第146回:藤岡陽子さん

作家の読書道 第146回:藤岡陽子さん

2009年に作家デビュー、最新作『手のひらの音符』でも高い評価を受けている今注目の作家、藤岡陽子さん。実は新聞記者を経てタンザニアに留学、帰国後は看護師の資格を取得して現在も働くなど、意外な経歴の持ち主。それらの人生の選択についても、読書傾向の変化のお話とあわせてうかがいました。

その3「帰国後は小説応募&看護学校」 (3/4)

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――帰国後はどのような生活を。

藤岡:塾の講師をしたり法律事務所で働いたりしながら小説を書きはじめました。それが27歳くらいの頃です。書き方がわからなくて大阪文学学校の夜間部にも通いました。その頃書いていたものは今考えると宮本輝さんの真似ですね(笑)。テーマも文章も読んだ人がわかるくらいすごく真似して書いて、新人賞にも2回応募したんですが2回とも落選したので、真似はやめようと思いました(笑)。

――その後、看護学校にも入学されたんですよね。

藤岡:自分が甘かったんです。小説家になると言っても、最終選考で落ちたら何にもならないわけで。そんな簡単なことではないんだと現実的に考えた時に、自分の生活をちゃんとしていかないと、と思いました。タンザニアにいた時にマラリアにかかったりコレラが流行ったりして大変な思いをしたし、怪我をした人がいた時も自分が看護師だったら助けられたのにというもどかしさがあったので、就職することを考えた時、看護師になろうと思いました。関野吉晴さんの『グレート・ジャーニー』を読んだことも大きかったですね。関野さんは冒険家で、世界をいろいろまわっているうちにお医者さんの免許をとろうと思って医師免許を取り、病気の人を診ながら旅している。私が看護師になろうと思ったのは、自立しようということと、『グレート・ジャーニー』の影響という、ふたつの理由がありました。

――今さらりと言いましたが、マラリアにかかったんですか。

藤岡:2回かかりました。人間って、本当に意識がなくなって倒れるものなんですね。最初の時は39.7度の熱が出たのを確認したのを最後に、意識がなくなったんです。2回目は余裕があって「さあ病院へ」と思いましたが(笑)、1回目の時は「死ぬのかな」ってはじめて死を覚悟しました。

――そんな体験を...。さて、帰国後看護学校に通っていた頃は、どんな本を読んでいたのですか。

藤岡:授業が忙しくて読書量は減ったんですが、それでもいろんな本を読みました。今度は「人」という大きなジャンルから本を選ぶようになりました。伊集院静さん、荻原浩さん、白石一文さん、小川洋子さん...。水村美苗さんの『本格小説』を読んだのもこの頃。ジョン・アーヴィングの『サイダーハウス・ルール』もこの頃かな。登場人物の子供時代からずっと、人生の長いスパンが書かれた本が好きでした。今まで人生というものを点でしかとらえていなかったけれど、人には長い長い時間があると考え始めたのが30歳くらいからです。それで、焦りがなくなっていきました。若い頃は「今しかない」というように、つねに焦っていたんです。現時点での自分の位置がすべてであって、つねに「負けてる」感がありました。でも人生は長いのだから、どこで成功するかなんてわからない。自分の持ち時間のなかでゆっくりじっくりやっていこうという、大人の考え方に変わっていきました。明日いきなり大成功を収めることはないけれど、今日の精一杯が長い時間をかけて積みあがって、なりたい自分につながっていくという風にやっと思えたんです。妊娠や育児で何も自分のことができない時もありましたが、焦らずに育児に全力を尽くして、今できることを100%やっていこうと思えました。

――小説を書く時間はあったのですか。

藤岡:看護学校に通っている間は忙しすぎて書く時間がなかったのですが、卒業して2年ぶりくらいにもう1回書こうかなと思った時に、宮本輝さんが北日本文学賞の審査員にいることを知って応募することにしました。誰にも求められていないところで書く時に、何か自分を奮い立たせるものあったほうがいいと思ったんです。宮本輝さんに会いたいという気持ちで短篇を書きました。

――2006年に短篇「結い言」で北日本文学賞選奨を受賞されていますが、では宮本輝さんには...。

藤岡:授賞式に会えたんです。すごく優しそうで素敵な方で、でもめっちゃ大阪弁でびっくりしました(笑)。「自分の美点は人の幸せを心から祝福できることです」というようなことをおっしゃっていて、私もそういう人になりたいなと思いました。

――その後も、看護師をしながら小説を書いて、育児もして、さらに大阪文学学校に再び通われていますよね。

藤岡:それまで東京にいたのですが京都に戻ることになって、もう1回学校に通うことにしました。看護師の仕事はパートだったんですが、やっぱり体力は必要でしたね。でも、働くということは私の中では基本としてあるし、子育ても自分の子なので育てますし(笑)、小説は好きなことだからやめられませんでした。もう大人なので自分が小説家になれるとは思っていなかったんですが、やっぱり書きたいし、書くからには上手くなりたかった。小説への情熱みたいなものはずっと同じテンションで持ち続けています。

――文学学校は役に立ちましたか。

藤岡:そこ以外では、人に読んでもらえる機会がなかったんです。いくと感想がもらえる。15人くらい生徒がいて一人ひとり他の人の作品に意見を言うんです。なかにはきついことを言う人もいる。全部メモをとって、それを見ながら直していったりしていました。

――新人賞の応募も続けていたんですよね。小説宝石新人賞でも最終選考まで残ったりして。

藤岡:1回目、2回目は落選した時は泣いていたんですが、3回目になると「あ、うん、はーい」みたいな感じ(笑)。小説宝石新人賞で2回目の最終選考落選の頃に2人目の子どもを生んだのですが、その時光文社の編集者の大久保さんが手紙をくださったんです。「落選したけれども自分の中ではすごくよかった」とおっしゃってくださって、長いものを書いてみませんか、と。「書きます!」と言いました。はじめてのチャンスだとは思わず、むしろラストチャンスだって思いました。ここでふんばれへんかったら、今後小説やったってあかん、って。それではじめて100枚を超えるものを書いたのが『いつまでも白い羽根』で、幸運にも出版して頂けたんです。この頃の身体はそれまでの人生で一番きつかったですね。生後4か月目から子供を保育園に預けたんですが、預けるからには看護師として職場復帰もしなくてはいけない。仕事しながら、子供が寝ている隙を見て夜に小説を書いていました。

――デビュー作となった『いつまでも白い羽根』は看護学校が舞台ですよね。

藤岡:看護学校について書きたいとずっと思っていました。入学してみて、みんなこんな大変な思いをして看護師になるんだなって驚いたんです。自分は30歳で入ったものですから、なおさら衝撃的でした。今時こんなに厳しい学校生活があるのかと思うくらいで、この閉塞感みたいなものを知ってもらいたいという、ルポルタージュを書くような気持ちもありました。本になった時はただただ感無量でした。出来不出来はあると思うけれど、自分としては書きたいことが書けたので。看護学校の時の知人たちも喜んでくれたんです。「あの頃を思い出した」とか「私たち頑張ったよね」というメッセージもたくさんもらいました。同級生の中に仕事中に亡くなった子がいたんですが、親御さんが読んで「娘がここにいる」って言ってくださって。本って届くんだな、書く意味があってよかったなって、一生忘れられないです。

――今も看護師のお仕事は続けているんですか。執筆時間の確保は。

藤岡:看護師の仕事は週に1回から2回やっています。平日は子供たちが保育園と小学校に行っている間の夕方5時くらいまで自分の時間になるので、朝9時から午後1時か2時くらいまで執筆して、後は家事をして空いた時間に読書をしていますね。

――プロデビューしてから読書傾向は変わりましたか。

藤岡:すごい量を読むようになりました。今までは一読者として自分の好きなジャンルだけを読んでいましたが、これから読者に向けたものを書かなくてはいけないという気持ちが芽生えて、いろんな本を読んで受け取り手の気持ちを考えるようになりました。読者はどういう風にしてこの本を面白がるのか客観的に考えながら読んだりするようになりましたね。だからとにかく、人が「面白い」と言った本は絶対に読むんです。そうじゃないと偏りますから。新聞の書評も私にとっては重要ですね。これまで通り好きな作家さんも読んではいますが、最近はジャンルも問わず読んでいます。

――最近面白かったもの、特に印象に残っているものはありますか。

藤岡:朝井リョウさんの『何者』がすごく面白かったですね。若い世代の人たちがどういう精神活動をしているのかがリアルに描かれたものがあるのは助かりますね。自分の子供が小学生くらいなので、その年代の子が出てくる本は結構読むし、共感できるところも多いです。でも今は高校生や大学生の知り合いがいないので、どういうことを考えているのかがリアルにはわからなくて。『何者』を読んで、うわー、こんな感じなんや、こんな風に競争するんやって思いました。自分の世代とは違う部分がわかって、面白いプラス勉強になります。

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