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勝手に目利き
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竹本 紗梨の<<書評>>


天空への回廊

天空への回廊
【光文社文庫】
笹本稜平
定価 980
円(税込)
2004/7
ISBN-4334737110

評価:A
 この異世界でのサバイバルは、天高くはるか8千メートルの上空で、目に見えない巨大な敵と果てしなく続けられていた。主人公の郷司は経験豊かな登山家だ。エベレストでの下山途中に衛星が落ちてきて九死に一生を得るが、別の場所で登山中の親友が重症を負ってしまう。郷司は、冷戦時代の重大な秘密をはらんだその衛星にからむ巨大な陰謀に巻き込まれていく。郷司の武器は、その身体一つと経験値のみ。そこには薄い空気と寒い空気、そして人の感情だけが存在している。息をつく暇もなく戦いは続くが、その戦いに勝てるのは、その想いの強いものだけ…。強く、鋭くエベレストや厳しい自然を描写している。長い物語でたくさんの登場人物と、たくさんの陰謀・思惑が描かれているが、その思いが1つにつながった瞬間に起こる力は見事だった。この長さを読ませる力のある小説だ。


とんまつりJAPAN

とんまつりJAPAN
【集英社文庫】
みうらじゅん
定価 580
円(税込)
2004/7
ISBN-408747724X

評価:A
 今年は記録的な猛暑。35℃を越す暑い日に、ごろごろと汗をかきながら床に転がって読むのにこの本はピッタリだった。面白がりの天才みうらじゅんが“とんまな祭り=とんまつり”をただ見るために、ただ写真を撮るために、どんな辺鄙なところにでも出現する、そして驚く、喜ぶ、脱力する。「うーん、どーかしてる」とつぶやきながら、下ネタ、シュールネタ満載の祭をカメラにおさめていくのだ。十分この人もどーかしてると思うけれど。変わったものを見たら、バカにしたり、上から見ちゃいけない。だからこの「どーかしてる」と言いながら、喜んで楽しんでしまうのが祭りの粋な味わい方だ。雑誌連載時のタイトル「わびさびたび」より断然「とんまつりJAPAN」だ!地元にとんまつりがあればいいのに。秋になったら、みうらじゅんが怪しく前列に陣取って、写真を撮りまくっているところを祭に混じって見てみたい。


バルーン・タウンの手品師

バルーン・タウンの手品師
【創元推理文庫】
松尾由美
定価 714
円(税込)
2004/7
ISBN-4488439039

評価:C
 近未来の東京では、人工子宮が普及していて自分のお腹を使って産む必要がなくなっている。そんな中、従来通り10ヶ月間自分のお腹で育てて子どもを産む妊婦が集められていた。通称バルーンタウン。そこで起こった奇妙な事件を妊婦探偵が解決していくのだが…その事件と謎解きにどうしても入りこめない。近未来ものだったらその世界観にどっぷり浸かりたいが、なんというか淡々としすぎていて外側から見てしまう。主人公の“さばさば”ぶりにも特に憧れは抱けず。ただ妊婦を特別視せず、バルーンのような体型を持つただの女性として、とても乾燥した描き方をしているのは新鮮だった。


ジェ−ンに起きたこと

ジェ−ンに起きたこと
【創元推理文庫】
カトリ−ヌ・キュッセ
定価 1,029
円(税込)
2004/7
ISBN-4488173020

評価:A
 ある朝、ポストの中に原稿用紙がぎっしりと詰まった封筒が置かれていて、その中には自分自身の過ごしてきた人生が何から何まで書かれていたらどうしますか?ジェーンの元に届いた不思議な手紙。ジェーンが読み進め、感想やその間の行動が挿入されて、ジェーンの不安と人生とを共有していく。ジェーンの恋人、結婚、仕事と何もかも赤裸々に書かれていて、その作者の予想も、読み進めるうちにどんどん覆っていく。誰がジェーンのことをずっと見ていたのか、そしてどうしてこんな手の込んだやり方をするのか。ジェーンの自尊心もプライドの高さも、不安も能力も依存性もすべて明かされる。読んでいるジェーンが狂ってしまったのかと思うこともあった、それほどこの一人の女性の内面が生々しく描写されているのだ。巧みな構成と畳み掛けるような、心理描写。作者の意図通りか、読んでいる間中、ジェーンがひとりきりでその気味の悪い小説を読むアパートに気持ちが飛んでいた。共感する部分がない人がいれば、それはとてもうらやましいことだ。


源にふれろ

源にふれろ
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
ケム・ナン
定価 945
円(税込)
2004/7
ISBN-4151748512

評価:B+
 暗く重苦しい青春小説だ。この主人公の切なさや焦りを笑って読み飛ばせる人はそうそういないと思う。何もない砂漠の町から大波の中に飲み込まれ、じたばたと人生を探し始める主人公の少年アイク。初めて買ったサーフボードには「源に触れろ」のロゴが入っていて、店の店員にだまされて買った、大波用のボードだけどそれを手放した後も心に残っている。アイクは姉の失踪にまつわる秘密に近づくため、その町で挫折を繰り返しては、生き抜く術を覚え、子供には手におえない世界があることを知った。伝説のサーファーも、成功した人間もかつては「自分の生き方を持っていた」。ただ大波にのまれるより早く、自分の人生を壊して行くのを間近で見てきた。だけどアイクも恋人のミッシェルも踏み潰されても、あきらめないのだ。負け犬のしるしのタトゥーを持ったまま、自分で自分を潰してしまわないよう生きていく…。本当に重苦しい小説だ、人生の重苦しい部分をきっちりと切り取っている。


砕かれた街

砕かれた街(上下)
【二見文庫】
ローレンス・ブロック
定価 880
円(税込)
2004/7
ISBN-4576041282
ISBN-4576041290

評価:B
 同時多発テロで攻撃されたニューヨーク。ホモの掃除夫や、警察の大物、セックス依存症の画廊オーナーに、作家、そしてテロですべてを失った初老の男性。ニューヨークで暮らす人間たちをすり抜けるような目線で、一人一人が近い距離で描かれている。アパートで起きた女性の殺人事件、犯人は誰なのか、そしてその目的は?この一点から線が伸び、たくさんのニューヨーカーがこの線に絡まってくる。破滅的な、狂ったようなセックスの描写に比べて、犯人のラストについては多少線が弱まり、物足りなさも感じた。だが、テロが残した傷跡を、不安定なままの登場人物に背負わせ、“砕かれた街”を立体的に作り上げている。人によって大切なものは異なるし、どんな人間でも他人のそれを砕く権利はない。


アインシュタインをトランクに乗せて

アインシュタインをトランクに乗せて
【ヴィレッジブックス】
マイケル・パタニティ
定価 840
円(税込)
2004/7
ISBN-4789723178

評価:B
 稀代の大天才、アインシュタインの脳が今でも、一研究者の手元に置かれている。そのことを知った「僕」は研究者に接触し、ひょんなことから、その脳を遺族に渡す長い旅に出ることになった。「僕」は3年ごとに旅に出る、今も恋人が先に文章でデビューしたところで、犬と毎日暮らす日々だ。この旅に出る描写が上手い。この感情─とりあえず変化を求める、もし駄目になってしまってもいい、とにかく何かを変えたい─が淡々とした主人公の「僕」から多少の寂しさをこめて伝わってくるのだ。こういった場合、旅先で考えるのはやはり、その残してきたものたちのこと、絶えず電話が気になり、自由に旅をしているのに、いつもいる場所のことばかりが気にかかるのだ。何十年もの間、アインシュタインの脳とともに過ごし、たくさんのものを得て、またたくさんのものを失ってきたハーヴェイ博士と、これからの「僕」。旅では何も変わらないかもしれないが、小さなきっかけを掘り起こす、そして大切な何かを思い出す貴重な機会になることを思い出した。