第165回:羽田圭介さん

作家の読書道 第165回:羽田圭介さん

この7月に『スクラップ・アンド・ビルド』で見事芥川賞を受賞した羽田圭介さん。そのぶっちゃけすぎる言動でも今や注目を浴びる存在に。そんな羽田さんに影響を与えた小説、作家を目指したきっかけ、そして高校生でデビューしてから現在に至るまでの道のりとは?

その2「17歳で文藝賞を受賞」 (2/5)

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――実際に小説を書くようになるのはいつくらいですか。

羽田:まず、高1の終わりぐらいに、僕の2個上の綿矢りささんが文藝賞を受賞して、新聞の広告に「17歳、文藝賞受賞」とあるのを見て、「本当に高校生で小説家デビューしちゃう人がいるんだ」って具現化された感じがあって。そこからですね。高1の終わりから高2の始まりくらいで、『文藝』とか『新潮』とか『群像』とか『文學界』とか『すばる』とかのバックナンバーで、過去の純文学の新人受賞作を3年分くらい読んで、傾向と対策を練ったつもりになっていました。それは大学受験をする必要がなかったからできたことだと思います。で、最初は高2のゴールデンウィークの時に、ただひたすら自転車で走る小説を書いたんですよ、100枚くらい。それは自分で「これは駄目だな」と思って没にして、今度は校内暴力の話を100枚くらい書いてそれも没にして、3つ目が高2の12月くらいから春休みにかけて書いた『黒冷水』で、それではじめて応募して、受賞しました。

――『黒冷水』で、見事17歳で文藝賞を受賞作されたわけです。受賞の連絡がきた時のことは憶えていますか。

羽田:その前に「最終選考に残りました」という電話がありました。一学期の期末試験最終日とかで、学校が午前中に終わって埼玉の自宅に帰ってきた時に、真っ昼間に電話が鳴ったんですよ。「あ、これ最終候補の電話かも」って思ったらその通りだったんですね。嬉しさのピークでした。実際は「あー、どうも、はい」とか言って、大きなリアクションはしなかったと思いますが、その後文藝賞を受賞したという連絡があった時も、最終選考に残ったという電話に比べたら喜びが弱いですね。今まで関係のなかった世界に関わりを持てたという点において、その喜びというのは、芥川賞でさえも及ばないですね。

――周りは大騒ぎではなかったですか?

羽田:一応高校生なんで、河出書房新社の編集者が高校と、付属の大学にまで挨拶に行ったんですよ。まあ、学校側はウェルカムっていう感じでした。で、その後しばらくして、土曜日の昼とかに剣道の授業を終えて教室に戻ってきたら話が伝わっていたみたいで、よそのクラスからも友達がばーっと集まってきてもみくちゃにされました。「お前、なにやってんだよ」とか言われて。僕が小説を書くなんて誰も知らなかったんです。なんか恥ずかしかったし、有言実行じゃなくて不言実行タイプですから。読書するキャラでもなかったので「お前、本なんか読めんのかよ」などと言われました。みんな本当に驚いていましたね。

――小説を書いている以外は、どんな高校生だったんでしょうね。

羽田:部活も一生懸命じゃないですし、高2からは帰宅部で、学校帰りにマクドナルドでどうでもいい話、下ネタ談義とかに花を咲かせていたんです。埼玉に帰って夕方の4時くらいから近くの江戸川に出て、自転車で40キロ走っていました。ツール・ド・フランスの選手を目指していました。

――ああ、運動は嫌いじゃないけれど、集団競技よりも個人競技のほうがお好きなのでは。

羽田:そうですね。だから自転車で走っていても、クラブチームに入るのは面倒くさいって思っていたんですよ。群れたくないって。それはある程度、外の世界に関わって自分の実力のなさを知るのが怖いという、臆病さでもあるんですけれど。

――それにしても、なぜ書いたのが純文学だったのでしょう。

羽田:もともとはエンタメのほうが馴染みがあったんです。その頃は花村萬月さんの『ブルース』とか『重金属青年団』とか読んでいましたし。花村さんの小説は、基本的にラーメンで言う"全部のせ"なんです。"男の全部のせ小説"。バイクと音楽とセックスと、暴力もあって...。僕もツーリングが好きだったし、音楽もはまりましたし。
でも綿矢さんが受賞した文藝賞というのはどうやら純文学らしいと思い、で、読んでみると、エンタメとは違う感じがあった。難しさを感じる反面、ある種の自由さを感じたんですよね。「こういう風に感動させなきゃならない」とか「こういう風にドキドキハラハラさせなきゃいけない」というのがあんまりないな、と思って。たとえば国産映画なんかは、大金が動くから多くの人を満足させなくてはいけなくて、そのため最大公約数的な内容になっていてつまらない。小説はそこまで人に気を使わずに書けるだろうなと思ったんですが、エンターテインメントはある程度最大公約数を考えなくてはいけないように感じられた。なんとなく、純文学のほうの自由さがいいなと思ったんでしょうね、今考えてみると。だって明らかに自分にとってはエンタメのほうが書きやすかったと思うのに、そこ行かなかったということは、純文学に惹かれたということですよね。エンタメの新人賞受賞作を読んでいると「なんかこういう予定調和なのって嫌だな」と思ったりもしたんです。大枠のストーリーが見えるのはいいんですけれど、紋切型の文章が連続していて、数行先の文章がずっと想像できる状態のものを読書するのは結構きついなと思ったんです。

――たまたまそういう作品を読んでしまったのかも(笑)。ちなみに、はじめて書いた自転車の話というのは、後に発表する『走ル』の原型ですか。

羽田:そうです、原型になったやつです。あれは本当に自分にとっては、純な文学だったと思いますね。2作目の校内暴力の話は、ちょうどその頃映画にもなったヒキタクニオさんの『凶気の桜』みたいな感じでした。ナショナリズムの青年たちが暴力で世直しする、みたいな話に近かった。格闘シーンとかも書いていましたよ。

――そう聞くと、それはエンタメっぽいですね。

羽田:そうですね。でも、行動原理とかがエンタメじゃなかったりするんです。

――『黒冷水』は兄の部屋を漁る弟と、けん制する兄の静かなバトルが描かれますね。

羽田:男子校だったことがデカいです。まわりに兄弟がいる友達が多かった。弟のカードゲームのレアカードを盗んで売り払ったりしている友達もいて、兄弟が相手の机を漁るという話はよく聞いていました。それで、共感してもらえる内容かなと思って書いたんです。

――ただ、終盤になって、「えっ!」という驚きも用意されていますよね。

羽田:あれは明確に、終盤で全部メチャクチャにしようと思っていたんです。あの部分は山本文緒さんの『群青の夜の羽毛布』の影響を受けています。あまりそのことを喋ったことはないんですが、あれくらい派手にやらなきゃいけないんだなって思っていました。僕は本上まなみさんファンだったんですが、彼女主演で『群青の夜の羽毛布』が映画化されたので、原作を読んだんです。『黒冷水』のラストは、あんな感じで盛り上げるということを意識していました。メタフィクションっぽい要素は松本侑子さんのすばる文学賞受賞作の『巨食症の明けない夜明け』の影響です。

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