第161回:磯﨑憲一郎さん

作家の読書道 第161回:磯﨑憲一郎さん

2007年に文藝賞を受賞して作家デビュー、2009年には芥川賞を受賞。意欲的な作品を発表し続けている磯﨑憲一郎さん。叙事に徹した日本近代100年の物語『電車道』も話題に。時間の大きな流れの中で生きる人々をとらえたその作品世界は、どんな読書生活から育まれていったのか? 商社に勤めながら40歳を前に小説を書きはじめた理由とは? 

その2「北杜夫作品、そして洋楽との出会い」 (2/5)

  • 船乗りクプクプの冒険 (集英社文庫)
  • 『船乗りクプクプの冒険 (集英社文庫)』
    北 杜夫
    集英社
    475円(税込)
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  • 楡家の人びと 第1部 (新潮文庫 き 4-57)
  • 『楡家の人びと 第1部 (新潮文庫 き 4-57)』
    北 杜夫
    新潮社
    637円(税込)
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  • 月と六ペンス (新潮文庫)
  • 『月と六ペンス (新潮文庫)』
    サマセット モーム
    新潮社
    650円(税込)
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  • トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)
  • 『トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)』
    トーマス・マン
    河出書房新社
    616円(税込)
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  • 増補完全版 ビートルズ 上 (河出文庫)
  • 『増補完全版 ビートルズ 上 (河出文庫)』
    ハンター・デイヴィス
    河出書房新社
    1,296円(税込)
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  • ロッキングオン 2015年 07 月号 [雑誌]
  • 『ロッキングオン 2015年 07 月号 [雑誌]』
    ロッキング オン
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  • ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
  • 『ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)』
    J.D.サリンジャー
    白水社
    950円(税込)
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――一中学生時代はいかがでしょう。

磯﨑:当時、都立高校に入るために住民票だけ移して都内の区立中学に通わせる、というのが流行っていたんですね。それで僕も越境で東京台東区の上野中学というところに通っていたんですが、埼玉からだと通学に片道1時間半くらいかかるんです。その時間が読書の時間になりました。中学生だから単行本は高くて買えない、文庫本しか買えない、というので買ったものに北杜夫さんの『船乗りクプクプの冒険』があったんです。これは子供向けに書かれた本なんですけれど、いわゆるメタフィクションなんです。冒頭から作者としてキタ・モリオが出てきて、小説中小説になっていたり、作者が書くのが嫌になったからといって真っ白いページがあったり。子供向けにしては結構高度な、めちゃくちゃなことをやっている。後にご本人が「『クプクプ』は手塚治虫さんの真似をした」みたいなことを書いていましたけれど。「小説ってそういうこともやっていいんだな」と思って、そこから北杜夫さんを全部読み始めるんです。当時の北さんの作品は新潮文庫と中公文庫からしか出ていませんでした。『楡家の人びと』『白きたおやかな峰』とか。中学生で『楡家の人びと』を読んで理解できたのかな、と思うんですけれど。「どくとるマンボウ」のシリーズの「航海記」や「昆虫記」「青春記」もすごくよくて。モームの『月と六ペンス』から取った『月と10セント』というタイトルで、アポロロケットの打ち上げを見にいった時のことを書いたものも好きでした。
小説家としてデビューした後で、僕は北さんに2回お会いしているんです。お宅にお邪魔してお話ししていると、北さんの奥さんもお嬢さんの斎藤由香さんも「父は忘れられた作家ですから」って言うんですよ。でも北さんがきっかけで小説を読み始めたという人は、作家にも編集者にもたくさんいるし、やっぱりもっと北杜夫さんの小説に光を当てたくて、「そういう対談をしましょう」と言っていた矢先に亡くなられてしまって、今でもすごく悔いが残っています。

――一中学生時代はずっと北杜夫さん作品を...。

磯﨑:北さんの作品を一通り読み終えると、今度は北さんがお好きだったトーマス・マンも読むわけです。『トニオ・クレーガー』とか。遠藤周作とか辻邦生も読みましたが、そこから更には読書は広がらなかったですね。というのも、音楽と出会ってしまったからなんです。中学2年生の時にフォークギターを買い、中3でエレキギターを買うんです。1970年代の終わりの頃ですから、最初はビートルズから入りました。クラスの女の子たちはベイシティローラーズが好きなんだけれど、僕はあんなのは駄目だ、といって、ちゃんとビートルズから入ってボブ・ディランを聴いてレッド・ツェッペリンを聴いて、という。ただバスターというアイドルバンドだけは好きでした。その頃TBSテレビの「ぎんざNOW!」の木曜日に「POPTEEN POPS」というコーナーがあって、それが洋楽の唯一の情報源だったんです。ランキングではずーっとイーグルスの「ホテル・カルフォルニア」が1位で、その後にクイーンの「伝説のチャンピオン」とかベイシティローラーズとかアースウィンドアンドファイヤーとかが入ってくるという、そういう時代です。ビージーズの「サタデー・ナイト・フィーバー」がその後かな。
ラジオ番組をカセットテープに録音したりして、音楽少年になっていって、でも本との接点もありました。ハンター・デイヴィスというジャーナリストが書いた『ビートルズ』という本があってですね。今では「ビートルズ学」は世界中ですごく進んでいますけれど、当時はこの本が決定版と言われていました。最近また河出文庫から出ています。とにかく詳しいんです。生い立ちというか、メンバーの両親がどこの出身か、というところから始まるんです。ジョンの父親は船乗りだったとか、ポールのお母さんは早くに亡くなったとか、そういうところから入って、結成した後にもドイツの修業時代にめちゃくちゃやった話とか...。それはありえないだろうっていうエピソードが沢山出てくるんです。僕が嘘くさいのエピソードが好きだというのは、この本で形成されたようにも思います。学校の図書館だったのかな、繰り返し借りているうちに返さなくなって。そのまま盗んだっていう。

――一えー。

磯﨑:他にも角川書店から出ていたジュリアス・ファストの『ビートルズ』や片岡義男さんが訳された『ビートルズ詩集』もよく読みました。当時は洋楽の本なんてほとんど出ていなかった。今はたくさんあるから羨ましいですよ。

――一高校時代もずっと音楽をやっていたんですか。

磯﨑:基本音楽がいちばん好きでした。部活も軽音部で。では読書はというと、やっぱり『ロッキング・オン』の音楽評論ですね。文章に影響を受けました。NHK FMの「サウンド・ストリート」という番組も、毎週木曜と金曜の夜10時は渋谷陽一さんがパーソナリティーだったので必ず聴いていました。でも僕がいちばん影響を受けたのは、岩谷宏さんという、『ロッキング・オン』の創設メンバーの一人です。当時、渋谷さんはロッキング・オン社の経営者で、むしろ精神的支柱は岩谷さんだ、と言われていて。ロッキング・オンは渋谷さんと岩谷さんと、多くのビートルズ本を書かれた松村雄策さんと、橋川幸夫さんの4人で立ち上げたんですよね。岩谷宏さんに『ザ・ポップ宣言』という本があってですね。これにはかなり打たれました。「関係性の視座」とか、そういう言葉がバンバン出てくるんです。基本的に岩谷さんの文章って、音楽評論よりもむしろ労働経済を論じることが多くて、反資本主義で、個人主義なのだと当時高校生なりに理解していました。年齢的には団塊の世代よりちょっと上なんですよね。岩谷さんは今も尊敬してます。

――一日本のミュージシャンで好きだったのは。

磯﨑:日本のロックも聴いていて、やっぱりRCサクセションなんですね。忌野清志郎の歌詞が好きでした。当時の日本のロックで聴いていて恥ずかしくないのはRCサクセションくらいだと思ってた。それとインディーズの暗黒大陸じゃがたら。江戸アケミという人がヴォーカルでした。僕が通っていた上野高校の隣にある東京芸大でやったライブを一回観にいきました。
ちょうどハードロックみたいなのがもう駄目だ、レッド・ツェッペリンは権威的だということが言われ始めた頃で、トーキング・ヘッズとかポリスとか、ニューウェーブが出てきた頃です。レゲエとロックの融合もあったんですが、そうやって民族音楽をロックに使おうとすると『ロッキング・オン』では「音楽の植民地主義だ」とか言ったりして。そういう時代でした。

――一高校時代に読んだ小説は。

磯﨑:サリンジャーくらいなんです、それが恥ずかしいことに。当時の都立高校の図書室にはサリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』しかないんだけれど、でもやっぱり「ライ麦」を読んだら「いいな」と思いました。白水社の野崎孝さんの訳の本です。それを何度も借りて、結局僕以外の誰も読んでいないので返さなくなって、今も実家にあるはずです。高校生にはぐっときたんでしょうね。それでサリンジャーの『フラニーとゾーイ』とか『ナイン・ストーリーズ』とかを文庫で読みました。

――一ところで小学校時代から高校時代まで、教科書に載っている古典作品などはピンとこなかったんですか。

磯﨑:こなかったですね。学校教育は答えがあることを前提にして読ませるもの。でも僕にとっては「この世界はなんでもありなんだ」と謳うロックを知ったのがとても大きくて。ルールや正解がある世界じゃなくて、もっと開けた世界観みたいなものに惹かれたんです。忌野清志郎が亡くなった後で、親しかった人たちが「清志郎は何があってもへっちゃらな奴だった」って言っていたのもすごく分かるんです。とにかく自由でこの世界は広いんだっていうことを、理詰めな説明ではなく、もっと身体に直接入ってくる感じで教えてくれたのがロックでした。これは保坂和志さんと意見が一致するところなんですけれど、思春期にロックを聴いて育った人は、いい大人になりますね。

――一ご自身も含めて。その違いはなんでしょう。

磯﨑:ルサンチマンに囚われなくなるのかな。大らかになるんでしょうね。

――一小中高と、作文など文章を書くことは得意でしたか。

磯﨑:得意とは思っていませんでしたが、大学入試模試で小論文の偏差値だけは異常に高かったですね。今になって思うんですが、それは『ロッキング・オン』のお蔭じゃないかと思います。普通の受験生が書くような文章ではなくて、「関係性の視座」とか書くから(笑)。

――一ちなみに高校時代、どんなファッションだったんですか(笑)。

磯﨑:80年代の都立高校って、ウソじゃないか?っていうぐらいに自由で、都立上野高校は単位制で私服だったんです。単位制というのは要するに大学と同じで、高校なのに「3限4限がないからちょっと上野に買い物に行ってくるわ」なんてことができるんです。高校の同窓会をやるとみんな「高校時代がダントツに楽しかった」と言うから、本当に自由だったんでしょうね。ファッションはまあ、ヘビメタ的なロックの格好ではなくて、アイビープレッピー。アメカジというか、要するに当時の普通の大学生みたいな格好をしていました。だから、上野の町を歩いていても、大学生と思われてる。

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