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名もなき毒
名もなき毒
宮部 みゆき(著)
【幻冬舎】 
定価1890円(税込)
2006年1月
ISBN-4344012143
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  小松 むつみ
 
評価:★★★★
 登場人物たちの人間関係や、それぞれの出会い、そして彼らが事件へ巻き込まれていくさまが、実に自然に巧みに組み立てられていて、やっぱり宮部さん、うまいな、すごいな、とツクヅク感心。普通ならば、浮きそうなあまりに善良な主人公だが、その際立つ善良さを描くことで、犯罪にいたってしまう人間の醜悪な側面がより浮き彫りにされる。
 老齢の私立探偵と、新進ジャーナリストという好対照な二人のブレーンが、いずれも、充分に主役をはれるキャラクターであるにもかかわらず、でしゃばらず、探偵役の主人公のテクニカルな面をぐっと支えるという立ち位置が絶妙。
 人は生まれながらに、みな「毒」を持っている。しかし、そのまま毒を毒とせず、生涯を終わる人が大部分である。だが、時としてその恐ろしい凶器の引き金がひかれることがある。
 宮部みゆきの真骨頂である。

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  川畑 詩子
 
評価:★★★★
 財閥会長の娘と結婚した平凡な男性、杉村三郎が探偵役をつとめるシリーズの2作目。
彼の元アシスタントが起こしたトラブルを発端に、連続無差別殺人事件に関わっていく。ストーリー全体が個々人の目線で描かれているので、被害者の苦しみや、犯人が事を起こすに至る追いつめられたような気持が時に息苦しいほど濃く感じられた。
 通底するテーマは二つの「毒」だと思う。土地を汚染する毒と心の中の毒。どちらも発生源を突き止めにくくて、いつ何をむしばむのか分からない点が似ている。元アシスタントの暴走ぶりに呆れと怒りを感じつつも、自分に引き比べて考えると、小さな怒りや不満をためこんでいる内に、訳が分からないほどこんがらがってくすぶった感情に育ってしまうことがある。それもほとんど「毒」だと思う。杉村さんは良識と誠実さを武器に、こんがらがった状況を根気よく解きほぐしていく。それはとても消耗する作業だと思う。
 現代ではその気性は美徳とも言ってもいいくらい貴重。それゆえ、逆玉の輿と揶揄されがちなこの結婚で、ダメージを大きく受けたことも納得できる。

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  神田 宏
 
評価:★★★
 「格差社会」、「負け組・勝ち組」といった言葉がイメージさせる現代の貧困といったものの実相ははっきりしないけど、深夜のコンビニにたむろする少女の腕に乳幼児が抱かれていたり、介護に疲れた息子が母親を殺し自らも命を絶とうとする報道などに接すると、僕らの足下で経済的、心理的な階層化が不気味に進みそれが世代を超えて固定化したまま引き継がれているのではないかと何となく危惧している。だからといって「再チャレンジ」の機会だけ与えられても、澱のように溜まった人々のやるせない憤懣が解決する訳ではないのだろうけど。そんな人々の胸に抱えた「毒」が無差別殺人となって普通の人々の幸せを浸食していく。「普通」である事が既に心に「毒」を含みやり場の無い悪意や鬱屈した憤懣となんとか都合をつけて生きているのだとしたら、そんな危うい日常がある日べっとりと「毒」に侵されていく。その「毒」を「この世の解毒剤」となって清めようとした私立探偵、北見の目論みは成し遂げられるだろうか? ここに書かれているのは僕たちの今なのかもしれない。残念ではあるのだけれど。

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  福井 雅子
 
評価:★★★★★
 大企業の社内報編集部に勤務するサラリーマンが無差別毒物殺人事件に挑むミステリー。
いつもながら完成度が高い。エピソードの積み重ねに無理がなく、一見些細な日常の出来事が縦糸と横糸となって上質な1枚の布が織りあがる感じだろうか。どの糸も強すぎず、弱すぎず、バランスが良いことに感心した。
 仕事や人間関係がうまくいかない怒り、不運な境遇に対する怒り、社会や制度に対する怒り、そういった日常生活の中の怒りが、地中にたまった汚染物質=毒が静かに他人の土地まで汚染していくように、まったく関係のない他人に向けられる恐怖……。よく考えればとても恐ろしいことなのだが、重いテーマを扱っている割になぜか読後感はさわやか。社会問題を題材にしながら、恐怖感や絶望感をいたずらに煽ることなく、どちらかといえば読者に静かに考えさせるような描き方となっていて、好感がもてる。

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  小室 まどか
 
評価:★★★
 見えない悪意、不平等、心の病、ネット社会の闇、シックハウス症候群に土壌汚染……現代社会の病理を突く、社会派ミステリの側面が強調された作品。「名もなき」には、本来の「ちっぽけな、取るに足らない」よりは、むしろ「姿なき、得体の知れない」とか「匿名性」といった意味が託されているのであろう。同様のテーマを扱った『誰か』にも登場した、“逆玉の輿のお婿さん”杉村が再び探偵役を務める。
 宮部作品の主人公にありがちな、困っている人を見捨てられないお節介な性格の杉村だが、今回の事件への巻き込まれ方は少し不自然か。登場人物も多く、冒頭に挙げたようにテーマも盛り込みすぎたのか、やや散漫になってしまった印象。しかし、相変わらず、(特に犯人の)心理描写の丁寧さと説得感、タイトルに二重三重の意味をかましてくることをはじめとした伏線の巧妙さには舌を巻く。
 義父の魅力が重厚さを増した一方、妻との価値観の違いを否めなくなってきた杉村の私生活のゆくえも気になる(姉の予言もあることだし)が、宮部みゆきには、続編よりは、市井の人情の機微を描く筆が抜群に冴える時代ミステリのほうを書いてもらいたい。

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  磯部 智子
 
評価:★★★★★
 ミステリで描かれるのは人間性の振幅が最悪の方に振り切った状態だが、宮部作品の凄さは日常の些細なぶれも見逃さないところにある。財閥企業の広報室勤務の杉村は会長の娘婿、その経緯は前作『誰か』に詳しいが、相変わらず周りは勝手に羨み冷笑し壁を作り妬む。それでも「でくのぼう」杉村はあらゆる風評を飄々と受け流す。が時に彼らがそう考えるだろうと思う自分自身を卑しいと感じ「その卑しさが自分を苛む」と感じる。つまり杉村は常にうっすらとした悪意=毒に接しており、自分自身も毒に侵食されているのではないかと懸念している。そんな中トラブルを起こした女性アシスタントの解雇、身上調査の依頼から無差別毒殺事件の遺族と知り合い……全く種類の異なる事件が撚り合わされ、現実社会では漠として捉えきれない物事の輪郭が作家の言葉で次々と姿を表す。もちろん私も知っていたはずなのだ、被害者意識から怒りに転じ毒を溜め込んだ爆発寸前の人間が大勢いることも、その一つ一つに係わって要られないことも。今回杉村と妻・菜穂子も無傷では無かった。それでも解毒剤は無いかと考える杉村の姿に私自身の希望が重なって見えた。

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  林 あゆ美
 
評価:★★★★★
 読了してから、タイトル「名もなき毒」にあらためてなるほどと思う。毒というのは確かに、名もなきものにこそ猛々しいものが入っているのかも。
 今多コンツェルンの会長の娘を妻にした杉村さんは、結婚する時の条件をのみ、今多コンツェルン総本部で働く平社員となった。部署は社内報をつくる「あおぞら」編集部。杉村さんは前職が編集者だったので、その部署での仕事に慣れるのに時間はかからなかった。そして、ちょっぴりの毒がこの部署でまかれはじめた……。
 新聞に連載されたものだったこともあり、適度にストーリーが復唱され、長編だが、登場人物やできごとなどが混乱することなく頭にすっすっと入ってくる。早々に舞台から消えたと思っていた人が、どんどん存在感をもってくるあたり、背筋が寒くなるようでゾクゾクしながら、物語にぐいっとのめりこむ。そして、読んだあとはしみじみと悲しかった。どうして、こんなことをするのだろうと疑問をもっても、けしてかえってこない答え。そこにひそむ、浄化されない毒。つらいけれど、物語にはあたたかな眼差しも感じられる。そこがとてもよかった。

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