年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
内山 沙貴の<<書評>>
今月のランキングへ
今月の課題図書へ


溺レる
火怨
【講談社文庫】
高橋克彦
定価 (上)800円(税込)定価 (下)820円(税込)
2002/10
ISBN-4062735288
ISBN-4062735296
評価:A
 「火怨」。物々しいタイトルの下に横たわる歴史の動脈を駆け巡った武人たち。本書は8世紀に行われた坂上田村麻呂による蝦夷征伐を、東北の人々の立場で描いた、時代に翻弄されながらも力強く生きるために戦った蝦夷の人々の物語である。史実の中の名詞が血を浴び肉を持ちて縦横無尽に走り回る様は、人間の偉大さ、無尽蔵の活力を感じさせ、泰然と花を咲かす長寿の神木のように人を惑わし、引き込み、感動させる。山、山を臨む大地、万有の地を埋める武人。見上げれば空、空を横切る鳥の一点、風にそよぐ幾千もの旗、そして、静寂に支配された戦さの前の秋。どれだけ壮大であろうとも、果敢無く散る、定めもある。大切のな時と共に散った数々の命は、感動を隠して歴史の穴に眠っている。

退屈姫君伝
台風娘
【光文社文庫】
薄井ゆうじ
定価 520円(税込)
2002/10
ISBN-4334733883
評価:B
 夢と現実の境目がどれだけ曖昧なのか私は知らないけれど、この主人公を中心とする全ての物事は、呆れるくらいどっちつかずだった。中途半端な僕を悩殺するトロピカルな風子。非常識が氾濫して大洪水を起こし始めた日本列島。荒れた海。渦を巻く暴風雨。僕は中心値で巻き込まれながら、夢のような現実にいた。台風の目を臨む静寂の中、「きみ!駄目じゃないか、ここは立ち入り禁止だ」誰かが云う。僕はひどく悲しくなる。本当は自由に空を飛びたいのに、紐を引っ張られた風船みたいに。そして少しだけ秩序が回復した現実へと引き戻される。強引に。強制的に。適当に見繕ってある中途半端な世界へと。主人公と一緒に上空へと吹き飛ばされかける、変てこでぶっ飛んだお話であった。

最悪
ハードボイルド・エッグ
【双葉文庫】
荻原浩
定価 730円(税込)
2002/10
ISBN-4575508454
評価:B
 主人公最上俊平。どことなく粗忽で荒削りな奴だけれど、滲み出る優しさはいつも裏目に出る。だから捻くれている。夕日を背に向けて気取るのは気障だけれど、俗っぽいのも似合わない。要するに、何をしても似合わない、上手くいかない。なんだか可哀相だと同情してしまう主人公である。ところでお話の内容はといえば、喋ってしまうと楽しみが逃げてしまう。だから良ければ読んでください。本は逃げない。本の中から滲み出てくるようなあったかい空気に触れて、寒空にさらされて冷えた体と心が温まる。優しくなくても優しさを感じてしまう、温もりを残した恋人のオーバーみたいに、あったかいハードボイルドのお話であった。

木曜組曲
信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス
【新潮文庫】
宇月原晴明
定価 620円(税込)
2002/10
ISBN-4101309310
評価:D
 轟々と燃える炎、白く揺れる躯。艶かしく伸びた腕が火の中をひらひらと影を作り紅く映えている。木々に潜む影、ゆらゆらと揺れる鬼気。森を抜けて迫り来るモノの顔は異形、村に下りて人々を襲い喰らうしなやかな四肢、優雅な躍動。あやしかな。あやしかな。それは美しく、この世のものとも思えず、息切れするほどに魅せては止まない。そんな信長の不思議な歴史を大戦前のベルリンで密かに交わす。そのからくりは、ガラス細工のように精緻で危うい。ズンズン進むストーリィや画面のこちら側から見る昔の名作映画のような作り物めたさで、雰囲気はひしひしと伝わってくるのに、内容が取っ付き難かった。難しい小説であった。

銀座
長崎ぶらぶら節
【文春文庫】
なかにし礼
定価 500円(税込)
2002/10
ISBN-416715207X
評価:B
 まだそんなに昔ではない昔のこと、長崎の花月では芸者集が宴のお供となり、大きな庭には立派な牡丹が咲き乱れ、空には月、静まらない夜、華がそこここに咲き散り舞った。名妓愛八と学者古賀は長崎の歌を探す。長崎の華、割ったような気風の良さ、力強い歌声、品のある言葉たち。そんな精霊を一つひとつ集めた2人が蘇らせたぶらぶら節。調子を崩すことなく、丁寧に織り込んだ粋な着物のように、綺麗で落ち着いた品のある文体。どれだけ時が流れても、古びることなく味を増すセリフ。そうやって紡がれたこの素敵な物語は、人の命は儚いものでも、美しく強く散る命もあるのだと思わせる。ぶらぶら節はきれいな魂の宿った小説であった。

汚辱のゲーム
踊り子の死
【創元推理文庫】
ジル・マゴーン
定価 1,029円(税込)
2002/9
ISBN-4488112056
評価:B
 土砂降りの雨を部屋の中から眺める。ぬれた窓、乾いた雨音。窓に付いた雨粒が、部屋の光に照らされて暗闇の中から光る。夜雨の中、人が殺される。夜は明けて、草は水を含み、カサカサと鳴く捜査陣の衣擦れの音。湿った足音、乾いた空気。人々の驚きと悲しみの中から疑惑がじわじわと滲み出てくる。一体何が起きたのか。誰が何を知っているのか。標的はイス取りゲームのように人から人へと移ろい定まらずに宙に留まる。町はずれの寄宿学校で起きた事件の真相は中々知れてこない。最後までフーダニットを貫く、土砂降りも弾くドライなミステリ小説だった。

わが名はレッド
唇を閉ざせ
【講談社文庫】
ハーラン・コーベン
定価 (各)1,040円(税込)
2002/10
ISBN-4062735644
ISBN-4062735652
評価:B
 冷たい日差しを湖面に落とし、キラキラ光る幻想的な音楽をそよと吹く風が奏でる。人気のない森の奥、大きな湖のほとりで交わす、2人だけの祝福の時間。木々が陽を遮る影。突如現れた真っ黒い悪魔。そして世界が静粛が反転し、悲しみの闇へと閉ざされる。最愛の人を失って気力を無くした主人公が8年目にして気付くワナ。Tell No One.そんな神秘の言葉に支配されながらも主人公を取り巻く非現実的な虚構はハラハラと静かに壊れて、その先にある天国みたいな安らぎを与える。よそ見をさせない確かな筆力でアクションのはてにあるロマンティックな結末を演出している。恐怖が安らぎへと変わる快感。先がまったく読めないスリルと、ダレない安定感があるサスペンスミステリであった。

□戻る□