第183回:芦沢央さん

作家の読書道 第183回:芦沢央さん

2012年に『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞してデビュー、以来巧妙な仕掛けで読者を魅了している芦沢央さん。短篇集『許されようとは思いません』が各ミステリーランキングにランクイン、吉川英治文学新人賞の候補になり、新作『貘の耳たぶ』では新境地を拓くなど、ますます期待の高まる若手はどんな本を読んでその素地を培ってきたのか? 読書愛あふれるその遍歴を語ってくださいました。

その4「投稿生活と読書」 (4/5)

  • 冷たい校舎の時は止まる (上) (講談社ノベルズ)
  • 『冷たい校舎の時は止まる (上) (講談社ノベルズ)』
    辻村 深月
    講談社
    842円(税込)
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  • 坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)
  • 『坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)』
    司馬 遼太郎
    文藝春秋
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  • 夜明けの街で (角川文庫)
  • 『夜明けの街で (角川文庫)』
    東野 圭吾
    角川書店(角川グループパブリッシング)
    734円(税込)
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――大学時代も投稿を続けていたわけですよね。サークルなどには入らなかったのですか。芦沢さんが進学した千葉大は辻村深月さんのいたミステリー研究会などもあったのでは。

芦沢:あとから思えばミス研に入っておけばよかったと思うんですけれど、実は当時、ミス研の存在を知らなかったんです。でも、なぜか同じ学部の友達の中に創作をする人が多くて。それで友達同士で同人誌を作ろうという話になりました。小説を書きたい人は小説を書いて、漫画を描きたい人は漫画を描いて、完全なる創作を冊子にしようということで。実はそのなかで私以外に2人、作家になっています。名前を出すと自動的に彼女たちの年齢や出身大学も明かしてしまうことになるので一応伏せますが、それぞれルルル文庫と電撃文庫の賞を獲りました。その友人を通して、同じ大学にいた似鳥鶏さんとも交流がありました。

――作家デビューした人が周囲にそんなにいるとは。辻村深月さんとはギリギリ学年がかぶってないくらいですかね。

芦沢:そうですね。でも大学時代、辻村さんの小説が大好きで、普通にファンでした。デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』を読んだ時は、もう衝撃でした。どの登場人物に対しても「自分のことを書いてもらった」と思うってすごいことだと思うんですよ。私、辻村さんのことは発明家みたいに思っていて。視点の発明というか、こういうことってあるよね、というのを言い当ててくれるのがものすごくうまい。「ああ、そうだった、私の感情に言葉をつけてもらった」とか、他人に対してモヤモヤ感じていたことを「そうか、それで私はモヤモヤしていたのか」とか気づくことがたくさんあって。もう、トリックとかミステリーとかは関係なく普通の青春小説としてものすごく面白くのめり込んで読んでいたら、終盤に「うわー、ものすごいどんでん返しが来た!」となる。そして、それは決してどんでん返しのためのトリックではなくて、登場人物一人一人を大切に大切に枚数をかけて書いているからこそ説得力があるトリックなんですよね。もう完全にノックアウトされました。

――芦沢さん、ペンネームの由来も辻村さんなんですよね。

芦沢:そうなんです。「芦沢」というのは辻村さんの『凍りのくじら』という作品の主人公の名前が芦沢理帆子で、そこから勝手にもらったんです。デビュー後に辻村さんに「勝手にもらってすみません」とお伝えしたら、辻村さんも綾辻行人さんに「辻」の字をもらったということで「歴史は繰り返されるじゃないけれど、そうやって受け継がれていくのがすごく嬉しいです」と言ってくださって。「ああ、なんていい人なんだろう」と感激しました(笑)。央は「よう」と読みますが、これはせっかくなら下の名前も好きな作品である小野不由美さんの『十二国記』から頂きたいと勝手に思って、主人公の一人の「陽子」からとりました。あまり女性っぽくない名前にしたかったので「子」を取って、「よう」と読める漢字を探して字面的に気に入ったのがこれだったんですよね。でもよく「おう」と読まれるので、もう少し普通に読めるものにすればよかったな、って。
そういえば、小野さんや辻村さんや宮部みゆきさんがみんなお好きだということからスティーヴン・キングも読むようになりました。以前インタビューで「憧れの作家」を訊かれた時に、国内の作家さんを挙げるより、もう少し遠い人を言いたいなと思って「私の好きな作家さんたちに憧れられる作家で、そうやってどんどん子どもや孫みたいな存在の作家を生み出していくなんてすごい」という思いから、「スティーヴン・キング」と答えたことがあるんです。そうしたらウィキペディアに「目標とする作家はスティーヴン・キング」みたいに書かれてしまって、ああ、そこだけをまとめられちゃうとちょっとニュアンスが違うなと......(笑)。難しいですね。

――卒業後はどうされたんですか。

芦沢:大学時代も応募は続けていたんですけれど、三次まではいくんです。だいたい最後の20人くらいまではいくんですけれど、そこから上に行けなかったんですね。で、「やっぱり駄目なのか」と思って、でもどうしても本に関わりたくて、就職活動では出版社を受けまくりました。というか、出版社しか受けなかったですね。で、実用書や自己啓発書を出している会社に入り、編集者として働くようになりました。それまで自己啓発書ってあまり読んでいなかったんですけれど、読んだら面白いジャンルなんですよね。でも自分が一読者としてのめり込んでしまうのは編集者としてよくないので、一歩距離を置いて読むわけです。完全に仕事として読んで面白いかどうかとか売れるとか売れないとかいった目で読んでいました。この頃の読書量は年間400冊くらいですね。売れている実用書は全部読むし、自分が依頼する著者の本も全部読むし。小説も読んでいたけれどそういう読書も増えていくうちに、本を作って売ることがどれだけ大変なのか思い知ったんです。改めてエンタテインメントのベストセラー作家って本当にすごいんだなと思いました。それまでは部数についてあまり考えたことがなかったんですが、東野圭吾さんや宮部みゆきさんとか、毎回必ず何万人とかいう読者に読まれるなんてすごいことですよね。それまでも読んではいたんですけれど、またひと通り東野さんや宮部さんを読んだり、貫井徳郎さんや伊坂幸太郎さん、道尾秀介さん、乙一さんを読んだりしました。あんまりエンタメとかってジャンル分けするのもあれですけれど、角田光代さんとか桐野夏生さんとか荻原浩さんとか重松清さんとかも。例によってまた作家読みで、だーっと読んでいきました。
それとは別に、ビジネス書を作る時に、「『坂の上の雲』で読み解くビジネス論」みたいなものもあるので、仕事がらみで司馬遼太郎や藤沢周平を読んだりもしました。自分が読まずにいた作家を読むきっかけをもらったように思いますね。

――エンタメ小説でこれはよかった、というのは何になりますか。

芦沢:ものすごくたくさんありすぎてしぼれないですけど、有川浩さんの『空の中』には痺れました。後悔というものについての描き方がとにかく素晴らしくて。航空事故が起きて父親に死なれてしまった少年と少女が、様々な後悔と悲しみの中である間違いを犯すんですよ。その間違いが未知の生命体とのコンタクトに繋がっていくんです。すごい悲しみの中でそりゃ間違えたりするよ、と共感するんですが、その間違いがどんどん思いもよらない方向へ行って、いろんな触れ合いの中で間違いを正しながら進んでいって。SFとしてのものすごくしっかりとした造形もありつつ、ボーイミーツガール的な楽しみ方もありつつ、胸キュンもありつつ......完璧なんですよね。
連城三紀彦さんの短篇集『戻り川心中』も、普通に小説として面白く読んでいたら、いつの間にかもう足元からすくわれて、あっ、そっちだったのか、ってなって。こっちと思っていたらそっちから殴られる、みたいな衝撃にすごく感動して、いつかこういうのを書いてみたいとは思っていました。『許されようとは思いません』という私の短篇集に繋がっているなと思いますね。

――『戻り川心中』もミステリー短篇集で、花という共通モチーフはあるけれども、それぞれは登場人物もばらばらの独立した短篇ですよね。どれも鮮やかな景色の反転がある。『許されようとは思いません』も独立した、意外な展開を見せる短篇が並んでいるのは確かに同じですね。ところで、編集者時代に須賀しのぶさんに執筆依頼をされたと聞いたことがあるのですが。

芦沢:そうなんですよ。どうしても小説と関わりたかったこともあって転職したんです。そこはライトノベルの部署で、私は契約社員だったのですが、一般文芸の依頼もしていいと言われて。張り切って小野不由美さんと須賀しのぶさんと辻村深月さんにお手紙を出したら、会ってくださったんです。
まず、実在しているということに驚きました。中高時代にむさぼり読んでいた人たちが実在しているって。この目の前のこの人の頭の中にあんなに大きな世界が入っているなんて、どうなっているんだろうこの頭の中、みたいに思ってものすごく感動して(笑)。それまで作家っていうのは雲の上の存在で、自分もなりたいと言いながらもあまり具体的に考えられなかったんですけれど、一人の人間があれだけの世界を作ることは可能なんだと知って、それでたぶん、自分の書くものもガラッと変わったんですよね。
その後、ちょうど契約更新をするかどうかという頃に体調を崩したこともあり、また、自分も書きたいと思っているのに編集をやっているのは失礼じゃないかという思いも強くなってきて、退職することにしました。それで、とにかく自分ももう一度書いてみようと思ったんです。3月いっぱいで辞めて、4月から書いて8月に応募したのがデビュー作になりました。

――小野さんと須賀さんと辻村さんとはお仕事ご一緒できずじまいでしたね。

芦沢:そうなんです。結局一緒に仕事をする機会のないまま退職のご連絡をする形になってしまって......でも「お身体をお大事にね」と温かく送り出してくださいました。その後デビューが決まった時、これは筋としてきちんとご挨拶したいと思い、当時お世話になった方々にご報告したらみなさんものすごく喜んでくださって。小野さんは辞めた後も「最近観たホラー映画で面白かったのはこれでした」なんてやりとりを続けてくださっていたのですが、受賞時には大きな花束を贈ってきてくださり、ものすごく驚くとともに感動しました。

――いい話。ミステリーというか、どんでん返しのある話を書くようになったのはいつ頃ですか。

芦沢:きっかけは社会人になってからです。私、文芸誌もすごく読むのが好きなんです。作家のインタビューを読むのが好きなんですよね。それである時、東野圭吾さんが『夜明けの街で』を刊行された時かな、それに関するインタビューのなかで話されていたことが、まさにその頃自分が書いたばかりの小説のテーマそのもので。東野さんがミステリーのトリックや、キャラクターの面白さや、ストーリー展開の面白さなどという、いろんな要素を作品の中に注ぎ込んだ上でテーマをアクセントとして入れているのに、私はそれ一本でお話を作ろうとしていたと気づいたんです。東野さんのような、あれだけいろんな技術を身に着けている方が、毎回いろんな要素を全力で盛り込んで一作作っているのに、私が一つの要素だけで勝負するなんて百万年早いなと気づいて。その頃、応募原稿も「この選考委員がいるから、こういう話がいいに違いない」とか考えて書いて送って落ちる、というようになっていて。傾向と対策で書いている話なんて誰も楽しませていないし、私も書いてそんなに楽しくない、と思いました。それで、傾向と対策を練るのは止めて、せめて自分が楽しいと思うものを書こうと考えたら、どんでん返しの仕掛けを作りたくなったんですね。ここでこういうふうに伏線を張って、ここでバーンとどんでん返しをして景色が変わるようなことを書こう、と考えていたら楽しくてしょうがなくなりました。それに、「ここで驚くぞ」というのは読者がどう読むかを考えることにもなるんですよね。自分が楽しいと思って書くことで、読者視点が身についたような感じがありました。それで、とにかく自分が楽しんで書いたものが、女による女のためのR-⒙文学賞で最終選考に残ったんです。9年間応募して、最終選考に残ったのは初めてだったんですが、最終に残ると選評がもらえるんですよね。その時の選考委員が角田光代さんと山本文緒さんと唯川恵さんで、その方々が選評をくださったんです。すごく褒めてくださって励みになったし、「ここをこうすればよかった」というご指摘もすごく嬉しくて、「私が書くべきものはこういう仕掛けのあるものだったんだ」と思ったんです。それで気持ちが盛り上がって書いたのが、デビュー作になった『罪の余白』でした。これは山本文緒さんが選考委員をされていたので野性時代フロンティア文学賞に出したのですが、まさにその山本さんが推してくださって受賞が決まったそうで、すごく嬉しかったです。

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