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西谷 昌子

西谷 昌子の<<書評>>



冬の標

冬の標
【文春文庫】
乙川優三郎
定価650円(税込)
2005/12
ISBN-4167141655

評価:★★★★★
 ただひたすら絵に焦がれ、絵を描き続ける女性。しかし、武家の女が絵師を目指すことは許されない時代だった。絵に夢中になった少女時代、結婚を強いられて家庭に入り、諦めざるを得なかった20年間。そんな苦難を経て再出発する明世の姿が描かれる。江戸時代を舞台にした女性の自立物語というと、奇想天外・波乱万丈なものを想像してしまうが、これは静かな描写のなかから立ちのぼってくる情熱が感じられる。それも、燃え滾るような暗い情念ではなく、ただ絵に憧れ、描きたい思いを抑えきれない、あかるい情熱とでもいおうか。一心不乱に思い詰めて絵を描くシーンも、どこかに爽やかさが漂う。特に絵の描写。明世や仲間が描いたもの、明世の手本になる絵などの描写がところどころに出てくるが、墨の濃淡や筆の運び方、色の淡さまで目の前に浮かんでくるようなのにちっともクドくない。すっきりとした南画の味わい深さがそのまま伝わってくる。

トワイライト

トワイライト
【文春文庫】
重松清
定価660円(税込)
2005/12
ISBN-416766903X

評価:★★★
 26年ぶりに小学校の同級生と再会し、埋めていたタイムカプセルを開ける。天才と呼ばれていた少年はリストラの危機にさらされ、ガキ大将だった少年とクラスのアイドルだった少女は冷え切った夫婦生活を送っている。物静かだった少女は、有名な予備校講師として名を馳せたものの、今はかつての人気も出ず、独身生活に不安を抱いている。輝かしいニュータウンだった街は、住む人も少なく寂れてしまった。そんな彼らが、太陽の塔に象徴される、あの頃見ていた輝かしい未来を突きつけられてしまう。特異な感情をではなく、誰でも体験がありそうな感情を描き、どこにでもいそうな「普通の人」がドラマを織り成すのがポイント。ただあまり共感できなかったのは、自分がまだ若いせいだろうか、それとも小学校時代にバブルが崩壊し、輝かしい未来を無条件に信じられなかった世代だからだろうか。

いつもの道、ちがう角

いつもの道、ちがう角
【光文社文庫 】
松尾由美
定価480円(税込)
2005/12
ISBN-4334739881

評価:★★★★
 王道。ラストはけして王道ではないが。驚かされる場面もドキッとする場面もないのだけれど、読み始めるともやもやと不安が胸をせりあがっていって、ラストになっても解決しているのかいないのか、怖がっていいのか悪いのか、え、ちょっと待って、何とかしてくれこの不安を、と叫びだしたくなるようなこの気持ち。ほっとさせたり疑いをかきたてたり、ストーリー運びの呼吸が絶妙。おかげで完全に作者に振り回されてしまった。この呼吸は居心地がいい。日常から次第に非日常へ、油断してほっとしたところで突き落とされる……という、ホラーの王道を辿っているからだ。ただ突き落とされた先が絶望や恐怖でなく、もやもやしたわけのわからなさであり、早く逃げたいと思ってしまうところが何とも言えない。不条理というほどわからないわけではないのだが。これは計算して書いているのだろうか、それとも作者はこのような微妙な不安だらけの世界に生きているのだろうか。

神無き月十番目の夜

神無き月十番目の夜
【小学館文庫】
飯嶋和一
定価670円(税込)
2005/12
ISBN-4094033149

評価:★★★★
 何者かによって一村が全滅させられている場面から物語が始まる。この時点でドキドキしてしまい、最後まで一気に読んでしまった。山奥の惨殺された死体の描写がなまなましい。人間関係のズレがほんの少し歯車を狂わせてしまい、みるみる村が自滅の方向へと向かっていくくだりは手に汗をかくほどだった。戦国時代が終わって大幅に検地の方法が変わったことで、農民が考えることも奪われるほど虐げられるようになったことなど、因果関係の絡みあいが理解できて面白い。歴史の流れと登場人物たちの生活が密接にリンクしている様が新鮮だった。どこにも大文字の台詞は出てこない。登場人物たちは自分の身の回りのことしか話さない。それで時代の流れを見せるのは作者の力量だろう。そして読後に残るそこはかとない怖さ。主人公はかっこよすぎるが、こんなスーパーヒーローのような主人公にも状況をどうにもできないのが哀しい。

貴婦人Aの蘇生

貴婦人Aの蘇生
【朝日文庫 】
小川洋子
定価525円(税込)
2005/12
ISBN-4022643552

評価:★★★★
 自分だけの空間をガラス細工のように繊細に、精密につくりあげていく人たちの物語。身のまわりのものすべてに刺繍をほどこし、ふとしたことから自分はロマノフ朝の王女アナスタシアだという物語をつくる伯母、剥製を洋館にあふれるほど収集した亡き伯父。儀式をしないと扉という扉に入れないニコ。彼らがつくろうとしているのは、自らをとりまく空間だ。この小説には全体に静かな空気が流れている。それはただ静かなだけでなく、物語に広がっている空間を感じさせるような不思議な空気だ。つついたら壊れそうな、薄く脆いガラス細工が美しく見えるように、彼らの空間も危うい均衡を保っていて、それゆえの美しさがある。どこかに「死」の匂いがして、そのせいでいっそう緊迫感が生まれている。私はどこに泊まりに行っても枕の周りに本を散らかす癖があるのだけれど、これも自分だけの空間づくりだな、と思った。こっちは緊張感がないせいでまったく美しくないけれども。

水の繭

水の繭
【角川文庫】
大島真寿美 
定価460円(税込)
2005/12
ISBN-4043808011

評価:★★★★
 父を亡くして以来、無気力になったとうこが少しずつ変化していく。何か劇的な出来事がきっかけになるわけではない。転がり込んできた従妹の瑠璃の何気ない言葉や行動。近所の廃屋にある日突然やってきた夫婦。説教めいたことも感動的な台詞も言わないが、黙って彼らを見たり聞いたりしているうちに、とうこの喪失は得体の知れない大きな重圧から自分の血肉になっていく。おそらく本当に大きな傷は、自分でも気付かないようなささやかな変化を繰り返して癒えていくものなのだろう、と思わされた。離れ離れになっていた双子の兄の陸と実際に会ってから、とうこはようやく自分が家族を失ったことを受け入れる。逃げていた現実を受け入れる、と書くと陳腐に見えてしまうけれど、仰々しく変化しない様子がリアルで、まるでこちらまで一緒に成長したかのような錯覚を覚える。

夜明けのフロスト

夜明けのフロスト
【光文社文庫】
R.D.ウィングフィ−ルド 他 
定価600円(税込)
2005/12
ISBN-4334761623

評価:★★★
 クリスマス短編集。ミステリなのにどの事件もなんだかほんわかしていて、クリスマス気分に浸れる。クリスマスパーティーやクリスマスツリー、家族へのプレゼント。特に表題作はフロストシリーズファンももちろん、フロストシリーズ初読にもおすすめだ。飲んだくれでブラックジョーク大好きなフロスト警部がクリスマスを当たり前に過ごすはずがない。乱暴にぽんぽん飛ぶジョークが小気味いい。他にもおじいさんと少女の会話でつづられるほのぼのミステリから、クリスマスパーティーの最中に起こった毒殺事件まで、毛色は違うのにどれもクリスマスの雰囲気に満ちている。クリスマスがカップルだけのものになっている日本で書かれたものなら、こうはいかなかっただろう。警察もクリスマスに休む国ならではの物語。本場の雰囲気が存分に味わえる。

狼の帝国

狼の帝国
【創元推理文庫 】
ジャン・クリストフ・グランジェ
定価1050円(税込)
2005/12
ISBN-448821407X

評価:★★★
 まだ映画の方は見ていない。読みながら、いい意味で先の予想を裏切ってくれる展開ばかりで、驚きの連続だった。アンナの日常の崩壊の仕方にまずぶっとび、記憶障害の正体にもう一度ぶっとび、爪の先についていたものに到っては降参するしかない。アンナが自分のことを知るにつれて、どんどん彼女の性格が変わっていく様子も見ごたえあり。最初は臆病な主婦だったのに、最後はほとんど別人だ。一方でトルコ人女性が3人、猟奇的な殺され方をする。が、物語はどんどんふくらみフランスのトルコ人社会の全貌が明らかにされるまで事件は解決しない。引退した警部シフェールと新米警部ネルトーのコンビも、なんともいえない味が出ている。文句なしのエンターテインメント。だが話が映画向けすぎるのと、カバーの写真のせいでどうしても映画化を想像しながら読んでしまうのが残念。