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平野 敬三の<<書評>>


天空への回廊

天空への回廊
【光文社文庫】
笹本稜平
定価 980
円(税込)
2004/7
ISBN-4334737110

評価:
 スケールの大きな小説が必ずしも傑作になるとは限らない。本書はまさにその典型的な例で、物語の面白さがスケールの大きさについてこれないもどかしさがある。また、登場人物達の行動が、なにか物語の進行の都合に合わせているように感じられ、いまいち彼らが「生きている」感じがしなかった。たとえば宮部みゆきの一連の作品では、どんな端役であってもその人の暮らしぶりが薄ら見えてくるものだが、本書はひとりひとりが「コマ」のような扱われ方をしていると感じた。そのひとの「顔」を描こうと躍起になるあまり、中途半端な「物語」を本編に持ち込み過ぎて消化不良をおこしてしまっている。決して駄作と呼ばれるような作品ではないし、途中かなりエキサイトした場面もあるにはあるのだが、何しろこの長さだ。こういうことにこだわるのもどうかと思うが、「長い話」を読ませるからには作家としての責任はとても重いわけだから、このあたりはシビアにいきたい。ん? これって某直木賞選考委員と同じかな。(話題が古い)

とんまつりJAPAN

とんまつりJAPAN
【集英社文庫】
みうらじゅん
定価 580
円(税込)
2004/7
ISBN-408747724X

評価:
 どうかしてるよ! と日本各地のとんまつり(奇祭)に突っ込みを入れながら萌えているみうら氏が一番「どうかしている」のは自明だが、ここはやさしく見守りたい。とにかく巻頭の写真でまずは思いっきり笑ってくれ。そして本文を読みながら再び大爆笑。そしてその面白さを人に語りながら思い出し笑い。これが本書の正しい読み方だと思うが、ひとつ気をつけなければいけない。それは、読む場所や語る相手を選ばないと自分が「どうかしてる」と思われてしまうこと。でも、笑い祭りや一人相撲なんて、話さずにはいられないよなあ。ちなみに一人相撲の大三島は現在僕が住んでる西条市から車で日帰りできる島。まずはそこを手始めに、と真剣にとんまつり巡りを始めたくなってきている一方、妻の冷たい視線も……。うーん、行かせてくれ、頼むっ!


バルーン・タウンの手品師

バルーン・タウンの手品師
【創元推理文庫】
松尾由美
定価 714
円(税込)
2004/7
ISBN-4488439039

評価:
 いわゆる本格派と呼ばれるミステリ小説には、「なんだそれは」というようなどうしようもない種明かしに唖然とさせられるお粗末な作品が多く、たとえそれが本格派愛好家周辺で「傑作」と言われるものであっても読み終わるまでは決して油断できない。本書も、これは果たして謎解きと呼べるのかという茶番劇のような短編が続き、もうよっぽど途中で放り投げてやろうかと思ったが、まあまあ、小説は最後まで読んでみるものである。のほほーんとした世界に、最終章で陰を差すというのはよくある手法ではあるが、この正攻法が物語に程よい深みを与えている。個人の内面についてのつっこんだ描写が少なく、そこが特徴というか、私の不満な点でもあるのだが、こうしてやや色調がダークな最終章を読み終えてみるとその淡白さがこの物語の味だったのだなあと思い直す。うまい具合に「良い小説」に仕立て上げられているのが、ちと憎たらしい。


蛇の形

蛇の形
【創元推理文庫】
ミネット・ウォルターズ
定価 1,260
円(税込)
2004/7
ISBN-4488187064

評価:B+
 なんだなんだこの女の執念深さは、という不可解な思いをずーっと抱えながらラストまで読み進めたわけだが、解説にもあるように、それが作者のねらいであり、この作品の重要なポイントだと分かった瞬間、少し鳥肌が立った。非常に完成度の高い作品であり、読み手の感情をいとも容易く(しかも本人には気付かれないように)コントロールしてしまう作者のテクニックはため息が出るほどにうまい。おそらく誰が読んでも、十分に楽しめる作品だし、特にけちを付ける個所も見当たらない(逆にけちを付ける個所がもう少しあればAをつけたかも)。締めくくりも見事だ。……作品の完成度が高すぎるといまいち読後のテンションが上がらず困る。


ジェ-ンに起きたこと

ジェ-ンに起きたこと
【創元推理文庫】
カトリ-ヌ・キュッセ
定価 1,029
円(税込)
2004/7
ISBN-4488173020

評価:
 歪んだ愛がここにある。「なぜなら、あれは愛だったのだから」。ラスト近くでのジェーンの独白は痛いほど僕の胸を打つ。無性に泣きたくなった。げっ、気持ちわるぅ。そんな読後感の人もいるだろうが、僕にはこの歪んだ愛情の交錯が生み出す狂おしさがたまらなくツボだった。それにしても謎の種明かしも秀逸だったが(謎解きの答えが、ではなく、謎が解き明かされた時の主人公の心の動きの描写が)、そこに至るまでの作中ストーリーもお見事の一言。御伽噺では決してないが、変にお下劣ぶるわけでもなく、ひとりの女性の日常を「いいあんばい」に描いている。彼女の不安、喜び、怒り、哀しみ、後悔、すべてが作品を魅力的に彩っている。ラブストーリーの秀作として、長く記憶に残るだろう作品として広くお勧めしたい。


源にふれろ

源にふれろ
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
ケム・ナン
定価 945
円(税込)
2004/7
ISBN-4151748512

評価:
 いつまでもこの雰囲気に浸っていたい。そう思わせる作品である。青臭く愚かでナイーブな、しかしそれだからこそ最高に輝いていた日々を、丁寧に描き出した青春小説の傑作だ。個人的にこういう「退廃的な生活に汚されていくピュアネス」というテーマには非常に弱く過剰に入れ込んでしまうことを差し引いても、多くの人にお勧めしたいと思う。相手が善人か悪人か二者選択しようとするあまり、時に応じて善人に見えたり悪人に見えたりしてしまう、主人公の若さゆえの右往左往ぶりがいい。誰かを過度に愛したり、過剰に憎んだりすることができるのは、人生のなかの限られた期間だけだ。そして僕はと言えば、ひそかにその時代に未練を残しているのかもしれない。だからこそ本書を読んで、いいようもない胸の苦しさを感じるのだろう。

アインシュタインをトランクに乗せて

アインシュタインをトランクに乗せて
【ヴィレッジブックス】
マイケル・パタニティ
定価 840
円(税込)
2004/7
ISBN-4789723178

評価:B+
 人は誰しも何かにしばられて生きている。それは家族であったり欲望であったり夢であったり意地や見栄であったり、とにかくすべてのものから自由でいられる人というのはいないはず。本書のもうひとりの主人公、ハーヴェイはそれがたまたま「アインシュタインの脳」であったために、ひどく数奇な人生を歩むことになってしまった男である。何かにしばられて生きることは必ずしも不自由なのではなく、その人に大きな「生きがい」を与える事もある。それはもろくはかない蜃気楼のようなものかもしれないが、しかしそれを他人が不幸と決めつけることは決して許されない。人生の終わり近くでふいに訪れた「しばりから開放される瞬間」を前にハーヴェイが見せる言動がそれを雄弁に物語る。そしてそれを読みながら僕は胸を熱くするのである。かなりのおセンチと思われる作者の筆がまったく浮かないほどの、ほのかに切なく静かにドラマティックな物語を堪能頂きたい。