読んだのもこの頃。それまでは学生で親の配下にいるといいますか、自分勝手はできないという意識でいたけれども、社会人になったことでお金をためれば自分の力でもっと広い世界へ行けるんだという気持ちになりました。船戸与一さんや、落合信彦さんの『男たちの伝説』や『アメリカよ!あめりかよ!』もこの頃ですね。世界で活躍する男たちの話に憧れました。学生時代はあんなに恋愛小説を読んでいたのに(笑)。働いている環境もまわりに男の人ばかりで、ひとつの部署に女性は一人か、多くても二人しかいなかった。野球のキャンプの取材に行くと周りはほぼ全員男性。自分が男化していたのかもしれません(笑)。

――約3年半働いてから、新聞社を辞めてタンザニアのダルエスサラーム大学に留学していますよね。それは広い世界が見てみたいという気持ちが高まったからでしょうか。

藤岡:決定打は『深夜特急』でした。それまで海外に行ったことがなくて、バックパックを背負って海外にでかけたのも社会人になってからだったんです。あまりにも多くのことを自分は知らないのだと気づかされたし、行動する勇気も湧いてきたので、沢木さんみたいにもっともっと自分も広い世界を見てみようと思いました。そこから外食もせずお金を貯めて留学の準備を始めました。

――なぜアフリカのタンザニアを選んだのでしょうか。

藤岡:見たことのないものを見てみたい、日本人の助けのないところで一人で生きてみたい、という気持ちがありました。今までの自分ではない自分になりたかったんです。そういうことができそうな場所が、自分にとってはアフリカ大陸だったのでしょう。それで、東京外国語大学の教授が京都の文教大学でも教えていたので、そこに何度か通って「留学させてください」って個人的に頼んだんです。ものすごく迷惑だったと思いますが(笑)。その先生が東アフリカが専門だったこともあり、コネクションがあったのがケニアとタンザニアでした。当時ケニアは治安が不安だったこともあり、タンザニアを選びました。

――向こうではどういう生活を送っていたのですか。

藤岡:大学ではスワヒリ語科に入って、延々とスワヒリ語ばかりやっていました。留学生は、欧米の短期留学生が結構いましたね。アフリカの音楽や芸術に興味のある人が多かった。でもアジア人はいなかったです。最初は寮で暮らしていたんですが、まず電気がついたりつかなかったりし、突然停電になったりするんです。なので夜はだいたいロウソクの灯りで過ごしていました。水道も出る時間が決まっているので、水をタンクに貯めておくんです。水道管が破裂してもすぐに直すわけではないので、1か月くらい水道が出なかったこともありました。雨が降ってきたら大学にいようと他の場所にいようとすぐに帰ってバケツに水を貯めていました。

――食事は。

藤岡:自炊ですね。寮にも、その後友達とルームシェアした部屋にも、貧しい村から来た下働きの女の子がいて、その子と一緒にご飯を作っていました。でもお米にも石などが混じっているので、まずそれを取り除くことから始めるんです。ご飯を一回作るのに2時間や3時間かかる。洗濯だって手洗いですから、日々の生活を整えるだけで1日が終わってしまう――娯楽なんて要らなかったですね。陽が落ちれば寝て、陽が昇れば起きるという原始的な生活を送って、1年間で人間が変わりました。

――どのように変わったのですか。

藤岡:今できることをその時の100%の力でやるということですね。タンザニアの平均寿命は40代なんです。新生児がたくさん死ぬので平均値が低くなることもあるんですが、老人がすごく少ない。子供もすぐ死ぬし、「じゃあまた」と言って別れた人が次に会おうと思ったらエイズで亡くなっていたりする。命のはかなさを実感しました。人生とは、1年1年が勝負であって、無駄にはできないんだって。日本にいた時は、だらけて今日のことを明日に伸ばすということをやってきたけれど、今日できることは今日やろう、人間関係を杜撰にしないようにしようと思うようになりました。人が変わったように精力的に生きるようになったんです。

――タンザニアにいた頃、読書はしていたんですか。

藤岡:宮本輝さんの本を何冊か持っていって、繰り返し読んでいました。他には世界を放浪している人が日本の本を置いていってくれるので、それをむさぼるように読んでいました。宮本輝さんは高校生の時に友達のお母さんが『葡萄と郷愁』を貸してくれたんです。凛々しい女性主人公で、自分の中にすとんと落ちるところがあって、それから読むようになりました。日本語として好きなんです。小説の文章って呼吸のようなもので、作家の息遣いがそれぞれあると思うのですが、宮本輝さんの文章はすごく気持ちよくて、読んでいると幸せになれる。タンザニアに持っていったのは『青が散る』や『錦繍』、『優駿』とか...5、6冊でした。

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