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和田 啓の<<書評>>


迎え火の山

迎え火の山
【講談社文庫】
熊谷 達也
定価 900円(税込)
2004/8
ISBN-4062748371

評価:C
 先日の直木賞発表で、奥田英朗と共に新直木賞作家になられた筆者。人知を超えた東北の森の深さや自然の重厚さ、森厳さに触れられる期待を持って本書を手に取った。
 霊峰の羽黒、月山、湯殿の出羽三山で旧盆に行われる採燈祭復活に向け物語は進行していく。その祭りは歴史的にいわくつきのものではあったが、町興しという名目が最優先され地元若者を中心に推し進められて来たのだ。祖霊に紛れ込んで伝説の鬼たちが里に降りてくることも知らずに……。
 都会から戻ってくる者、田舎に生き続ける者、そのふたりの間に立つ女性という三者関係はどこかで見た風景だった。少年、少女だった頃の思いや戸惑いが数年後の再会で耐えがたく甦り、物語に色彩を添える展開も定型的だと感じた。ユタやシャーマンといった超常現象的なものよりもあくまで土俗的な信仰面で物語を収斂して欲しかった。

火の粉

火の粉
【幻冬舎文庫】
雫井 脩介
定価 800円(税込)
2004/8
ISBN-434440551X

評価:AA
 人を裁くのは因果な仕事だ。判事にとって死刑判決だけは平常心で向かうことのできる仕事ではないという。こんなに重い決断を迫られる職務がほかの分野にあるだろうか?自分の判断一つで人間の命を奪うか救うかはっきりと分かれるのだ。
 この作品に流れる静かな緊迫感は何なのだろう。東野圭吾『白夜行』以来の戦慄をわたしは受けた。秋の夜長にぴったり、読書する愉悦にどっぷり浸れる作品だ。
 他人が自分の家に侵入してくる恐怖。自分の五感を無造作に踏みにじられていく慄きを巧みに描いている。指を使った浣腸に驚かされた介護や姑嫁問題の地獄絵が最後には平和なエピソードにも思えるほど「彼」の人物造型は秀抜だ。こういう人が寄ってきたらひたすら逃げるしかない!登場人物中、最も賢い嫁・雪見のように五感の警戒センサーを作動させるしかない。人を裁くという高尚なテーマは最後まで通奏低音のように響いている。あやまちを認めた法の番人の後ろ姿が心から離れない。

嫌われ松子の一生

嫌われ松子の一生(上・下)
【幻冬舎文庫】
山田 宗樹
定価 600円(税込)
定価 630円(税込)
2004/8
ISBN-4344405617
ISBN-4344405625

評価:AA
 今回の課題本の中で一冊と云われたら、本作になる。福岡の片田舎で生まれ厳格な家で育った川尻松子。中学教師時代までは堅気の人生だったのだが、人のよさが転じて流転の道を歩むようになる。このあたりの転落ぶりは時代がかった一昔前の大映ドラマのようなのだが、彼女は自分を不幸だとは思わない。人生に対し肯定的でなによりひたむき。どんな境遇にあっても人を信じる心の美しさとその一途さはフェデリコ・フェリーニの映画の女性を想起させた。恋人を亡くしたり、ソープ嬢になったり、人を殺して刑務所に入ったりといろんなものを人生から無くしていくのだが、ほんとうに大切なものは捨てていない。
 彼女のような人生は、現実にも無数にあったはずだ。たったひとつの何気ないことから身を持ち崩した人は大勢いるだろう。語られることのなかった物語……。
終盤、妹と邂逅するシーンは涙なくして読めない。この世から松子は嫌われた。だから言おう。あの世でも元気に暮らせヨ、松子姉!

海猫

海猫(上・下)
【新潮文庫】
谷村 志穂
定価 540円(税込)
定価 580円(税込)
2004/9

ISBN-4101132518
SBN-4101132526

評価:A+
 港町函館。親子三代の愛憎の物語。いつまでも、高く響く海猫の鳴き声と青い目が忘れられない。
 人を愛することはどういうことなのか。夫婦の契りを交すこととは。生命の誕生とは何を意味するのか。多くを考えさせられた作品だった。谷村志穂のこれぞ力仕事というか、背負い投げを喰らってズッシリと青い畳に投げつけられた、そんな作品だ。
 運命の男女、薫と広次がふたり歩いていて、函館山の山肌から順に、夕陽が海へ向かって石畳の道を美しく照らしていく象徴的なシーンがある。禁断の恋を貫いたふたり。父親の違う姉妹。すべてを見守る、おばあのタミ。誰にも止められない時という齢。北海道人の心意気とやさしさ、知恵、哀愁そして人生がランボーの詩のように函館の海に溶けていく。どうにもならないのが人生の真実だが、わたしの魂は救済された気がした。

真昼の花

真昼の花
【新潮文庫】
角田 光代
定価 420円(税込)
2004/8
ISBN-4101058229

評価:C
 定職に就かず、あてどなく東南アジアを旅する24歳の女性が主人公。旅行期限は未定でお金はなんとかなるという、バックパッカーするには理想的な境遇。表向きは行方不明の兄を見つける旅ではあるが、長い旅の途中から切実性なんてものはなくなり、糸の切れた凧状態に。旅の目的は遠くに流れ、滞在地にいる意味を失い、悪い逗留いわば「沈没」してしまうのだ。作者は感受性豊かなあの角田光代である。どこかで一気に場面が反転する、閃くような一言半句を心待ちに読み進めたのだが、ついぞ現れなかった。沼に浸かったままのような読後感。沈没。
 もう一篇、「地上八階の海」。兄夫婦が暮らす郊外のマンションに移り住んだ母を訪ねる娘の物語。都市の希薄な人間関係、現代というある種空疎な時代を生きる空気のようなものは伝わってはきたが、救いがないと浮かばれないぞとわたしは思った。

ダーク・レディ

ダーク・レディ(上下)
【新潮文庫】
R・N・バタースン
定価 各700円(税込)
2004/8
ISBN-4102160159
ISBN-4102160167

評価:B+
 リーガル・サスペンスの雄、リチャード・ノース・パタースン。本業でも弁護士であり、その卓抜としたプロットと深みのある人物造形は、読む前から期待させる作家である。
かつては製鉄で栄えたアメリカの地方都市スティールトン。時代の中で悲惨なまでに衰退し、今まさに街の復興を目玉とした市長選が繰り広げられようとしていた。主人公は所轄検察局殺人課課長の女性検事補ステラ。まずはヒロインが実直で頭がキレ、愛らしい役柄で心躍らされる。街を代表する麻薬犯罪専門の弁護士が殺されるところから物語は幕を開ける。彼はステラが唯一心底から愛することのできた元恋人だった……。
政官財の組織だった腐敗構造が皮膜を剥がされるように明らかになっていく。彼女の痛みを伴って。いつもながら神経の細部にまで作者の筆は冴えわたる。よすがを求めて人は生きるしかないのか。