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小田嶋 永の<<書評>>


プラネタリウムのふたご
プラネタリウムのふたご
【講談社】
いしいしんじ
定価 1,900円(税込)
2003/4
ISBN-4062118262
評価:AA
 いつまでも読んでいたい、この話がいつまでも続くように、と思わずにいられない小説だ。ふんわりとした文章である、あたたかくやさしい言葉である。安易な比較で恐縮だが、宮澤賢治の物語を彷彿させる。山間の村にあるプラネタリウムで、捨て子だった双子は、「泣き男」と呼ばれるプラネタリウムの解説員に育てられ成長していくが、生まれながらに数奇な運命をもっていたのか、14歳の夏の新月の夜を境に、ひとりは手品師一座にまぎれて村を離れ、ひとりは郵便配達をしながら「泣き男」の後継者となる。ふたごのテンペルとタットル、泣き男、村の人たちに、楽しいことも、悲しい出来事も起きる。彼らは、プラネタリウムの闇に悲しみも喜びも溶け出していくかのように、それぞれがそれぞれの人生を受け入れ生きていく。ぼくたちの現実を、この小説世界に重ねることはできない。しかし、こういう世界に、読んでいる間だけは溶け込んでいくことができる。彼らの生き方に寄り添うことができる。そしてそれは、ぼくたちに、希望をもたせてもくれるのである。

葉桜の季節に君を想うということ
葉桜の季節に君を想うということ
【文藝春秋】
歌野正午
定価 1,950円(税込)
2003/3
ISBN-4163217207
評価:A
 ミステリを読むとき、謎解きにかかわりそうな記述を確認しながら、整合性を頭の中でとりながら読むだろう。そういう読み方をされることを承知で、その上をいくのがミステリの真骨頂だ。作者が手札をすべて見せていること自体がすでにトリックであり、「本格」の「本格」たるゆえんだろう。本作品で、ぼくは「ある事柄」に注意を配りながら、読み進めていった。それは、確かに間違った追い方ではなかった。にもかかわらず、終盤において「えっ!?」と思い、ページを繰り戻していった。うーん、齟齬はない。そしてすばらしいことは、この「謎」を知ったうえでも再読に耐える、なんてものじゃない。ハードボイルドとしてのいっそうの味わいができるという離れ業を見せるのである。

重力ピエロ
重力ピエロ
【新潮社】
伊坂幸太郎
定価 1,575円(税込)
2003/4
ISBN-4104596019
評価:B
 レイプによって生まれた異父兄弟と、がんで余命の短い父という家族の物語。彼らが、連続放火事件を追うミステリである。物語としては楽しめたのだが、惹句や著者紹介の文句が持ち上げすぎなところもあって、細部に少々ひっかかってしまった。テーマおよびミステリの謎ときの鍵として、「遺伝子」をはじめとした多くのキーワードというか関連事項を用意しているのだが、それらの必然性が感じられない。都合を合わせるための設定という印象も少なからずある。たとえば、主人公が遺伝子関連の会社勤務ということ。彼らの母も何で死んでしまったかは明らかにされず、それは男同士の家族を描くために舞台から引かされているように思えるのである。ガンジーやジョルジュ・バタイユの引用、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の芸術論など、やたら理屈っぽい教養的な会話よりも、登場人物の造型や行動にフィクションといえどももっと下世話なリアリティがあったほうがミステリ度も増したのではないかと思う。さもなくば、ストレートに(シリアスに)テーマと勝負してもよかったのではないか。あと、ミステリの技術として、主人公の「あとから思えば」という思わせぶりな表現が多すぎるのも、大場さん的にいえば「この本のつまづき」であった。

三谷幸喜のありふれた生活 2
三谷幸喜のありふれた生活 2 怒涛の厄年
【朝日新聞社】
三谷幸喜
定価 1,155円(税込)
2003/4
ISBN-402257836X
評価:A
 最近、ちょっと悲しかったことの一つが、『HR』が終わってしまったことだ。コメディでありながら、とてもスリリングな30分。演じているほうはたまらないだろう、とまでは思ったが、脚本家の心境までは想像が及ばない。そのあたり、このちょっと狷介なところのある脚本家の苦悩と、創作上のスタンス、笑いの原動力の一端がうかがえるコラムである。「僕らは与えられた情況の中で全力を尽くす。でもそれは決してベストではない。ま、だからこそ、次も頑張れるんだけど。」同世代で後厄のぼくが、『HR』でどれだけ元気づけられたことか。それがコメディの魅力であり、三谷幸喜の底力なのであった。

深夜のベルボーイ
深夜のベルボーイ
【扶桑社】
ジム・トンプスン
定価 1,500円(税込)
2003/3
ISBN-4594039316
評価:B
 ブームと呼べるのか、トンプソン作品の翻訳が最近少なくない。1954年に出版された本作品、原題はA Swell-Looking Babe、出版当時には『イカす女』という訳がつけられたそうだ。(ちなみに、1954年というのは山田風太郎は『妖異金瓶梅』を著している。)主人公ダスティは、南部の町でホテルの夜勤ベルボーイをしている。母親は亡く、父親も介護が必要な暮らしで、ある事件の裁判の弁護費用を出すために、ダスティは大学を中退して働いている。主人公が、罠とも思える美女の誘惑に絡めとられ、後戻りのできない犯罪へ加担していく過程を描く。物語は後半、意外な展開と真相が明らかになり、一気に読ませる。「ノワール」の定義がよくわからないこともあって、それほど「暗さ」は感じなかったが、主人公の父親への態度・感情の描き方はかなりリアリティがあり、人間の内面の(誰もがもつ)嫌な面を直截に表現しているのは、トンプソンの才能か。

スパイたちの夏
スパイたちの夏
【白水社】
マイケル・フレイン
定価 2,310円(税込)
2003/3
ISBN-4560047634
評価:B
 物語の語り手は、60を過ぎたスティーヴン。少年時代に暮らしたロンドン郊外のクロース(袋小路)と呼ばれる街路を再訪し、そこにかつての自分の姿を回想し、それがあたかも「現在」となって語られるというスタイルをとっている。第二次世界大戦下にもかかわらず比較的平穏な生活の中、「ぼくの母はドイツのスパイだ」という友人キースの言葉に興奮し、二人の「スパイごっこ」が始まる。大人たちの秘密に少年特有の好奇心から近づくことは、やがて思わぬ真実を突きつけられることになる。ミステリ以外のイギリス小説に触れる機会が少ないぼくが言えることではないのだが、ノスタルジックな味わいはもちろん、緊張感もある。そしてミステリ度も高く、こういう作者・作品がイギリスにはあるのだなあ、というのが率直な感想です。