第183回:芦沢央さん

作家の読書道 第183回:芦沢央さん

2012年に『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞してデビュー、以来巧妙な仕掛けで読者を魅了している芦沢央さん。短篇集『許されようとは思いません』が各ミステリーランキングにランクイン、吉川英治文学新人賞の候補になり、新作『貘の耳たぶ』では新境地を拓くなど、ますます期待の高まる若手はどんな本を読んでその素地を培ってきたのか? 読書愛あふれるその遍歴を語ってくださいました。

その3「高校の課題で小説を応募」 (3/5)

  • 舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)
  • 『舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)』
    森 鴎外
    岩波書店
    562円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    LawsonHMV
    honto
  • 恋愛中毒 (角川文庫)
  • 『恋愛中毒 (角川文庫)』
    山本 文緒
    KADOKAWA / 角川書店
  • 商品を購入する
    Amazon
  • 人のセックスを笑うな (河出文庫)
  • 『人のセックスを笑うな (河出文庫)』
    山崎 ナオコーラ
    河出書房新社
    432円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    LawsonHMV
    honto
  • 生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)
  • 『生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)』
    本谷 有希子
    新潮社
    400円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    LawsonHMV
    honto

――学校の作文の課題や、自分での創作など、文章を書くことについては当時どうだったんですか。

芦沢:作文はそれほど上手くはないと思っていました。毎年学校で優秀作の作文だけ載せるような文集を作るんですけれど、6年間1回も載ったことがなかったので。でも書くのは好きでした。学校が、小説を書かせるような課題を出すことが多くて。中2の時におじいちゃんおばあちゃんなど身近な人から戦争体験を聞いて小説の形にして提出するという宿題がありました。高校生になってからは、『舞姫』の続きを書けという課題とか。

――主人公の青年が精神を病んだ恋人エリスを残して日本に帰った後の話ってことですか。

芦沢:実はエリスが子どもを産んで...という話を作ったりしました。学校のみんながそういう課題をやっていたんです。だから小説を書くことへのハードルが低かったというのはあります。

――作家になりたいと思ったのはいつなんですか。

芦沢:高校生の時に書いたものを応募したら一次選考を通過したので、それがものすごく嬉しくて。私が書いたものを読んで、それを少しでもいいと思ってくれた人がこの世の中に一人でもいたんだ、と思ったら調子に乗ってしまいました。本当にそれだけですね。調子に乗ってしまって「もっと読んでもらいたい」と思って、わんさかわんさか応募するようになって。はじめはただ単純に書くのが好きだったんですが、応募してみたら応募するのが好きになって、応募したら結果が欲しいとなって、それから作家になりたいと思うようになって、大学生になる頃には「作家になりたい」と公言していました。

――高校生の頃に応募したきっかけは何だったんですか。

芦沢:きっかけは、これまた宿題ですね。「何かに応募しなさい」という課題があったんです。読書感想文のコンクールでもいいし、別のものでもいいし。そこに「小説を応募する」というのもあったので、それで、コバルト大賞に応募しました。ファンタジーではなく、全然普通の話で、怪我をして陸上を続けられなくなった女の子の挫折と再生みたいな話でした。別にコバルトに出すような話でもなかったんですけれど。

――そこからコバルト以外にも応募するようになって...。

芦沢:そうですね。当時は、ジャンル分けするのもあれですが、いわゆる純文学系の書いていました。読んでいるのが吉本ばななさんとか山田詠美さんとか、あと川上弘美さんも読むようになって、そういう世界にどっぷり浸かっていましたし。それと、私、綿矢りささんと同い年なんですね。生まれ月も一緒。ちょうど作家になりたいと思った頃に綿矢さんがデビューされたんです。私と生まれ月も同じ子が作家になるんだ、と驚いて、しかも読んでみたらものすごく好きで。それで「私もこういうの書きたい!」と単純に思ってしまったんです。なんていうんでしょうか、すぐそばにある日常をとてつもなく美しく的確でハッとさせられるような言葉で切り取るというのにすごく憧れたんですよね。それがその後の長い投稿生活の闇の第一歩だったんですけれど(笑)。簡単に言えば、川上弘美さんとか山田詠美さんとか、綿矢りささんの作品の劣化コピーみたいなものを量産しまして(笑)。それを何年も続けていました。もう、読むからに「あのね、川上弘美さんはもういるからね。しかもクオリティが全然違うからね」みたいなことを言いたくなるようなお話とか。

――川上さんの作品ではどれが好きなんですか。

芦沢:いちばん好きなのは『おめでとう』という短篇集です。どの話にも別れの予感というか、根底に寂しさみたいなものがあって、でも文体がすごく飄々としているんです。人を好きになるって悲しくて怖いことだな、でもやっぱり素敵だな、と思いました。すごくのめり込んで周りが見えなくなって、自分も壊れてボロボロになって、でもそれでも好きになっちゃうんだよね、でも終わるよね、みたいなことが、決して悲愴感なく柔らかな言葉でさらりと書かれているんです。でも食べ物の描写が美味しそうだったりして、どんなに辛いことがあっても食べるものを食べて、寝て、みたいな、衣食住のことがきっちり地に足が着いていて...というお話がすごく好きすぎて、もう真似だらけになってしまったところがあります。
のめり込んで自分でもコントロールできなくなるような、いわゆる純愛ではなく、気持ちがあまりにも強いという意味での純愛というのに弱いのもあります。山本文緒さんの『恋愛中毒』も何度読んだかわかりません。理知的な女性がどんどん壊れていって、「どうか私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように」と、神様ではなく自分自身に祈るシーンはあまりに印象的で、日常生活の中でもふいに思い出してしまうほどです。嶽本野ばらさんの『ミシン』の中の「世界の終わりという名の雑貨店」という短篇もすごく好きでした。ものすごく文章がきれいで、温度感と質感が素晴らしくて、一時期はほとんど暗記してしまっていたり(笑)。
山崎ナオコーラさんの『人のセックスを笑うな』にも、持っていかれました。ユリという年上の女の人が好きな男の子が、彼女のことを「目じりのシワもかわいい」「手を伸ばして触ると、指先に楽しさが移るようだった」と思い出したりする。顔が可愛いとかじゃなくて、本来であれば欠点になりそうな体の部位を、本当に愛おしそうに挙げるんです。ああ、好きになるってこういうことだよな、と完全に心をつかまれて。そして、読みながら張り詰めていった感情が、タイトルの由来である一文で決壊して、バーっと号泣しながら、一文にノックアウトされる快感にやられてしまいました。

――小説の細部をよくおぼえていますね。

芦沢:好きなものは何度も何度も読み返しているので。本谷有希子さんの『生きているだけで、愛。』も一文にノックアウトされた本の一つです。過眠症で引きこもり気味の主人公の元に、恋人の元彼女がやってきて別れを迫ってくる話なんですけど、自分自身をもてあましている主人公がものすごく切実なのにおかしみがあって、そのぶっ飛んだ言動を一読者として距離を置いて読んでいたはずなのに、あるところで急に作品と距離感が取れなくなる。ああ、わかると思ってしまうんです。「富嶽三十六景」のあのザッパーンとした波が見えるのは五千分の一秒、という話も出てくるんですけれど、その刹那感が人と人との関係の不確かさと重なって。

――本の表紙にもその富嶽三十六景の絵が使われていますよね。

芦沢:そうです、そうです。あと、森絵都さんの『風に舞い上がるビニールシート』も暗記しちゃうくらい好きなんですけれど。森さんは『カラフル』とか『DIVE!!!』の頃から好きなんです。で、『風に舞い上がるビニールシート』のあの表題作と『生きているだけで、愛。』には、共通しているところがあると思っていて。

――表題作は元夫を亡くしてしまった、国連難民高等弁務官事務所に勤める女性の話ですよね。共通点?

芦沢:自分だけの世界を築いている恋人や夫になんとか触れ合いたいし分かりあいたいし、向き合ってほしくて球を投げ続けるんだけれど、どうしても壁に阻まれて届かない、みたいなシチュエーションなんです、どっちも。「風に舞い上がるビニールシート」は、別れた夫が死んでしまって、その死を悲しむ資格が自分にあるのかというところから始まって、そもそも彼とどういうふうに出会ってどういう関係を築き、なぜ別れることになったのかを振り返っていく。彼は辛い人生を送ってきた人で、たとえ妻に対してでも完全には心を許さない、寝る時は必ず身体を離して寝るような人で。結局彼が国連の仕事で危ないところに行くのも引き止めたいけれど引き止められなくて、夫婦であることを辞める最後の日に寝ている彼の手に自分の手を添える。起きたら手を離されてしまうからこのまま時間が止まればいいのにと思って、でも起きちゃう。その時、彼に言われたあるひと言で号泣する...。そこがもうすごく好きなんですよ。人と人の付き合いって、ずっと分かりあえることってなかなかないし、それでも分かり合えることを求めてしまうのは悪いことではなくて、だからこそ辛いじゃないですか。だからその一瞬の救われる瞬間にガツンとやられてしまうんですよね。

  • 風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)
  • 『風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)』
    森 絵都
    文藝春秋
    605円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    LawsonHMV
    honto

» その4「投稿生活と読書」へ