第160回:薬丸岳さん

作家の読書道 第160回:薬丸岳さん

2005年に『天使のナイフ』で江戸川乱歩賞を受賞、以来少年犯罪など難しいテーマに取り組む一方で、エンタメ性の高いミステリも発表してきた薬丸岳さん。実はずっと映画が好きで、役者をめざして劇団に所属していたり、シナリオを書いて投稿していたことも。そんな薬丸さんを小説執筆に導いた一冊の本とは? 

その3「一冊のミステリを読んで目覚める」 (3/5)

――さて、20代の読書生活はノンフィクションと、「このミス」の上位に入ったもので...。

薬丸:自分が小説を書こうと思ったきっかけになった、高野和明さんの江戸川乱歩賞受賞作の『13階段』も、「このミス」で上位だった作品です。乱歩賞は野沢尚さんが受賞しているから知っていたんですね。こんなにすごい脚本家の方が2回落とされて3回もチャレンジする賞ってなんなんだろう、と思っていて。『13階段』を読んだのは、『ヤングジャンプ』で最後の佳作をいただいた33歳の頃です。佳作を獲って盾も送られてきて、賞金の50万円も振り込まれたけれど、結局それだけで、その後全然連絡もなくて「漫画の原作も厳しいかな」と思っていた頃に、通勤電車で『13階段』を読んだんです。もう、純粋に、むっちゃ面白いなっていう。もちろん同じくらい面白い作品もいっぱい読んできましたし『新宿鮫』も『ホワイトアウト』も夢中になって読みましたけれど、やっぱり衝撃だったのは、乱歩賞ってアマチュアの人が書いて応募する新人賞じゃないですか。当然、高野さんのプロフィールには小説家としての経歴はない。それがはじめて書いた小説かどうかは分からないけれど、「アマチュアの人がこんなにすごい作品を作るのか」という驚きと同時に、それまでの自分の甘さを突きつけられたんですよね。物語を作るということに対しての自分の中途半端さを思い知らされた。「このまんまじゃ駄目だ」と思いました。運が悪くてチャンスに恵まれていないのではなくて、やっぱりそれだけの努力をしていなかったんだなと感じてしまいました。それで、どんなに時間かかってもいいから、自分が本当に「やり切った」と言える作品を書くために、とにかくゼロから小説の勉強をすることにしました。小説は書いたことがないですし、シナリオを書いたといってもだいたい原稿用紙50枚くらいのサイズのもので、550枚なんて未知の世界だったんですけれど、とにかくやり切ったと言えるものをひとつ書いて乱歩賞に応募しよう、とその瞬間思ったんです。

――550枚というのは、既定枚数ですか。

薬丸:そうですね、550枚以内ということでしたが、その頃の僕からしたら高尾山に登るのも「はあー」という状態なのに急にエベレスト目指そう、という感じでした(笑)。

――さきほど「通勤電車で」とおっしゃっていましたが、就職されていたんですか。

薬丸:いえ、契約社員で働いていたんです。アルバイトに毛が生えたような感じで、それで爪に火をともすような生活をしながら貯金を殖やして、「いつか辞めてやる」と思っていました。

――シナリオの書き方に慣れていると、いきなり小説を書くというのは大変だったのではないでしょうか。

薬丸:そこからなんですよ(笑)。小説というものがどういうものなのかまったく分からない。ですからまず、巷にある「小説の書き方」というのを図書館で何冊か借りてきまして......その頃はお金がなくて買えなかったので。そこでいつくか、小説のルールというもの、視点という概念や、ミステリにおける約束事みたいなものを知りました。と同時に、高野さんの『13階段』が死刑問題を扱ったものだったこともあって「自分がもっとも興味のある少年法を題材にして乱歩賞に応募しよう」と思い、少年法を改めて調べながらプロットを作っていきました。
小説の書き方をおぼえることと少年法を調べることのほかにもうひとつ、とにかくいっぱい小説を読もうと思って。それからは2日に1冊くらいのペースで読んでいました。それまではミステリやサスペンスでも、東野さんや真保さん、宮部みゆきさんなど読む方はだいたい決まっていたんですけれど、そこからはまんべんなく読むことにしました。

――ジャンルを問わず、ですか。

薬丸:やっぱり、恋愛小説なんかは少なかったですけれど。伊坂幸太郎さんの本もその頃ようやく読み始めたのかな。『重力ピエロ』や『ラッシュライフ』を読んで、今まで読んできた小説とは違うな、と思いましたね。この人にしか書けない小説だろうな、と。オリジナリティについてすごく印象に残っています。他には宮本輝さんの作品や夏樹静子さんの作品とか、それとやはり、乱歩賞に限らず新人賞で受賞された作品を読んでいきました。

――ノンフィクションで、少年法に関する本では何か読んでよかったものはありましたか。

薬丸:僕の印象では、擁護派の方が書いたものは偏っているものが多かった。小説の登場人物に反映させるには参考になるんですが、正直言って、共感できないものが多かった。あからさまに加害者を擁護していて、被害者側のことはまったく考えていないんです。被害者のことも考えながら、でもやはり少年も立ち直らなければいけない、という論調ならまだ分からなくもないんですが、被害者側への意識が完全に欠如しているものが多かったんです。
ただ、ノンフィクションライターの藤井誠二さんという方がいらっしゃって。この方は少年法や、被害者の方の視点を書かれることが多くて、ものの見方は非常にバランスがよくて、共感できる部分がたくさんありました。『天使のナイフ』の貫井を書く時は、藤井さんの立ち位置というものが自分の中に大きくありました。僕がものすごく参考にさせていただいたのは、参考文献にも載せている『少年の「罪と罰」論』という対談形式の本です。藤井さんは他にも『少年に奪われた人生――犯罪被害者遺族の闘い』なども出されていますよ。

――その時に少年法を題材にして書きあげたのが、乱歩賞受賞作の『天使のナイフ』ということですか。妻を殺しておきながら少年法によって罰せられなかった少年たちが、数年後に次々と殺されたため疑惑をむけられた男の話。はじめて書いた小説で受賞されたわけですね。

薬丸:そうです。これで仕事を探さないですむ、と思いました(笑)。というのは冗談ですけれど、本当に、そこまで人生がいい方向に反転するってことはなかなかないだろう、というくらいの驚きでした。1年8か月くらい『天使のナイフ』の準備をして、応募する1か月ちょっと前くらい仕事も辞めて書くことに専念していたんです。プロットも20種類くらい作りましたから。加害者が主人公のパターンも考えましたし、逃走ものも考えました。今の原型になってからもどんどんどんどんプロットが変わって、それまでシナリオや漫画原作を書いてきた時の100倍以上の労力を注ぎ込んでいたので、応募した時には完全に緊張の糸みたいなものが切れていました。「仕事探さなきゃいけないけれど、まあ貯金もあるし、とりあえず最終選考が来るかどうか待ってみるか」と思いながら一応ハローワークに行って求職活動をしているところに最終選考の知らせが来まして。他の候補作のタイトルを見て「あっちのほうが面白そうだな、『天使のナイフ』はちょっとベタだな」と思ったりしているうちに、受賞の知らせが来ました。さっきまでプータローでハローワークで仕事を探さなくちゃいけなかったのに、翌日講談社に呼び出され、記者が100人くらいいる中に放り込まれて写真をパシャパシャ撮られて、もうてんやわんやでした。

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