第184回:朝比奈あすかさん

作家の読書道 第184回:朝比奈あすかさん

2006年に『憂鬱なハスビーン』で群像新人文学賞を受賞してデビュー、以来、現代社会のなかでいきる大人の女性の姿から少年や少女の世界まで、さまざまな設定・テーマで作品を発表している朝比奈あすかさん。その作風の幅広さは、幼い頃からの幅広い読書体験、さらには一時期アメリカに住んでいた頃の体験が影響している模様。ではその具体的な作品・作家たちとは?

その4「アメリカでの読書生活」 (4/5)

  • チョコレート工場の秘密 (ロアルド・ダールコレクション 2)
  • 『チョコレート工場の秘密 (ロアルド・ダールコレクション 2)』
    ロアルド・ダール
    評論社
    1,000円(税込)
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  • 魔女がいっぱい (ロアルド・ダールコレクション 13)
  • 『魔女がいっぱい (ロアルド・ダールコレクション 13)』
    ロアルド ダール
    評論社
    1,404円(税込)
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  • マチルダは小さな大天才 (ロアルド・ダールコレクション 16)
  • 『マチルダは小さな大天才 (ロアルド・ダールコレクション 16)』
    ロアルド ダール
    評論社
    1,512円(税込)
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  • ハリー・ポッターと賢者の石 (1)
  • 『ハリー・ポッターと賢者の石 (1)』
    J.K.ローリング
    静山社
    1,700円(税込)
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  • 赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)
  • 『赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)』
    ルーシー・モード・モンゴメリ
    新潮社
    724円(税込)
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  • ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)
  • 『ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)』
    C.S.ルイス
    岩波書店
    734円(税込)
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  • 新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)
  • 『新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)』
    遠藤 周作
    講談社
    648円(税込)
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――それで、その後就職をして。

朝比奈:日経新聞の系列の日経BP社という出版社に入って、毎日残業で終電で帰るような状態になり、仕事に関係ない本を読む時間がほとんどなくなってしまって。ビジネス書とか日経流通新聞とか日経産業新聞などを全部読んでいるだけで、いっぱいいっぱいという感じでした。
その後、2001年の9月11日に同時多発テロが起きたんですが、12月に結婚相手の赴任でアメリカ・シカゴに行くことになったんです。テロが起きた直後だったのでうちの親も反対したし、アメリカ自体も全体的にシュリンクしていく時代だったんですが、結局行きました。向こうで英語に馴染もうと思って調べたら、あちこちの教会がバイブルスタディという「聖書を英語で読みましょう」ということをやっているんです。駐在員とか留学生とか移民のために、キリスト教の布教も兼ねて、聖書をもとに英語を読みましょうという集まりです。それで、月曜日はこの教会、火曜日はあそこの教会...と、いろんな教会に通っていたんですが、その分科会で子ども向けの本を読むクラブがあって、そこでロアルド・ダールの本に会ったんです。『チョコレート工場の秘密』や『魔女がいっぱい』、『マチルダは小さな大天才』などですね。
 最初は、検屍官シリーズやウォーショースキーシリーズを英語で読みたかったんです。
筋を知っていれば読めるかなと思ったけれど、私には難しかった。『ハリー・ポッター』ですら難しかったんですよ。中学生の入学祝いに父が『赤毛のアン』の全巻セットを買って好きだったので、それも英語で読んでみようかと思ったら全然読めなくて。でも、ロアルド・ダールはすごく読みやすかったんです。私が唯一、英語で読み切ることができる感じでした。他には『ナルニア国物語』を読むクラブにも入りました。ラリイ・ワトスンという人の『Montana1948』(邦訳:『追憶のスモールタウン』)という本があって、この読書会もよかったです。1948年のモンタナでの町で、ネイティブ・アメリカンが日常の中で差別されていたという話なんですが、実際に読書会にネイティブ・アメリカンの方も参加されていて。他には『赤毛のアン』の読書会に参加したら、シェイクスピアなどの古典が踏まえてあるという部分がすごくあったことが分かり、英語で読めなかったのも当然だと思いました。日本語で読んでいた時も、「表面的にしか読んでいなかったんだな」と思いました。
そうやって英語の会に参加しつつ、日本語に飢えてきた頃、日本語の本が充実している図書館があるという情報を得たんです。駐在員の人が日本に帰るたびに自分の家にあった本を置いていったんだと思いますが、誰かの趣味だったのか、キリスト教徒の作家の本が充実していました。椎名麟三、曽野綾子、遠藤周作、高橋たか子、三浦綾子、有吉佐和子、小川国男...。内村鑑三もあったかもしれない。
それまで遠藤周作は『わたしが・棄てた・女』を読んで、女の子に冷たい仕打ちをする話なのであまりいい印象がなかったんです。でも『海と毒薬』や『沈黙』、『イエスの生涯』、『火山』『深い河』などをバイブルスタディと並行して読むと、いろいろと考えさせられるというか。
バイブルスタディをやってくださるアメリカ人の人たちってすごく優しくて親身になってくれるんです。自分の時間を使って無料で私たちに教えてくださる、その行為の源流は宗教からきているわけで、このままだとあなたは地獄行きだからキリスト教に目覚めてほしいという善意があるわけですよね。仲良くしていると「いつでも洗礼は受けられますよ」とか「もう神様はあなたの中に見つかった?」とか尋ねられる。そのたびに、ああそうか、ただの仲良しクラブじゃないんだなとはひしひしと感じてはいるんだけれども、同時に矛盾していることに、聖書を学べば学ぶほど、神様が残酷に見えてきたりする。「ヨブ記」なんて、すごい試練を与えますよね。ノアの箱舟も酷い話ですし、神様やりすぎじゃないかって。バイブルスタディの先生はそういったものを肯定こそしないものの「フィクションではない」という立場で読ませるので、私は何度も混乱し、「自分がキリスト教徒になれない理由」ばかり見つけてしまう。カトリック作家の遠藤周作の『沈黙』もまさに、神様に対しての「どうして」を真正面から書いていて、それがすごく分かる。じゃあなんで遠藤周作はキリスト教徒でいられるんだろうと思うわけです。遠藤周作は人間の残酷さを見つめざるを得ないようなところがあって、アメリカの妄信しているタイプのキリスト教徒の人たちとは違うのかな、とも感じました。日本の文化とカトリックの教え、両方の中にいると、現実と教えの矛盾にいつも対峙していかなければいけないものがあるのかなと考えたりしました。
 その頃影響を受けたものとして、ビルボードの上位のものだけを繰り返し流す「Kiss FM」という局がありました。チャーチへの往復は、毎日Kiss FMを流して運転していました。当時は、アーティストで言うと、インシンクとかPinkとかエミネムやアッシャー、コールドプレイあたりがよくかかっていましたね、そんな中で、The Black Eyed PeasというバンドのWhere is The Loveという曲の、ところどころ聞き取れる歌詞に切実なものを感じて、CDを買いました。同時多発テロやその後のイラク攻撃を受けて書かれた詞だと思うんですけれど、「What's wrong with the world, mam. people living like they have no mam.」という歌詞でもう心を鷲掴みにされて。母親に愛されて育った人がいないような世界になってしまったという意味かなと思ったんですが、「Send some guidance from above」という歌詞などもあって、「このアーティストたちはキリスト教徒なんだろうな」と思いました。牧師さんか神父さんか分かりませんが、キリスト教の先頭に立つ人でさえ、祈る段階を超えて、神様に叫んでいるというのが私の解釈です。この世界は全然あなたの教えを実践できていないから、天使か誰か、ガイダンスを送ってくれ、と。911の後にこの曲がラジオでかかりまくる国がアメリカなんだな、すごいなって思いました。
バイブルスタディへの往復のドライブでこの曲を聴き、帰宅して遠藤周作を読むという、キリスト教について考え続けた3年間でした。そして3年間お世話になりながらも自分が最後までクリスチャンにならなかったことについて考えていました。まわりには洗礼を受けた友達もいたし、帰国直前に説得に来てくれたクリスチャンもいた。宗教心がなかったら提供してもらえなかったかもしれない善意に応えないまま日本に帰る心苦しさで、最後まで自分の中で心の整理ができていなかったです。一応「仏教徒なので」と言うようにはしていましたが、仏教と神道との違いもちゃんと分かっていなかったし。結論としては、私は一神教に抵抗があるのかなって。多神教というか、色んな宗教や無宗教も受け入れるベースがほしくて、「お天道様が見ている」と言いつつ大きな山や滝とかにも手を合わせるというような、いろんなところに神様が宿っているという日本の曖昧さが私には合うのかなということになっていきました。

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