第155回:津村記久子さん

作家の読書道 第155回:津村記久子さん

主に大阪を舞台に、現代人の働くこと、生活すること、成長することをそこはかとないユーモアを紛れ込ませながら確かな筆致で描き出す芥川賞作家、津村記久子さん。昨年は川端康成賞も受賞。幼い頃から本を読むのが好き、でも、10代の頃は数年にわたり、音楽に夢中で小説から遠ざかっていた時期もあったのだとか。その変遷を楽しく語ってくださいました。

その7「書きたいことが書けた『エヴリシング・フロウズ』」 (7/7)

――さて、新作『エヴリシング・フロウズ』は少年少女たちが主要人物の青春小説です。

津村:これは苦労したんです。今となってはすごく好きな小説なんですが。まだ会社に勤めていた頃だったので、通勤の時にもアイデア表のA3の紙にメモを貼ったものを持ち歩いて考えていたんですが、ぜんぜん進まなかったんです。でも大土居という中学生を、弱い女の子にするつもりだったのを、気の強い子にメモを貼りかえてからは面白くなって、書く気になりました。やっぱりそうやってあらすじに触り続けないと見えてこないものがありますね。それで、2011年の秋から書き始めました。
『ウエストウイング』を書いた時に、担当さんに登場人物の一人であるヒロシのことを「面白いですね。今後どうなっていくのか知りたい」と言われて、じゃあ今度はヒロシの話を書こうと思ったんです。ちょうど気晴らしに自転車で走りにいっていた時期で、よく大正区のイケアに行っていたのでヒロシは大正区の、環状線の住人にすることにしました。この小説では『八番筋カウンシル』でやり残したことをもう1回やりたい気持ちもありました。あの小説は大人のパートと中学生のパートがありますが、それらは別々の小説で書いたほうが散漫にならなかったんじゃないかなと感じていたんです。それで、今回は中学生のことだけを書いてみることにしました。そうしたら、結局あますことなく書けた気がする。冷めてシニカルになっているわけでもなくて、自分の書かかんとしているところを素直に書けた。自分の小説のなかでは、分かりやすいんじゃないかな。

――書かんとしていたのは、どういうところですか。

津村:うーん。中学生って力がないけれど、これだけやれるんだってことかな。いつも弱い者の立場から小説を書いてきましたが、そのなかでもヒロシは最弱なんです。唯一得意だと思っていた絵を書くことすら奪われてしまって、何も残っていないのに受験せないけないし。そういう主人公にどれだけ考えさせて、他人と関わらせて、ミッションを果たさせるかということについて、すごく頑張れたと思う。
「意志は持たされるものじゃない」というのも書きたかったことです。意志は自分の心にしかやってこない。弱い人間でも、ずり落ちていきそうな人間の腕をつかむことはできるって書きたかった。
暴力のことも自分なりにちゃんと書いてみたかった。自分の倫理観は偏っていると分かっているので、小説の上ではフラットな人間として振る舞おうとしてきましたけれど、これは最初に書いた小説くらい歪んでいます。なので、ある程度はそうした試みに成功したなと思う。

――内巻敦子さんのイラストもいいですよね。表紙には主な中学生たちが並んでいますが、みんな特徴が出ている。

津村:内巻さんに描いてもらえてすごく嬉しかったです。連載の時に扉絵を書いてもらう時、それぞれの特徴をスポーツ選手で説明したんです。

――津村さんといえばスポーツ観戦好きでも有名。自転車、サッカーはもちろん、フィギュアもアルゼンチンの架空のフィギュアスケート選手が出てくる「バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ」という短篇を書いていますよね。

津村:フィギュアスケートもよく観てましたね。いちばん好きなのはロードレースじゃないでしょうか。サッカーも観てますけれど、ワールドカップの時に、サッカーはほんまにしんどいんだなと思って。心をズタズタにするじゃないですか。なんかまだ、ドイツ対ブラジルの試合から復活はできてないです......。自転車レースのツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャは21日ある。それがものすごくよくできた大河ドラマのようで、毎日観てしまう。サッカーは一回試合をやると中3日あいたりするんですが、ロードレースは毎日毎日同じ選手を見ることになるんですよ。山岳地帯でエース以外が一人また一人と振り落とされていって、最後は誰が残るのか、というのを毎日観られるのがたまらないです。
選手たちの顔を見るのも好きです。ハリウッドの人たちを見ていると作られた顔という印象がありますが、スポーツ選手の顔って外国の人の生の顔のように思うんです。顔を見せる職業じゃないから整形もしていないし、その土地の顔が見られるところが面白い。

――ところで、『ウエストウイング』の登場人物だったヒロシが『エヴリシング・フロウズ』の主人公となったり、『ポトスライムの舟』と『ポースケ』の登場人物が繋がっていたりと、作品同士のリンクがありますが、これは意識的にやろうとしていますか。

津村:『ポースケ』の時は、お店をやっている人が要るなあと考えた時に、そういえば一人おったなあと思っただけで(笑)。『エヴリシング・フロウズ』も、『ウエストウイング』と人物は繋がってはいますが、これだけでも読める話にしています。リンクというのはあまり考えていませんが、「職場の作法」で出してその後独立した短編でも書いたスポーツ好きの浄之内さんはまた書きたいですね。

――さて、今後の刊行予定を教えてください。

津村:来年の春くらいにエッセイ集の第二弾を出す予定です。その後は日経新聞のWEBの仕事小説が単行本になります。

(了)