第182回:塩田武士さん

作家の読書道 第182回:塩田武士さん

グリコ・森永事件に材をとった『罪の声』で話題をさらった塩田武士さん。神戸新聞の記者から作家に転身した経歴の持ち主と思ったら、実は学生時代からすでに作家を志望していたのだそう。大阪でお笑い文化に多大な影響を受けながら、どんな小説に魅せられてきたのか。影響を受けた他ジャンルの作品にもたっぷり言及してくださっています。

その2「多ジャンルでエンタメを学ぶ」 (2/5)

  • Slam dunk―完全版 (#1) (ジャンプ・コミックスデラックス)
  • 『Slam dunk―完全版 (#1) (ジャンプ・コミックスデラックス)』
    井上 雄彦
    集英社
    1,008円(税込)
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  • DEAR BOYS ACT3(19) (講談社コミックス月刊マガジン)
  • 『DEAR BOYS ACT3(19) (講談社コミックス月刊マガジン)』
    八神 ひろき
    講談社
    463円(税込)
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  • そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
  • 『そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』
    アガサ・クリスティー
    早川書房
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  • ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
  • 『ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』
    アガサ・クリスティー
    早川書房
    864円(税込)
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  • オリエント急行殺人事件 (古典新訳文庫)
  • 『オリエント急行殺人事件 (古典新訳文庫)』
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――いろいろな方向から創作の原体験が刻まれていますね。さて、中学校に入ってからは。

塩田:バスケットボール部に入ったんです。いちばん怪我するリスクが低いなと思って。もともと身体を動かすのは好きですが、家の中でひとりで過ごすことの楽しさもだんだん分かってきたのが中学生で、その結果室内でやるスポーツという中途半端な判断に至って。でも3年間真面目にやりました。
その間に僕、小説を書いています。なんで書き始めたのか憶えていないんですけれども、ストレスやと思います。バスケットボールでうまいこといかなくて、中学から男子校なので恋愛みたいなものもないですし、ということでストレスがたまっちゃったんですね。そこでなぜか知らんけど、ボクシング小説を書いたんです。原稿用紙4枚で1年間の話です。2枚目から面倒になって3枚目で放棄してて、4枚目で強引に終わるという。書いた時に「ああ、これはおもろないわ」って思って以来、書くのやめてるんです。

――なぜボクシングだったのでしょうか。

塩田:バスケットボールの描写ができひんかったんですよ。ボールをパスしてどうのこうのみたいなのが書けなくて。ボクシング小説といっても「殴られた」「痛い」とかしか書いていなかったんですけど。ボクサーが格好いい、みたいなのが漠然とあったんでしょうね。まあ、1枚目でボクシング始めて4枚目で世界チャンピオンになっていました(笑)。

――急展開(笑)。もともと小学生の頃から作文は好きだったり得意だったりしたのですか。

塩田:いや、作文で評価されたなと思うのは、高校からです。それまでは書くのは嫌いやった。嫌いやのになんで小説を書いたのかが分からない。どっちかというと喋るほうが好きやったので、書くことに関してはまどろっこしく感じていたと思います。

――クラスで面白いこと言って笑わせるのが好き、とか。

塩田:そうです。一番面白いことを言うってので勝負してました。中高は報徳学園というノリのいい男子校に行っていたんです。先生が書いたこと、片っ端から黒板消していくようなこともしたんですけれど、それがウケるか、先生の拳が飛んでくるかどうかってギリギリじゃないですか。参観日に親の前でケツパンされたりもしたんですが、それでもいかに盛り上げるかみたいなところで競ってました。僕の場合は結構トリに残されて、一人ずつパーンパーンって叩かれて、ほんまに痛いんです。でも「言い訳していいぞ」とチャンスを与えられると「ちょっと待ってくださいよー」と言ってウケを狙っていく。そこでワーッと盛り上がったら、母親も鼻高々なんです。

――え、お母さんも(笑)。

塩田:家帰って「どうやった」「たけちゃんが一番おもろかった」って(笑)。完全に変な文化だったんで。

――中学時代は小説を読むより、他のことに夢中でしたか。

塩田:そうですね。お笑いではダウンタウンがすごかったですし、ジャリズムが第2のダウンタウンと言われていて。「葬式DJ」とか「テント」といった名作コントがあって、それを繰り返し見ていました。葬式の司会進行をDJがするってやつです。
漫画だとやっぱり『和田ラヂヲのここにいます』が笑いのレベルが高くて。登山している人が頂上で瓶をぱーんって置いて「幼児の手の届かないところに置いたぞ」みたいなのがあるんですよ。「このオチええな」「フリがええわ」と読みながらみんなで言っていました。
漫画は他に『スラムダンク』ですね。それと『DEAR BOYS』という、少女漫画と少年コミックの間みたいなタッチの恋愛の漫画で、男子校の僕らは憧れましたね。でも「いいな」と言ったら軟派になるんで、それは認めない、みたいなのはあって。いかにツッコむか、という感じでしたね。たとえばヒロインと主人公が初めてキスする場面で僕らはみんな「良かった」と思ってるはずなんですよ。でもその後ヒーローの人が「もう一回いい?」と言う。その瞬間に僕らは「何ぬかしとんねん」「ど厚かましいわ」と言ってグワーッと盛り上がる。それから全然ちゃうことで「もう一回いい?」と言うのが流行りました。みんな満たされない思いを笑いに換えるところがありましたね。
ドラマでは「夏子の酒」ですね。お酒がテーマでこんなに面白くなるのかと思って。テーマ曲もすごくさわやかで、田んぼの風景が広がっていくんですよ。あの印象がすごくある。
「古畑任三郎」もね。三谷幸喜さん。人間のいやらしさみたいなものをスッと挟むんですね、笑いの間に。隠さなくていいのに隠すから余計怪しくなってしまうところなんかは松本清張の『共犯者』にも通じるところがりありますね。三谷さんはそういうのを笑いながら見せてくれている。
映画で印象に残っているのは「ソナチネ」ですね。これは強烈でした。たけしさんのことをはじめて北野武として見て、びっくりしたんです。ロシアンルーレットのシーンが怖かった。狂気みたいなものを剝き出しにして作っている感じがしました。久石譲さんの音楽も印象的でした。最後はほっとしたんですが、バッドエンドでほっとするなんて初めてでした。「このおっさん、このまま生きとってもしゃないで」と思ったんですよね。
音楽では日向敏文さんという作曲家も好きでした。「男女七人夏物語」に挿入されている「異国の女たち」とか、「東京ラブストーリー」とかを手掛けている人で、シンセサイザーのきれいな曲を作るんですよ。僕は歌詞よりも音楽をずっと聴いていたんですよ。久石譲さんが手がけた「あの夏一番静かな海」のサントラを探し回ったりしていました。

――高校生活はいかがでしたか。

塩田:劇団に入りました。喜劇役者になりたかったんですよね。三谷幸喜さん脚本の映画「12人の優しい日本人」を見て梶原善さんがいいなあと思って、それで劇団に入ったんですけれど、集団行動が全然面白くなくて。ういろう売りとか、何がおもろいんやと思っていました。講師がすっごい偉そうで、妙に信用できなかったんです。そんなに偉そうにするんやったらあんた、もっと役者として売れてるやろうみたいなのがあって。そう思っている自分も何をやらせても下手くそで、華もまったくなかったので「ああ、無理や」というのが漠然とありました。でもやっぱりエンタメをやりたかったので、セクション34というコンビを組んで、自分で台本を書いて漫才をやりました。僕がツッコミです。学校さぼって大会に出て、怪しいスカウトが来て怪しい事務所を紹介してくれて、そこでネタ見せしてライブに出たりもしました。「東京行け」って言われてたんですけれど、ちょっとやばいなと思って、高3の時に相方と「受験しよか」と言って解散したんです。相方は同級生だったんですが、僕が『罪の声』を出した時にFacebookを始めたら連絡をくれて、久々に酒飲んで懐かしかったですね。漫才をやっていたのは期間にしてみたら半年程度でしたが、ずーっとネタ考えて漫才録音してそれを聞いて「これは要らんな」とか言っていたというのがあって、あれが僕の青春でした。
漫才活動の研究目的で見ていたのがABCのネタ番組「ずんげー!Best10」で、千原兄弟さんが司会でした。ジャリズムのナベアツさんのネタがコントも漫才も本当に面白くて研究していました。今は桂三度さんっていう落語家やってるんですけれど。僕は記者時代にナベアツさんにインタビューしたことがあって、こないだ東海ラジオに行ったらご本人がいたんで、「実は昔インタビューさせてもらったんです」と挨拶して盛り上がりました。

――そんな高校時代、本は読んでいましたか。

塩田:読むようになりました。芥川龍之介の「羅生門」が教科書に載っていて、「下人の行方は、誰も知らない。」というラストの一文、「知らない」ってほったらかしてこんなに格好いいんかっていうのがありました。芥川の写真を見るとガリガリですけれど、当時の僕もガリガリやったんですよ。それで親近感をおぼえたこともあって、ここから芥川を読みだしました。「秋」というのも切なくて。最後に「秋――」とつぶやくのが格好よかった。とにかく文章と切れもタイトルも格好ええなあって。「舞踏会」もよかったですね。
そこから「小説って面白いなあ」ということで、綾辻さんの『十角館の殺人』を読んで「何これ」となって、「館」シリーズや、有栖川有栖さんのシリーズを読み始めるんです。高校時代ではなく大学時代やったかもしれませんが、大石圭さんの『処刑列車』などのホラーにもハマりました。アガサ・クリスティを読んだのもこの頃。『そして誰もいなくなった』、『ABC殺人事件』、『オリエント急行殺人事件』など、代表的なものを読んでワクワクしていました。

――芥川から新本格へと、ずいぶん飛びましたね。

塩田:その間に純文学にもいろいろ手を出したんです。でも、当時は「ものを考える」ということがとにかくしんどかったんですよね。瞬発力のある面白いものを求めていたんですよね。それで逆張りしようと思って姉に聞いた時に薦められたのが『十角館の殺人』で、これは夢中になりました。犯人に驚きましたし。

――いただいた資料に、「高校の社会科の授業で国際関係について書いた小論文がなぜか教師に気に入られる」とありますね。

塩田:これは芥川の影響を受けて、思い切り七難しく文章を書いたんですよ。自分の持っている一番高度な語彙、今思えばおもちゃみたいな語彙を書き出して、その語彙から逆算して書いたんです。それをやると不思議と賢そうな文章がうまく書けるんですよ。それは僕にとっては衝撃的でした。「文章ってちゃんとまとめ切ったらおもろいのかな」と思ったのはそれがはじめてでした。中学の時はまとめ切れずに一回距離を置いたんですけれども、高校時代は「疑惑」という小説を書きました。

――タイトルからしてミステリーなのかなと思うんですが。

塩田:ミステリーですね。あらすじは大体こんな感じです。大学の机の落書きでキャンパスのある場所が書かれてあって、その場所に行ったら庭で、掘ったら使い捨てカメラが出てきましたと。現像したら大学のクラスの女の子の私生活が写ってて、それを元に男の子が手紙で脅し始めるんですよ。表向きは良き相談者としてその子に近づくんですが、ある時その女の子に呼び出されてアパートに行ったら誰もいない。でもビデオテープがある。それを再生したら自分が脅しの手紙を投函している姿が盗撮されていて呆然とする、というのが幕引きで。文章はめちゃくちゃでしたが、それを姉に見せたら「小説家になったら」と言われたんです。でも僕はその時は漫才師などのエンターテインメントの世界に生きたくて、小説をエンターテインメントとしては捉えていませんでした。

――高校時代、他に影響を受けたものは...。

塩田:ナンシー関さん。こんなふうな人のいじくり方があるんかと思って。やっぱりお笑いの観点から読んでいました。それと、劇団に行っていたということもあって、映画はかなり見ました。阪本順治さんの「トカレフ」や「どついたるねん」、たけしさんの「キッズ・リターン」、森田芳光さんの「(ハル)」、それから「Shall We Dance?」、「遊びの時間は終わらない」、それと「日本製少年」というマイナーな映画も。

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