第146回:藤岡陽子さん

作家の読書道 第146回:藤岡陽子さん

2009年に作家デビュー、最新作『手のひらの音符』でも高い評価を受けている今注目の作家、藤岡陽子さん。実は新聞記者を経てタンザニアに留学、帰国後は看護師の資格を取得して現在も働くなど、意外な経歴の持ち主。それらの人生の選択についても、読書傾向の変化のお話とあわせてうかがいました。

その4「一人の女性の半生を描く最新作」 (4/4)

――さて、新作の『手のひらの音符』では45歳、独身のデザイナー女性が失業の危機に直面する。と同時に、彼女の来し方も描かれていく。服飾業界を舞台に選んだのはどうしてだったのですか。

藤岡:小説を書く時はいつも最初に世界を決めるんです。『いつまでも白い羽根』なら看護学校、『トライアウト』ならプロ野球の世界を書こうと決める。今回はたまたま、実家が服飾をやっていてその会社を閉めた、という人が身近にいたんです。親の世代からやってきた大きな会社だったのに。今の日本の服飾の現状って、労働資本の問題や染粉の不足などいろんなことがあって、丁寧に服を作ろうとしても赤字になってしまうそうなんです。話を聞いているうちに、これは服飾業界のことだけではなくて、日本の社会のリアルだなと思いました。それで小説で書いてみたいと思ったんです。

――一人の女性の半生の話となっているのは。

藤岡:ある一人の女の人が単純な道だけを歩んでここまで来たわけじゃないということを読者にもわかってほしかったんです。主人公がどういう風に生きてきて今仕事を失おうとしているのか。小さい頃から頑張ってきて今のその人があるわけなので、読者にも簡単に辞められないという気持ちになってほしかったんです。年齢を45歳にしたのは、バブル期のことも書きたかったので。バブルによって家にちょっとお金ができて夢を追いかけることができた人もいれば、バブルによってどんどん駄目になっていく家もあった。その対比を書きたかったんです。

――服飾業界の再生を試みる人たちも登場します。その一方で、これは切実なラブストーリーでもありますよね。

藤岡:45歳の、自立して生きている独身女性がなぜ結婚しないかを考えた時、過去にすごく好きだった人がいて、その人を越える人が現れていないからじゃないかという気がしたんです。そう考えると、このラブストーリーはありじゃないかな、と思いました。

――今回の長編でもこれまでの作品でも、決して特別ではない人々の、再生が描かれていますよね。

藤岡:どれだけ真面目にやっても、うまくいかないことってある。自分以外の要素、家族や時代によって思い通りにいかないこともありますよね。そういうことってすごく多い気がするんです。自分もそうでした。そういう人たちに向けて、だからといってやってきた努力は無駄じゃないんだってことは書きたい。長い時間をかければ、今は思った自分になれなくても、10年後20年後、時を経て、あの時諦めないでよかったと思えるんじゃないかな、って。なおかつ、最底辺を書こうとしているわけではないんです。誰が見てもひどい目にあっている人というよりは、人から見ると普通で、でも実は普通ではないしんどさを抱えている人を書きたい。よくも悪くも目にとまらない人たちの頑張りに心惹かれます。

――今後はどういう題材を取り上げる予定ですか。

藤岡:今書いているのは助産師の話です。今は出生前診断もありますし、思い通りの出産ができると思っている人が増えているんですが、やはり命の話なので思い通りにいかないことはたくさんある。表に見えにくい部分も書きたいですね。これは書き下ろしですが、今年中に出せたらいいなと思っています。他にも、医療のこともちゃんと書きたいし、恋愛ものも書いてみたいし、昭和初期や大正の頃にも興味があります。書きたいことが、いろいろありますね。

(了)