第150回:綾辻行人さん

作家の読書道 第150回:綾辻行人さん

1987年に『十角館の殺人』で鮮烈なデビューを飾って以来、新本格ミステリ界を牽引しつつ、ホラーや怪談などでも読者を魅了してきた綾辻行人さん。小学生で推理小説家になると決め、その後、読書と創作が密接な関係にあったというその愛読書とは? さまざまな先輩作家、後輩作家との交流なども交えて、その読書生活を教えてくださいました。

その4「大学院生の頃にデビューが決まる」 (4/5)

  • 人形館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)
  • 『人形館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)』
    綾辻 行人
    講談社
    810円(税込)
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  • 十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)
  • 『十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)』
    綾辻 行人
    講談社
    810円(税込)
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  • 水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)
  • 『水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)』
    綾辻 行人
    講談社
    788円(税込)
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  • 迷路館の殺人<新装改訂版> (講談社文庫)
  • 『迷路館の殺人<新装改訂版> (講談社文庫)』
    綾辻 行人
    講談社
    810円(税込)
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  • 新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)
  • 『新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)』
    中井 英夫
    講談社
    810円(税込)
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――大学卒業後、大学院に進まれたそうですが。

綾辻:留年は決めたけれど、当初は5年で卒業して普通に就職するつもりだったんです。ところが5年生になるタイミングで、研究室の助手の先生から「きみ、大学院に来ればどう?」と誘われたんですね。ろくに勉強もしていない学生だったので、不思議に思って「どうしてですか」と尋ねたら、返ってきた答えが「きみ、才能がありそうだから」。「1年も時間があるんだし、これから勉強して、いい卒論さえ書けばここの院試くらい通るよ」と言われて、僕は根が単純なので簡単にその気になってしまい(笑)。言われるままに1年間、集中して勉強して、院試の審査を意識した「いい卒論」を書いて......で、何とか合格して院に進むことになったわけです。
 でもね、誘ってくれた先生にその後、「何であの時、僕に才能がありそうだと思ったんですか」と訊いてみたら、返ってきた答えは「いや、暇そうだったから」(笑)。あの時期、ミステリ作家になるなんて言って小説を書いている学生が珍しかったから、というのもあったようですけれど。『人形館の殺人』に登場する架場久茂という社会学者のモデルになったのが、実はその人なんですよ。社会学方面での僕の師匠、ですね。

――その頃の読書生活といいますと。

綾辻:さすがに専門書ばかり読んでいました。教育学部の教育社会学研究室で、専攻分野は逸脱行動論でしたから、その関係の本や論文を。逸脱行動論というのは、分かりやすく言ってしまえば、犯罪や非行など当該社会の規範から外れた行動に関して社会学的に考察しよう、という話ですね。どうせ勉強するのなら、少しでもミステリを書くのに役立ちそうなものをやろうと思って選んだ専攻でした。

――新人賞には応募しなかったのですか。

綾辻:ちゃんと応募したのは、江戸川乱歩賞に出した1回だけです。島田さんからは「30歳まではひたすら習作を重ねて、デビュー後のためのストックを作りなさい」とアドバイスされていたんです。ところが別のルートで『十角館の殺人』の初稿を読んで面白がってくれた人がいて、その人は竹本さんのエージェントをやっていた、当時のキティ・ミュージックのプロデューサーだったんですが、「私に預けてくれたら出版社に売り込んであげるよ」と言ってくださって......結果としてそれがうまく運んで26歳の時にデビュー、となりました。

――デビューが決まってから生活は替わりましたか。

綾辻:大学院に身を置きつつ、キティ・ミュージックと「専属作家契約」みたいな契約を結んだんですよ。月々、アドバンストと称して相当額のお金を無利子で貸すから、それを生活費に充てて、きみは小説の原稿を書きなさい、というふうな。原稿はキティがエージェントになって出版社に売り込む。うまく本が出て印税が入れば、アドバンスをそこから差し引く。売り込みがうまくいかなくて本が出せなくても、その場合はキティ側の見込み違いだったということでアドバンスは返さなくてもいい。そんな、何とも気前のいい契約でね、バブル経済真っ盛りだったからこそありえたんでしょうね、ああいうことが。
 契約を結んで2年目だったかな、講談社から『十角館の殺人』の刊行が決まったのは。その時にはだから、『緋色の囁き』の原稿がもうできていたんですよ。幸いにも『十角館』はそこそこ話題になって売れてくれて、あとはとんとんと......いや、まあいろいろありましたけれど、基本的には非常に恵まれた状態が続いて現在に至ります。

――あ、すぐ「館」シリーズに取りかかったわけではないんですね。

綾辻:そうなんです。『緋色の囁き』を先に書いてキティには渡してあったんですが、『十角館の殺人』とはだいぶ毛色の違う作品なので、しばらく置いておいて別の出版社から出そう、というふうに戦略を立ててくれたんです。講談社で出す『十角館』の次の作品は、できればシリーズものがいい、という注文もされて。そこで初めてシリーズ化について考えはじめて、思いついたのが「館」シリーズのコンセプトだったわけです。それですぐに『水車館の殺人』を書きはじめて、『十角館』が書店に並んだ頃にはもう、『水車館』の初稿ができていましたね。翌年2月に『水車館』が出て、その2、3ヵ月後には『迷路館の殺人』が完成していました。シリーズもこれで3作並ぶことになるから、その直後のタイミングで祥伝社から『緋色の囁き』を出そうという話になり......と、この辺の交渉・調整は全部、キティがやってくれたわけです。

――綾辻さんの作品が版元によってはっきりカラーが分かれているのは、当初そういう戦略があったからなんですね。

綾辻:そうです。右も左も分からない26歳の新人ですから、あの時キティにエージェント業務を任せていなかったら、依頼をいただいた順に全部の仕事を引き受けてしまって、にっちもさっちもいかなくなっていたでしょうね。

――デビューして間もない頃、中井英夫さんにもお会いになったことがあるとか。

綾辻:『人形館の殺人』を発表したあとだったから、89年ですね。『十角館の殺人』を作ってくださった講談社の編集者・宇山日出臣さんが、当時中井さんがお住まいだった羽根木のお宅へ連れていってくださったんです。中井さんの『虚無への供物』は、僕にとってもスペシャルな作品だったし、この作品の圧倒的な影響下で竹本健治さんが『匣の中の失楽』を書いたり、宇山さんにしても『虚無』の作者に会いたいがために講談社に入ったという人だったり......と、ある種の強烈な磁場が中井さんのまわりにはあったんですね。お訪ねした時は、「このあいだの『人形館の殺人』はまあまあ良かったね」といちおう褒めてくださったような(笑)。でもそのあと、おいとまする際に両手を強く握られて、「世界中の悪意を一身に背負ったような探偵小説を書くんだよ」と言われたんです。その場ではよく意味が分からなかったけれど、何だかすごい言葉を投げかけられた気がして身体が震えました。あれはね、呪文だったんだと思う。呪いを解くためにその後、骨身を削るようにして書いたのが『暗黒館の殺人』だったんですよ。

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