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平野 敬三の<<書評>>



蒼穹の昴

蒼穹の昴(1〜4)
【講談社文庫】
浅田次郎
定価 620円(税込)
2004/10
ISBN-4062748916
ISBN-4062748924
ISBN-4062748932
ISBN-4062748940

評価:AA
 未来を築かんとする若い力よりも、老いてゆく者の生き様に強く惹かれるのはどうしてなのだろう。明らかに物語の主人公は文秀と春児である。しかし英雄としての要素を十分に備えた彼らよりも、欠陥ばかりが目立つ朽ちていくのみの老人、たとえば西太后や李鴻章についつい目が行ってしまう。四巻にわたる長い物語である。少しばかりの目移りは分かるとして、最後の最後まで目が離れてしまうというのはちょっと行き過ぎではないのか。という気もするが、これも作者の思惑通りだろう。これはそういう物語なのである。つまり「英雄」とはどういう人物なのか、答えを出さずに読者にじっくりイマジネーションを広げさせる、それこそが本書の目的なのだと思う。印象的な人物が多すぎてこのスペースでは語りきれないが、たとえば脇役中の脇役、譚嗣同の死に様だけでも十分に本書を読む価値はある。


未来のおもいで

未来のおもいで
【光文社文庫】
梶尾真治
定価 500円(税込)
2004/10
ISBN-4334737676

評価:C
 うすい小説だ。うすっぺらい、ではない。淡い小説は僕も好きで、作者はそこらへんを狙ってはいるのだろうけど、残念ながら「うすい」になってしまっている。エピソードの積み重ねが足りないというのが理由の一つだが、一番の原因は登場人物のエッセンスをうまく描けていないからだろう。エピソードをほとんど提示しなくても、たったひとことやワンシーンで、魅力的な人物を描ける作家がいる。そういうことができるのは、きっと、その人物のなかのとりわけ大事な要素、つまりエッセンスをきちんと作者がつかんでいるからだと思う。家族構成とか趣味とか過去とか思想とか、そんなものを書かなくても、その人が「どんな感じの人なのか」読者に伝えることができる作家は、短編の名手と言われる。そしてそういう作品は、一文一文がしっかりと濃い。本書は残念ながらそういう作品ではない。分量的には短編と中編の間だが、淡さともどかしさを狙ったストーリーを転がしていくことに精一杯で、登場人物の輪郭がぼんやりしてしまっている。どういうエッセンスを持った人たちなのかが分からないから、どんな恋が起ころうとも僕の心は動かない。


Close to You

Close to You
【文春文庫】
柴田よしき
定価 710円(税込)
2004/10
ISBN-4167203111

評価:A
 実に痛いところを突かれた。動揺してそして少し落ち込んだ。自分が、表面的には否定はしていても、心のどこかで専業主婦を「下に見ている」ことを本書を読むことで自覚してしまったからである。「下に見ている」のでなければ、こんなにも読んでいて胸が痛むはずはない。ただ、これ、自己弁護も入るけど、ほとんどの「働く人」はズキンとくるんじゃないかあ、と思う。主人公の言う、足元を見つめるということは、自分の生活をもう一度見詰め直すことでもあるわけで、だから読者に今日からはしっかりと足元を見つめて生きていこうと思わせる本作は、とても教育効果の高い一冊といえる。エンターテインメントとしてはどうも今一つではあるが、強烈なメッセージ性がそれを十分に補ってぐいぐい読ませる。だたひとつ難点は、こういう読後の「決意」って長続きしないんだよなあ。まあ、これは僕自身の問題ではあるが。

若い読者のための短編小説案内

若い読者のための短編小説案内
【文春文庫】
村上春樹
定価 470円(税込)
2004/10
ISBN-4167502070

評価:A
 村上春樹が5つの短編小説を読み解いていくわけだが、これが単なる書評や紹介文ではなく、ひとつの村上作品になっているところが面白い。他人の小説を題材にしながら、氏が展開しているのは紛れもない村上ワールドなのである。ファンにはね、たまらないと思う。引っかかる場所がいちいち、あまりにも村上的過ぎるから。ここで取り上げられた短編はすべて未読だが、すべて残らず読んでみようと思った。それくらいの力がこの小説案内にはある。ただ、これをファン以外が読んだら、となると、これは正直分かりません。逆にそういう人の意見を聞いてみたいです。けっこう癇に障るところ、多いと思う。


犬と歩けば

犬と歩けば
【角川文庫】
出久根達郎
定価 580円(税込)
2004/10

ISBN-4043745028

評価:A
 東京から転勤し愛媛の地に移り住んで二年が経とうとしている。住めば都に違いないが、都市での生活(というより中央沿線に住む快楽と言うべきか)に対する断ちきれない思いというのは、やっぱりある。しかし、本書を読んでいると、不思議にいまの暮らしをしみじみ大切にしようという気になる。別に田舎暮らしについての本でもないし、何かを啓蒙しようとする類の書物でもない。ただ、読者の目を意識しながらも淡々と日々の生活を綴ることに努めている作者の不器用な姿が、自分をそういうふうな心持ちにしてくれたのだと思う。実にありがたいことである。「ついでに言うと、私は文学の根本は、やさしさだろうと思う。これのない作品は、どんなに派手派手しい装いをしていても、技巧をこらしたそれであっても、つまらぬと感じてしまう」。書きすぎである。しかし、どんなに不格好でも、飾らぬものであれば、それはたいそう美しい言葉になるのだということを知った。


ニガヨモギ

ニガヨモギ
【ちくま文庫】
辛酸なめ子
定価 567円(税込)
2004/10
ISBN-4480420118

評価:E
 嫌いなジャンルではありませんが、どこで笑えばいいのかも、どこらへんがすごいのかも、全く分かりませんでした。絶賛する人もいるようですので、単に相性の問題かもしれません。1ページ立ち読みして、おもしろいと思わなければ、たぶん最後まで読んでも同じです。


名無しのヒル

名無しのヒル
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
シェイマス・スミス
定価 714円(税込)
2004/9
ISBN-4151735526

評価:C
 ミステリ・ランキングの常連の最新刊、しかもハヤカワ文庫での刊行とくれば、どんな奇想天外な脱走劇が繰り広げられるのかと思えば、解説にもあるとおり、ごく普通の青春(?)小説だった。かなり評判になった前2作を読んでいない人間としては、この作家のどこが魅力なのかいまいち分からなかった。個人的に政治的なエンターテインメント小説が苦手だということもあるが、一番の難点は主人公の没個性だろう。作者の自伝的小説ということで様々な雑念があってしかるべきところを、無理に押さえ込んでしまっているような印象が残った。穏やかではない4年近くの獄中生活を、静かに穏やかに描こうとする試みは良いと思うが、やはりどうにも穏やかにはなりきれずどこか中途半端なのである。主人公の“個”がぼやけた小説ほど辛いものはない。それからもうひとつ。表紙がミスマッチだよ、やっぱり。