作家の読書道 第217回:乗代雄介さん
2015年に「十七八より」で群像新人文学賞を受賞して作家デビュー、2018年に『本物の読書家』で野間文芸新人賞を受賞、今年は「最高の任務」で芥川賞にノミネートされ注目度が高まる乗代雄介さん。たくさんの実在の書物の題名や引用、エピソードが読み込まれる作風から、相当な読書家であるとうかがえる乗代さん、はたしてその読書遍歴は?
その6「自然描写を重視」 (6/6)
――ご自身の小説にもたくさん、先行作品の引用をしますよね。実在の本の名前もたくさん出てくる。影響を受けたものは全部書きたい、という気持ちがあるのですか。
乗代:そうですね。特に自分が書き写している時に、作者が書いている時の感覚みたいなものを、まあ勘違いだと思うんですが、それを味わった時は使いたくなります。自分のものとして、と言ったら傲慢ですが、あんまり区別がつかなくなるんですよね。
――それと、自然描写もよく書きこまれますよね。今日もこの取材の前に人のいない利根川沿いを歩いて、景色を描写してきたそうですが。
乗代:実際にその場所に行って描写を書き込みます。(と、モレスキンのノートを取り出す)月日と時間と場所を書いて、目に見えているものを描写する。ひとつの公園に何度も行って書いたりもしています。季節によって植物も鳥も光も温度も変わるので...。
――あ、「3月〇日11時10分~11時22分」とか書きこまれていますね。「12時27分~13時42分」とあるのは、1時間以上ずっと同じ場所にいて描写していたということですか。
乗代:そのぐらいは全然やります。目につくことを書いている途中で、新しいことも起こるんです。野良猫が来たから野良猫のことを書き始めて、そしたら川面に風が吹いて輝いて「次はそれを書くか」と思っていたら、水鳥が降り立ったり......。それを延々と書いている感じですね。
――塾で教えていた時も、休日とかに関東近郊に足を延ばしたりされていたんですよね。
乗代:そうですね。今、塾の仕事がなくなったところで、ほぼずーっとそれができます。
――今、一日のサイクルはどんな感じですか。
乗代:6時から8時の間に起きて、書き写しをして。書き写しは夜やることもありますが、基本は朝やるんです。最近だと午前中の明るい時間のほうが人もいないので、公園とかに行って、描写して、戻ってきて風呂入って小説を書いたり本を読んだりして。
――その感じだと、生身の人間との接点が希薄になりそうな...。
乗代;もともと人間関係は仕事を除いてほぼ無いので。同級生とかも誰一人、連絡先知らないですし。家族とたまに連絡を取るくらい。――飲みに行ったりもしないのですか。
乗代:ネットで知り合った、たかたけしっていう、今「週刊ヤングマガジン」で連載をしている人と年に1回だけ会うというのがここ数年ですね。
――たかたけしさんとは気が合うところがあるのですか。
乗代:そうですね。あと、作家デビューする前、ネットでブログを書いている時から何かと気にかけてくれました。ネットで大喜利しているような界隈があるんですけれど、その界隈からも外れているような良くわからない人たちが集まって、「けつのあなカラーボーイ」っていう......
――んん?
乗代:すみません(笑)、そういう団体があったんですね。初めてたかさんに会った時に、それに誘ってもらったんです。よく分からないまま「じゃあやります」って入って、共同のブログにちょこちょこ書いたりもして。僕はあんまり出ていないんですけれど、イベントもやったりしてました。僕の方でも、ずっとコンビニ店員やってるたかさんを心配してたんですが、今は連載して単行本も出しているので安心しています。そういう縁で、年に1回会っていますね、唯一。
――今後、阿佐美景子のシリーズは続いていきますか。この先彼女が年齢を重ねていく姿も楽しみですが。
乗代:シリーズのことはいつも念頭に置いています。僕にとって、自分が見ることのできる現在の時点で彼女が何歳であるか、ということが大事なので、あまり先には行けないんです。現実と固く結び付けてしまうことは避けたいけれど、あまり先の世界のことを想像で書くこともしたくない。自然描写の練習をするようになった2、3年前から、その思いが強くなりました。想像で書く景色は本当に弱いので。
――今後の刊行予定や執筆予定は。
乗代:ブログの本と、今している取材をもとに書こうかな、くらいです。
――取材というのは人にインタビューするのではなく、自然の中を歩いて描写することですよね。
乗代:そうです。同じ場所を何度も歩いて描写すると、書いている感覚と見ている感覚が揃ってくるんです。地図に点を打って描写したものと紐づけておく。その場所について自分が良くわかっていれば、物語なんかはどうとでもなるというか。例えば、今日歩いてきた場所で誰が何をするか、その風景に見合う人や行動というのは、自分の感性と経験によって勝手に絞られていってしまいます。その場所で見たものや見えてくるものを書く、最近はそういう書き方が楽しいんです。
(了)