第148回:山田太一さん

作家の読書道 第148回:山田太一さん

語り継がれる数々の名台詞、名場面を生み出してきた脚本家の山田太一さん。小説家としても山本周五郎賞を受賞するなど注目されてきた彼は、どのような書物に親しんできたのか。筋金入りの読書家でもあるだけに、残念ながらすべて紹介するのは不可能。なかでも気に入った本について、ご自身の体験を交えてお話ししてくださいました。

その3「脚本、小説の執筆」 (3/5)

  • 岸辺のアルバム(1) (BE・LOVEコミックス)
  • 『岸辺のアルバム(1) (BE・LOVEコミックス)』
    山田太一,吉田まゆみ
    講談社
  • 商品を購入する
    Amazon
  • 飛ぶ夢をしばらく見ない (小学館文庫)
  • 『飛ぶ夢をしばらく見ない (小学館文庫)』
    山田 太一
    小学館
    669円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    LawsonHMV
    honto

――ご自身で文章を書くことに興味はありましたか。

山田:大学に入った頃はなんとなくものを書いて生きていけたらいいなと思っていました。でもそんなに世間は甘くないと考え、教員の免許をとったんです。学校の先生なら今までも見てきたから見当がつくなと思って。でもさきほど話したような先生に教わってきたわけですから、本当は見当なんてついていなかった(笑)。大学の就職科で、コネがないと採用にならないと言われ、でもコネなんてないですから、これから入社試験を受けられるところはないかと聞いたら、松竹の撮影所の助監督の募集があることを教えてくれた。映画は好きでいっぱい観ていたけれど、自分が関わるとは思っていませんでした。でもいざ入ってしまえば、映画も悪くないなと思うようになりました。

――木下恵介監督に師事されたんですよね。脚本も書くようになって。

山田:映画を二本立てで公開するとき、1本は普通の映画を、もう1本は1時間ちょっとくらいの短い映画を上映するということがあったんです。その短いほうを助監督のチーフくらいの立場の人がつくる。それが上手いと認められると監督になる。短い映画の脚本を2本くらい書いたと思います。その後、木下さんが映画から離れる時に僕も退社して脚本家兼助監督としてついていくことになり、映画からは離れました。テレビの仕事が面白かったから後悔はしていません。それからテレビの脚本、戯曲や小説も書くようになりました。毎回書いた後は抜け殻のようになっていますね。少し待っていると、自分のなかに何かが溜まってくる感じがあって、書き始めると仕事が好きだから燃えてきて、終わるとまた空っぽになります。脚本も小説もどちらも面白く思っていますが、小説は本という形として残るけれど、テレビはほどなく消えていく。どの形にするかによって、先の運命がずいぶん変わってくるなと感じています。

――仕事の仕方などでつねに意識していることはあるのですか。

山田:たとえば、犯罪ものは書かない。犯罪ものはたくさん書かれているので、そんなところに入り込んでも敵うわけがない。そうやって自分を限定していくんです。脚色はやらない、とかね。若い時は何本かやりましたけれど、途中からやめました。するとベストセラーの脚色の話などは自分のところには来なくなって、気持ちがざわつくこともなくなります。贅沢な生活のためだったら嫌な仕事も必要かもしれませんが、僕は普通に家族と食べていければいいやと思っていましたから。

――小説を書き始めたきっかけを教えてください。

山田:NHKの朝の連続テレビドラマ小説を引き受けたら、並行して小説を書かないかと言われたんです。1年間続く仕事だし、とてもじゃないけれど出来ないと思ったんですが、ある編集者に「チャンスじゃないですか」と言われたこともあって、引き受けることにしました。それが『藍より青く』だったんですけれど、午前中にドラマを書いて、午後に小説を少し書いてというリズムを続けて、なんとか書き終えました。でもそれは筋書を小説みたいに書いた、くらいの気持ちでした。その後、うんと暗い話を考えて、テレビでは絶対に企画が通らないだろうと勝手に思っていた。その頃、ある新聞社の記者が連載小説を書かないかと言ってきたんです。いきなり新聞小説だなんて、とは思いましたがこれも「あなたはきっと小説も書ける」と嬉しいことを言われてその気になって、頭にあったその暗い話を書きました。それが『岸辺のアルバム』です。連載の途中まできたところでTBSから「ドラマにしたい」と言われて。あの頃のテレビの人って「テレビじゃ無理だ」と言われたら、反対に「やってやろう」となるところがありましたね。「いろいろありまして無理です」と言って挫折しちゃうような人たちではなかった。そういう時代に仕事ができてラッキーだったと思います。『岸辺のアルバム』はゴールデンアワーで放送してくれたんですが、視聴率はよくなかったですよ(笑)。

――でも『岸辺のアルバム』は名ドラマとして語り継がれています。

山田:繰り返し再放送しているうちにそう言ってもらえるようになったんでしょう。その後、新潮社の人が「テレビ化することは一切考えないで、純粋に小説というものを書いてみないか」と言ってくれて書いたのが、『飛ぶ夢をしばらく見ない』。こういうのもまた書きませんかと言われて『異人たちとの夏』を書き、もう一冊『遠くの声を捜して』を書いて......。ファンタジー三部作と言われていますが、たまたま三作書いたところでくたびれたんです(笑)。以来、小説はポツン、ポツンと書かせていただいています。

――『異人たちとの夏』は第一回山本周五郎賞受賞作ですよね。小説も脚本も、プロットを固めずにお書きになっているそうですが。

山田:全部頭で決めてしまったら、知性だけでつくったものになってしまう。小説もドラマも知性ではないものを呼び込むために書いているところがあります。この人物とこの人物をいっぺん仲たがいさせようと思っても、どうしても仲たがいしてくれないこともある。あ、逆のほうが多いかな(笑)。そういう面白さがなければ、書く意味の半分くらいを失くしてしまいます。知的な部分で考えたことなんて、人間の頭の中の小さな部分ですよ。それ以外の部分をどれくらい呼び込めるかってことです。

――呼び込めた、と思う瞬間はあるのですか。

山田:ありますね。あると小躍りします。でも人に読んでもらっても、誰も気づかなかったりします(笑)。

» その4「鋭く短い言葉を読む」へ