年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

藤本 有紀の<<書評>>



蒼穹の昴

蒼穹の昴(1〜4)
【講談社文庫】
浅田次郎
定価 620円(税込)
2004/10
ISBN-4062748916
ISBN-4062748924
ISBN-4062748932
ISBN-4062748940

評価:B
 カリスマだった乾隆帝の治世からおよそ150年下った清朝末期、王朝は衰弱し国民は飢えていた。西太后といえば、チン奇な宦官を重用したことで悪名高い、恐怖政治の為政者というイメージで語られがちであるが、実は、夫と息子・二代続いた愚帝に代わって政治を行った悩み多き女性、なのかもしれない。農村で赤貧の生活をしていた春児は占いどおりの運命を切り開くため宦官となり、同郷の文秀は激しい競争を勝ち抜いて科挙登第を果たす。聡明な光緒帝は官僚たちの熱意に触れ改革を夢見るが、「チンパアパア」と慕う西太后は甥帝への愛ゆえなかなか玉座を譲らない。各人の理想と野心が対立しあい内政は混乱。外国の侵略という難局にも面したセカンドラスト・エンペラーのドラマティックな時代。そんな激動の中にあればこそ、無名の人のささやかな営みに胸をうたれることがある。「その夜ー二人は小さな寝台で、番の鳥のように眠った。」この恋人たちの幸せを涙ながらに願う。オザキでもいい、リリカルでもいい、もっと号泣させてくれ! エリートは、血を吐くような努力なくしてならない。ラストの文秀の矜持に喝采したい気持ち。


未来のおもいで

未来のおもいで
【光文社文庫】
梶尾真治
定価 500円(税込)
2004/10
ISBN-4334737676

評価:C
 時空を超えて惹かれあう、朴訥な男と真っ直ぐに生きる女の物語。2006年の滝水浩一と2033年の藤枝沙穂流の出会いは、登山の途中、急な雨の中。天然の洞穴で雨やどりをする男女。不思議なことにこの洞の中に置いておく手紙や物は時空を超えるため、互いに違う時代に生きているんだということを、時間を追って二人は理解する。クライマックスで、やはり再会を願う気持ちは高まっていたのだと納得するが、恋心の描写はかなり抑制されており、さらに滝水と沙穂流の父のちょっといい話なんか挿まれたりして、ラブストーリーオンリーという風には進まない。筋書き自体は否定はしないが、純愛に特化したほうが泣ける話になっただろうと思う。冒頭の滝水の人物描写がより年長の男性を想起させはしないかという点が気になる。私は50代男性を思い浮かべた。また、「〜だった。〜した。」で結ばれる過去形・平叙文があまりに続くのがちょっと退屈。


若い読者のための短編小説案内

若い読者のための短編小説案内
【文春文庫】
村上春樹
定価 470円(税込)
2004/10
ISBN-4167502070

評価:A
 村上春樹といえばだれもがアメリカ小説との親密さを思い浮かべるが、日本の小説は意識して読まないようにしていたことがまず最初に明かされている(その理由も)。そんな村上が「実作家である」ことを「横糸」に6つの日本の短編小説を読み解く。ファンとしてはどうしても、村上作品との関連を照射して読んでしまうこの本。
「物語=ファンタジー」の世界を追求するタイプの村上は、安岡章太郎「ガラスの靴」に共通するものを感じるという。村上に批判的な意見には、身の上話を書かないから駄目だとか、自殺した恋人がいる/いないに踏み込む乱暴な批評家もいるけれど、村上版『個人的な体験』は書かれない、書かれるはずがない。「私小説が駄目」と認めるわけだから。ロシア語が堪能だった長谷川四郎のスタイルが「満州とシベリアの風土に合い過ぎていた」という興味深い考察もある。いつの間にか英語のペーパーバックがスラスラ読めるようになっていたという村上と長谷川は似ている。庄野潤三についてやや厳しい指摘もあるが、村上春樹の文章というのは意見の強さは損なわず、露骨さ、下品さ、辛辣さを感じさせない点で優れている。


旅行者の朝食

旅行者の朝食
【文春文庫】
米原万里
定価 490円(税込)
2004/10
ISBN-4167671026

評価:A-
 ロシア語同時通訳という経歴からも、子供の頃プラハで育ったことからも、世界各地で我々の知らない美食を体験してきただろうと思われる著者。それは真実の一面だけを照らしているに過ぎない。旅すれば、まずい物に出会う機会も均等に訪れるわけだ。
ハイジがおいしそうに飲んでいた山羊のお乳の味に、アルバニアでついに巡り合った米原は、それがものすごく腋臭臭いものであることを知る。デザートの生クリームも腋臭味。ハイジと腋臭というイメージを与えられ、頭の中でヨーデルの裏声と腋臭臭い乳製品が同時に渦巻く。うー。話題は異色の食体験記にはとどまらない。プラハで出会った憧れのトルコ蜜飴を皮切りに、それより百倍おいしいハルヴァという菓子を求めて、モスクワで、タシケントで、アテネで、理想のハルヴァを追求する。そしてついに、トルコ蜜飴…タ―キッシュ・ディライト(イギリス)…ラハト(ルーマニア)…ルクーム(トルコ)…求肥(日本)とユーラシア中の飴菓子の進化系を見いだすのだ。もう立派な社会学! この魅力的なタイトルと装丁に、書店で本書を手にとる人の姿を多数目撃したことを報告しておく。


ニガヨモギ

ニガヨモギ
【ちくま文庫】
辛酸なめ子
定価 567円(税込)
2004/10
ISBN-4480420118

評価:B
 週刊文春のコラムや朝日新聞の読書面をじっくり読んでいればすでに分かっていたはずのことだが、漫画家なのね、辛酸なめ子。今をときめく表現者の処女作品集。絵といい書き文字のきたなさといい、ネームももちろん、ずばりいうわよ、青年漫画誌テイストだ。青年漫画誌といえば、私にとってはスピリッツ。「辛酸なめ子」というペンネームがもう木村和久の「対極天」のノリ。「辛酸をなめる」のブラックな語感と「なめ子」のかもし出すわいせつ感がなにより作風を雄弁に物語っている。典型的通勤電車・東横線のラッシュはひどいので、自発的オフピーク通学の車中、網棚のスピリッツを拾っては読んでいた学生時代を思い出す。読み終わった新聞・雑誌は網棚に置いていってよかったあの頃よ、ヤッホー。

名無しのヒル

名無しのヒル
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
シェイマス・スミス
定価 714円(税込)
2004/9
ISBN-4151735526

評価:AA
 グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国の“および”以下について、本書以上に教えてくれた本はない。ベルファスト育ちのマイケル・ヒルが、17歳のある日、親友のロディと一緒に共和国との国境で逮捕される。無茶苦茶な尋問を受けた後、訳の分からない理由で勾留されることになる。本当ならガールフレンドとよろしくやっているはずが、退屈な収容生活に一転。うんざりな青春を送るマイケルとっては、帰属問題なんてつまり、「政治も、アイルランド人も、どうでもよかった。カトリシズムも、プロテスタンティズムも、どんな主義(イズム)も」。マイケルのかっこよさは、不条理をくぐり抜けてきた男のそれだ。
冴えたジョークと示唆に富んだ表現は挙げればきりがない。「男たちは、仕事もなく、ほしいとも思わず、就くこともできず、捜すのもあきらめ、手に職もなかった……」、うまいrhyme。本文以外の部分に感動してしまったのでいわせてもらっていいですか。著者の写真。わぉ、首が太くていい男! 


白い雌ライオン

白い雌ライオン
【創元推理文庫】
ヘニング・マンケル
定価 1,575円(税込)
2004/9
ISBN-4488209041

評価:B
 南アでは、アパルトヘイトの崩壊に危機感つのらせるボーア人の秘密結社がネルソン・マンデラ暗殺を計画していた。同じとき、スウェーデンのそう大きくない町イースタの警察署に、夫から妻の失踪届が出される。二か国間の点線は、我々読者には見えているが、長くテニスの親善試合も行われなかった南アという国とのつながりを、スウェーデンの警察官が見出す手がかりは簡単にはでてこない。だが、腹の出てきた中年ヒーロー、クルト・ヴァランダー警部はやってくれる。私生活ではバルト海の向こう側の恋人にうまくコミュニケーションできず、離婚した妻との娘・リンダの成長にドギマギし、おまけに空き巣に入られる(警官なのに!)というふがいなさが弱点のクルトが殺し屋の尻尾をつかむのだ。一方、僚友ともいえるマンデラの暗殺は南ア大統領・デクラークにとっても重大事である。水面下で諜報合戦は行われている。選民思想に浸るあまり「白人と黒人の混血の子孫はだんだん白くなっていく」と信じる自分の思想の誤りに気付かない暗殺の首謀者ヤン・クラインの弱点は大きすぎるようにも見えるのだが……。南アの将来がかかる謀の成否はいかに?


万物理論

万物理論
【創元SF文庫】
グレッグ・イーガン
定価 1,260円(税込)
2004/10
ISBN-4488711022

評価:C
 2055年、南太平洋に浮かぶ人工島・ステートレスで物理学の会議が開催される。そこで“万物理論(セオリー・オブ・エブリシング)”が発表される予定。研究者のひとりで27歳のノーベル賞受賞者・ヴァイオレット・モサラのドキュメンタリーを制作するため、アンドルーは新種の精神病“ディストレス”の番組を蹴ってステートレスに入る。コレラ罹患に続き、TOEの完成を阻もうとする狂信者グループに拉致され、いつしか命懸けの主人公。プロット自体は注意深く読めばそう複雑ではないが、論理の緻密さについていくには相当の熟読が求められるという感じ。汎性というジェンダーについては想像力の及ぶ範囲。羽の生えたペニスを持つ男性が登場する寓話(羽がちぎれて血まみれになる)が文学的に高い評価を得ていて、その女性作者にブッカー賞とは気が利いている。本当にメラトニン・パッチがあればSF大作もかかってこい、というところなんだけど。