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平野 敬三の<<書評>>



雷桜
雷桜
【角川文庫】
宇江佐真理
定価 580円(税込)
2004/2
ISBN-404373901X
評価:A
 読み終えてからもなお、強く強く心に残りつづける物語だ。時代小説という「制約」を見事に活かした上質なラブストーリーであり、男と女が互いに「埋め合う」ということの美しさと切なさを見事に描き切った傑作である。男女の間だけではない様々な「愛情」を何気ない一コマに浮かび上がらせていく作者の力量と美学に心から敬服した。一種の成長小説としても読めるが、主人公が欠点を克服して立派な人間になっていくのではなく、欠点はそのまま抱えながらそれでも凛と生き続けていく姿が感動を呼ぶ。ラスト近くで助三郎が口にする「育てたのは瀬田の祖母と瀬田の母だ。おんばはおれを産んだだけだ」という一言は実に象徴的だ。このような台詞が子から母への非難として響かず、反対に母子の絆をしみじみと感じさせるのだから並みの小説ではない。今月一番の収穫。

夜の果てまで
夜の果てまで
【角川文庫】
盛田隆二
定価 780円(税込)
2004/2
ISBN-4043743017
評価:B+
 個人的にこのラストは貫井徳郎の『慟哭』級の衝撃を受けた。恋愛小説というほとんど古典芸能のような世界で、こういう鮮やかな技を繰り出せる作家はそうはいない。とはいっても、読み終わった瞬間に「おおっ!」というのではなく、徐々に徐々に衝撃が込み上げてくる、そういう作品なのである(そういうのは衝撃とは言わないような気もするが)。とにかくナイーブな登場人物たち(特に正太)の減らず口にほんわかさせられる前半から一転、同じせりふでもまったく雰囲気が違ってしまうほど息苦しい後半までの流れが見事。卒業間近の学生と人妻が駆け落ちするという、いかにも小説的な設定をいちいちリアルに描いていくことで、ふたりの恋模様をグロテスクなファンタジーとして読者に提示する。自分が恋人といま一緒にいるのは、「一緒にいたい」からではなく「いまさら別れられない」からだ。そういうことはままある。その「いまさら」という状況を次々と築き上げていく作者の周到さが憎い。切ない、ではなく、「息苦しい」この恋愛劇は、「ラストのその先」を想像することでもっと救いようのない話になる。しかしそこで得られる余韻は、決してどんより曇ったものではないはずだ。

幕末あどれさん
幕末あどれさん
【PHP文庫】
松井今朝子
定価 980円(税込)
2004/2
ISBN-4569661092
評価:B
 時代小説にはぬるい小説とそうでない小説がある。ぬるいの代表格は池波正太郎、そうでないの方は山本周五郎だ。司馬遼太郎はその中間といったところか。山本周五郎のあの息苦しいまでの緊張感と比べると『剣客商売』のおっとりとした語り口はぬるい、としか言い様がない。とはいっても別にけなしているわけではなく、単純にひとつのスタイルにすぎないわけで、それを好むか好まぬかというだけの話である。
 松井今朝子の著作を読むのは本書が初めてだが、これは明らかに「ぬるい」時代小説の部類だ。しかも長い。ちょっとした苦痛だった。登場人物の苦悩をすくっていく文章は淡々としすぎてるし、いろいろと伏線を張っていくストーリー運びも「おお、そう繋がるか」という鮮やかさに欠ける。それでもBをつけたのは、幕末を生きる青年たちの情熱と途惑いと意志がその「ぬるさ」の中でぼんやりと浮かび上がっていく様がことのほか美しかったから。そして、一転、ラストでくっきりと形を成す宗八郎の思いに強く心を打たれたからである。

心では重すぎる
心では重すぎる(上・下)
【文春文庫】
大沢在昌
定価 (各)660円(税込)
2004/1
ISBN-416767601X
ISBN-4167676028
評価:A
 思いっきりおやじ臭い小説だ。主人公・佐久間の台詞や思考に、何度「あちゃー」と思ったことか。現代の高校生に対する佐久間のスタンス。謎の女子高生・錦織の心の奥底を暴こうとする作者の感覚。どちらも、似たテーマを扱った、たとえば石田衣良の『池袋ウェストゲートパーク』や東野圭吾の『白夜行』『幻夜』と比べると、救いようのないほど、おやじ臭い。しかし、読み進めていくうちに、だからこそこれは大沢在昌にしか書けない小説ではないかと思い、読み終えてその思いは半ば確信となった。これを世に問うのは、めちゃくちゃ恥ずかしい行為に違いないだろうが、大沢にはそれを敢行する勇気と覚悟がある。そのことに感動をおぼえた。そして本作に深みを与えているのは、目の前の若者を自分が理解できないのと同様、かつての大人もかつての自分を理解できなかったのだろうという佐久間の「気付き」である。そしてそのことに気付いていながらなおかつ「お前たちの考えは間違っているんじゃないか」と問い掛ける姿に思わずAをつけてしまった。大沢在昌という才能がいまだ小説の世界に必要とされているのだというのは、個人的に本当に嬉しい発見だった。

サハラ砂漠の王子さま
サハラ砂漠の王子さま
【幻冬舎文庫】
たかのてるこ
定価 600円(税込)
2004/2
ISBN-4344404858
評価:B
 アフリカ諸国では日本人と他のアジア人の区別がつかなく、いたるところで「ジャッキーチェン!」と呼びかけられる、というのは本当の話だ。そこで調子に乗った友人は「俺はジャッキーチェンの弟で、カンフーの達人だ!」と言ってのけエライ目にあったという。見ず知らずの人たちから憧れと恐れの入り交じったまなざしで見られたところまでは良かった。ところが。それが村中に噂が広まり彼の泊まっていた安宿に野次馬が押し寄せてきたのである。カンフーを見せてくれ頼む頼むと懇願され困った挙げ句、「分かった、明日になったら見せるからっ」と言いつくろって結局翌朝一番でこっそりと村を後にした、という話を聞いたときには「こいつ、本当にバカだな…」と思ったものだが、上には上がいるものである。たかのてるこは、本当に群集の前でカンフーしてしまうのだ。もちろん、彼女に武道の心得はない。
 一人旅(厳密には本作は一人旅ではないのだが)は嫌でも自分という存在の弱さや脆さに向き合わされる。だから必然的にシリアスになりがちだが、同時に、人が旅してすることなんて実にくだらないことばかりなのである。本書がおセンチよりもバカバカしさに重きが置かれているのは、そのことにたかのが自覚的だからだ。
 つまらない人間に面白い旅はできない。この本の面白さは、たかのてるこという人間の面白さであり、誰でもモロッコを旅すればこんな体験ができるわけではない。そうは分かっていても、読んでいるとモロッコをさまよいたくなってくる。うーん、困った。

ブルー・アワー
ブルー・アワー(上・下)
【講談社文庫】
T.ジェファソン・パーカー
定価 (各)600円(税込)
2004/2
ISBN-4062739569
ISBN-4062739577
評価:D
 ショッキングな事件を扱っている割に、ひどくぼんやりした輪郭の物語である。ぼんやりしていても雰囲気や流れる空気で楽しめる小説もあるが、これはそういうものとも違う。自分の死が限りなく身近な老刑事ヘスと、男社会でかたくなに出世にこだわるマーシのラブストーリーは設定としては好みなのだが、硬質な文体が肌に合わずにじっくりと堪能できないままに読み終えてしまった。「ここ、本当は泣けるところなんだろうなあ」と考えながらどうにもこうにも文章がぽろぽろと零れ落ちてしまう。これは本読みとして実に哀しい体験だった。相性が悪いとしかいいようがないのだろうか…。うーん。