第155回:津村記久子さん

作家の読書道 第155回:津村記久子さん

主に大阪を舞台に、現代人の働くこと、生活すること、成長することをそこはかとないユーモアを紛れ込ませながら確かな筆致で描き出す芥川賞作家、津村記久子さん。昨年は川端康成賞も受賞。幼い頃から本を読むのが好き、でも、10代の頃は数年にわたり、音楽に夢中で小説から遠ざかっていた時期もあったのだとか。その変遷を楽しく語ってくださいました。

その6「小説の書き方&読書生活」 (6/7)

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――さて、デビュー後の生活は。

津村:2005年の太宰賞を受賞した年は6月にムックに載せてもらって、他は何の仕事もありませんでした。藤本さんから「WEBの枠があるわよ~(声真似)」と言われて書いたのが「サバイブ」という短編でした。で、9月に『群像』の須藤寿恵さんが連絡をくれたんです。「群像!?まじでー!」となって、「エッセイを書きませんか」と言われ「書きますー!」って(笑)。これをしくじったら全部潰れると思って、めちゃくちゃ緊張しました。10月くらいに友達の赤ちゃんを見に横浜に行くついでに営業に行くことにして、筑摩書房と講談社に行きました。その時に須藤さんから「30枚とか書ける?」と訊かれて「書きますー!!」と言って書いたのが、『カソウスキの行方』に入っている「花婿のハムラビ法典」です。この時は30枚を書くために、毎日毎日A3の紙を持ってメモを貼って考えましたね。

――紙にメモを貼るというのは。

津村:A3の紙に、名刺くらいの大きさのメモにアイデアを書いてマスキングテープで貼っていくんです。いっぱい部品を作って、それを並べ替えながら筋書を考えていくんです。それで30枚の小説を書きました。10月の営業旅行では藤本さんにも会って、小説すばるで一次で落ちたのを見せたら「イマイチね~(声真似)」と言わて、長編のあらすじを考えて何本か出したなかで、コピー機の話を気に入ってくれたので『アレグリアとは仕事はできない』を書き、その時に考えた音楽の話を一年後ぐらいに角川の人に話したら「それでいきましょう」と言ってもらえたので『ミュージック・ブレス・ユー!!』を書きました。

――2008年にその『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞を受賞されてますね。その年は連続して芥川賞の候補にもなっていますが、どのように書く時間を確保していたのですか。

津村:5時半に会社が終わってから8時くらいまで喫茶店であらすじを練って、帰って10時くらいから夜中の2時まで寝て、2時から5時くらいまで小説を書いて、また寝て起きて会社に行く生活でした。寝る時間を分けるのは私に合っていたと思う。小説用の時間を無理矢理作って、眠いけれども3時間だけだから書こうと思えたし。でも本を読む時間はあまりなかったですね。作家になるまでの1年間の修業時代に読んだ量で「本読んでます」って顔をしてんじゃないかって思う時がありますね。

――2009年に『ポトスライムの舟』で芥川賞を受賞した後も兼業でしたが。

津村:小説と会社員との兼業を7年やりました。やっぱり専業になるのは不安やったし、健康保険が高いし。会社が夕方5時半に終わってくるということと、所在地が便利だったという条件がよかったんです。それに職場で小説を書いていることをあまり言われなかったのでラクでした。その会社では「カソウスキの行方」で芥川賞候補になった時に「あいつ小説書いてたんかー!」となって「がんばれよ!」と言ってもらえて、3回目に候補になった時はもう飽きられていて「ふーん」という感じで、そうしたら獲れたという。すっごいいい会社だったんですよ。「小説書いてるの?」と訊かれると必ず「いえいえ会社のほうが大事ですから」と答えるようにしていたんですが、そうしたら「あーそう」と言って解放してもらえる。「ほんとは書いてんちゃうの」って言わないんです。とても冷静に取り扱ってもらえて、感謝しています。

――じゃあ、辞めたのは...。

津村:体がもたなくなってきて辞めました。『ウエストウイング』という600枚以上ある分厚い本を出すためのゲラ作業をやりながら『エヴリシング・フロウズ』の連載をやっていて、両立は不可能になってきたんです。2012年、『エヴリシング・フロウズ』の2話目と3話目の間に辞めました。

――翌2013年、「給水塔と亀」が川端康成賞を受賞したお祝いの席でお会いした時、「また働きたいです~」ってぼやいてましたよね。

津村:働きたいですよ。ほんまねー、家で仕事するのって面白くないんですわー。だからいつも夕方に自転車に乗って出かけて、なんばとかで3時間くらい仕事して、夜の10時くらいに帰ってきています。クロスバイクがあるので結構遠いところまで行きますね。エッセイなんかは外で書いています。書けるまで帰るな、みたいな気分で。前は自炊してたんですけれど、家におるのが嫌になって、最近はご飯も全部外ですませるようになりました。本はいつ読んでんねんと思うんですけれど、今、実業之日本社の『Jノベル』では小説以外の、新潮社の『波』では古典ぽいものを読む連載をやっています。『波』の連載は読みたかったけれども読めていない本を読むという企画で、最近ではジェイン・オースティンの『ノーサンガー・アビー』を読みました。
ずっと前に、新潮社の『考える人』で好きな海外小説10冊を挙げるアンケート取材があって、私は1位『木曜の男』、2位『タイタンの妖女』、3位『殺す風』を挙げたんです。そのアンケートでもらった資料で、外国の人たちが結構『華麗なるギャツビー』を挙げていたんですね。あれ読んでないねん、ギャツビーって誰?という状況だったので、それで毎日新聞社の『本の時間』で、『波』の前身となる連載を始めました。その後、『本の時間』が休刊になって、新潮社の佐々木一彦さんが「うちでやりませんか」と声をかけてくださったんです。
『本の時間』の連載では『流れよわが涙、と警官は言った』のほかに、『ねじの回転』や『脂肪の塊』などを読みました。モームの『アシェンデン』がいちばん好きでしたね。もともと『月と六ペンス』や『雨』とか『赤毛』は好きで『アシェンデン』も持っていたけど読んでいなかったんです。読んだらめっちゃ面白かった。どこまで本当なのか分かりませんがモームがスパイ活動をやっていた頃の話で、今読んでも現代的でまったく風化していない。二重スパイの疑惑のある人間とか、いろんな人の間を主人公がわたり歩いていくんですが、人の見方とかがもうすごくて。どうすごいかって言ったら、ナンシー関さんみたい......って言ったらヘンですけれど(笑)、とにかく鋭いんですよ。モームもマーガレット・ミラーと同じで、人をよく見ていますよね。でもミラーは、モームの小説はめっちゃ好きやけどモームという人間は好きやないねんやんかって言っていて。

――ミラーが関西弁喋ってます(笑)。

津村:(笑)。『アシェンデン』の後はクリスティの『パーカー・パインの事件簿』を取り上げて『本の話』の連載は終わり、『波』の第一回は、結構前に読んだものなんですがフレドリック・ブラウンの短篇集『スポンサーから一言』を取り上げました。これの「闘技場」という短篇がほんとに好きで。人間と宇宙人が闘う話なんですが、ある時人間の兵士が気を失って目覚めたら一人で青い空間に全裸でいるんです。透明な壁の向こうには敵である宇宙人が一人いる。つまり彼らは神様から、人間と宇宙人それぞれの代表者に選ばれたんですよ。人間のほうはどうやったら壁を通り抜けできるか検証したり、相手の振る舞いをじっと見てどうやったら勝てるかいろんな論理を組み立てるんですが、お互い素っ裸なんで本当にむきだしの戦いを、あほみたいに真面目に書いているんです。なんでこんなことを書こうと思ったんやろう。もう大好きで。フィクションはこうあるべきなんじゃないかと興味深いですね。こういうのを読むと、何でも書けるって思う。

――同時代の国内作家は読まないのですか。

津村:読みますよ。比較的年の近い作家さんは、皆おもしろいと思います。今の作家の人たちってみんな誠実で、自分を自分以上に見せようとしていない気がする。それはすごくいいことだなと思います。

――津村さん自身は、どんな時に小説の種を見つけるんですか。

津村:自転車に乗っている時とか...。思いついたことはメモしておきますね。今、日経新聞のwebで連載しているのは、燃え尽き症候群の主人公がハローワークの紹介で短期の仕事をいろいろする話です。バスのアナウンスの台詞を考える仕事とか、おかきの袋の裏に印刷されている豆知識を考える仕事とか、今着手している5話目では、公園の小さい無人の小屋を見て「あの中で庶務の仕事をしたい」って友達と話したことがきっかけ。それで「大きな公園の小屋での簡単な事務の仕事」というテーマで書いています。中篇くらいまでの長さやったら、そうやって友達との雑談で出てきたことひとつだけで書くこともありますね。

――仕事や職場がテーマのことも多いですよね。

津村:9年前にデビューした時に、自分の強みは何かを考えたんです。やっぱり現役の会社員ということだろうなと思いました。それに働いているといろいろある。「カソウスキの行方」では、友達が後輩を庇ったのにその子に「別にいいですけどね」って言われたと聞いて「腹立つなその後輩!」となったところから始まった話です。「婚礼、葬礼、その他」は、一緒にフェスに行った友達のところに上司のお父さんが亡くなったという電話が入って、行くか行かないか悩んで結局行ったのが可哀相だったので書いた話。

――そういえば豪雨のために帰宅が困難になった人たちが出てくる『とにかくうちに帰ります』もたしか実体験がきっかけですよね。

津村:サマソニから歩いて帰ったんですよ!あれはほんまに辛かった。ほんまにくだらないことですけれども、橋のらせん状のところで友達が疲れて末期的になって「すごくきれい」とか言い出したのを、そのまま書きました。雨を降らしてより主人公たちを追い詰めて。実体験を書くことは多いですね。職場でおじさんがペンを返してくれへんとか。

――ペンの話は『とにかくうちに帰ります』の「職場の作法」ですね。

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