第二回 香川

 余市の特産品のひとつ、りんご。収穫量、栽培面積ともに道内一を誇っている。

 日本におけるりんご栽培の歴史を紐解くと、余市が重要な土地であることを知る。明治12年のこと、日本で初めて西洋りんごの民間栽培に成功した地が余市なんですね。入植した旧会津藩士の大手柄だった。

 余市の観光名所のひとつ、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の歴史もりんごが始まり。竹鶴政孝さんがウイスキーをこしらえようと、昭和9年に創業した会社の名前は「大日本果汁株式会社」。ウイスキーが熟成するまでの数年間、余市のりんごでジュースなどをつくって凌いでいた。当時、発売した果汁100%のりんごジュースが「日果林檎ジュース」。後の社名は、ここからなんですよね。

 余市にとってのりんごは、知恵の樹でなく、町が生きる力となる生命の樹に生るなんだな、なんて気の利いたことを思い浮かべながら、創業100年を超える菓子店「香川」へと向かう。三代目の香川由彦さんに話を訊くのはもちろんだけれど、余市土産に名物の「りんごもなか」を求める気持ちも、多分にある。

「香川」(北海道余市町大川町3-132) 写真・中島博美

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「さあぁ、どうなんでしょうね」

「香川」の香川由彦さんは、そう言って首を傾げた。ゆったりとした口調に、昼下がりの長閑な空気がたゆたう。

 僕の前には「りんごもなか」が供されている。真っ赤なりんごが描かれた包装紙。かわいいなぁ。名物や金賞の文字も刻まれている。香川さんへの質問は、りんごもなかの歴史についてだった。でもね、どうやら、あやふやみたい。

「りんごもなかは余市に名物をつくろうと、父親が考えたんですけどね。ほら、そこに新聞の切り抜きがあるでしょ」

 そう言って、香川さんは壁に飾られた額を指し示す。木枠の額縁の中に何枚かの写真と、新聞の切り抜きが収められていた。

「りんごもなかを売り出したとき、北海道新聞が取材にきたんです。切り抜きはあっても日付がないから、はっきりとしたことはわかりません」

 よく見れば、切り抜きの端っこに、手書き文字で昭和35年とある。

「あぁ、そうなんです。写っている女の子は私の妹なんですね。妹が言うには、取材は小学校3年のときだったと。だから、昭和35年のはずだと。そういうわけなので、昭和35年でいいと思いますよ」

 いいと思いますよ、という物言いがなんだかおかしい。店の名物であり、町の銘菓でもあるりんごもなかを、喧伝することも誇示することもしない香川さん。饒舌ではないけれど、口数が少ないわけでもない。愛想を振りまくわけではないが、無愛想ではない。飄々として、どこかユーモアが漂う。職人だなぁ。香川さんを目の前にして、僕はそんなことを思っている。

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 りんごもなかの包装紙を開けると、りんごの形を模した最中が現われた。おぉ、青りんごだ。かじる。パリッとした皮の食感の後に、あんこの甘味が口いっぱいに広がる。ほのかにりんごが香る。おいしいぃ。中身のあんこは白あん。さわやかな後味に、名物たる所以を知る。

 白あんなんですね、と香川さんに話をふれば「こしあんもありますよ」。青りんごなんですね、と再び香川さんに話をふれば「ふつうのもありますよ」。続けて「ピンクもありますよ」。なんとなんと。バリエーションの豊富さに驚く。60年にわたって愛される理由を垣間見る。

「青りんごの最中には酸味を入れようと思ったんです」

 ふと、香川さんが言う。視線は僕が頬張る青いりんごもなかだ。

「でも、結局、入れませんでした」

 そう言ったきり、香川さんは黙って微笑んでいる。どうやら、青りんごの最中の話は、これにておしまいのようだ。香川さんの間合いは独特で、楽しい。

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 香川の創業は大正3年。店の歴史は100年を超える。「私が三代目です。じいさんが始めたんです」。香川家は徳島県からやって来た(なんだかややこしいね)。余市は縁も所縁もない土地だった。

「仏壇に抄本があったんですよ、そこに判子がポンと捺されてて、百姓と書いてあるんですよ。農業をやるってことを理由に出てきたんでしょうね」

 それが、どうして菓子をつくることに?

「ですよね。へへへへ」

 その辺の事情は香川さんにもわからないらしい。当初は駄菓子屋に近い品揃えで、香川さんの先代=父の時代に和菓子を専門とするようになったという。

「父は婿さんなんです。母が香川の人間で、その母がずっと私に言うんです。『お菓子屋、継ぐな~』『お菓子屋、継ぐな~』って。子供の頃からずっとでしたね」

なぜか「な」の部分に節が付いていて、台詞が妙に耳の残る。継ぐな〜と言われ続けた香川さんはいま、三代目として日々、菓子づくりに精を出している。

「高校2年のときに母親が亡くなりましてね。どうしようかなと。長男だし、男は私ひとりだし、子供の頃から菓子づくりを手伝ってきたし、継いだ方がいいのかなと。そう思って結局ですね」

 なぜ母が店を継ぐことを良しとしなかったのか、いまとなっては確かめる術はない。

「お菓子屋はたいへんですからね。辛い思いをさせたくなかったんでしょう。朝も早いですし」

きちんと訊いておけばよかった。ときどきそう思うことがあると、香川さんは言う。

「実際にやって思うのは、どんなに機械を揃えても菓子は最終的に手でつくるんですね。あぁ、今日は暇だなあと思っても、仕事が始まれば忙しい忙しいとなります。お菓子づくりが始まれば、手が休まることがないんです。たいへんですね」

 もしかして、継がなければよかったと思ってますか?

 僕の意地悪な問いかけに、香川さんは「へへへへ」と笑うだけだった。

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 実は香川さん、和菓子の修行をしたことがない。高校を卒業した後、小樽の洋菓子店で3年、札幌のコロンバンで2年ほど働いて、余市へと戻って来た。

「和菓子は父親がつくってますから、見てたら自然とわかるかなと」

 香川さんが帰ってからの香川は和菓子と洋菓子の二刀流となった。和と洋の生菓子も揃え、陳列棚にはびっしりと色とりどりの菓子が並んだ。

 その頃、店の隣にヤマダイという名のデパートがあった(ヤマダイは余市から発展を遂げて現在のイオン北海道へと繋がっていくんですよね)。道路を挟んだ斜め向かいには日本酒蔵もあって、日本清酒余市支店が十一州などの日本酒を造っていた(いま余市に日本酒蔵はなくて跡地は余市町中央公民館になってますね)。港町の人たちが「町へ行く」って言っては、香川のある大川町へ遊びに来たものだった。

「あの頃は、この辺りに人が溢れていましたね。おかげさまで、うちもよく売れました。つくればつくっただけ売れましたかね」

 店は職人も雇って、朝から晩までせっせと菓子づくりに励んだという。りんごもなかが町の名物として愛され始めるのも、この頃だった。

「私が帰って来てから、りんごもなかのあんこにお酒を使ったりして、洋菓子のテイストを加えたんです」

 昔話の途中で、ふと、香川さんが言う。視線は僕が食べ終えたりんごもなかの包装紙だ。

「お酒を入れたのは、相手がりんごなのでね」

 ここで話は終わるのかなと思っていると、ちょっとの間を置いて、香川さんが口を開く。

「お菓子は変えたくてもなかなか変えられないんです。ずっとその味が好きで食べてる方もいますし。最近は砂糖を減らして、甘味が少ない方が人気のようですが、私は私がおいしいと思うお菓子をつくりたい。ちょっとでも材料の分量が変わると、焼き色も変わるし、湿り具合も違ってきます」

 それでも、香川さんはりんごもなかの味を変えたんですね、と訊く。

「そうです。そうです」

 返ってきたのは、シンプルな答え。

「その方がおいしいと思ったんでしょうね」

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 香川さんが店を切り盛りするようになって半世紀以上が経つ。昭和19年生まれというから、20代の半ばでのこと。「自然とね」。若くして三代目になった頃の話を訊いても、答えはそっけない。当時は両手でも足りないほどの菓子店が余市にはあったというが、気がつけば片手で足りる数になった。

 いまは香川が余市でもっとも歴史のある菓子店である。「よく100年ですねと言われるんですが、別に100年を背負って動いているわけじゃないですから」。香川を続けていることに対する想いを訊いても、泰然自若な香川さんである。

 未来の話になっても、同じ。「四代目はいないです」「私で閉めちゃいます」と、あっさりしたもの。

「余市の人口も減るし、私は年をとるし、コロナもある。だからと言って、何もしないわけじゃない。粛々とお菓子をつくってます」

 けっして雄弁ではないけれど、ときどき話が明後日の方向に飛んだりもするけれど、淡々と話す香川さんのひと言ひと言に、職人としての矜持を感じて、僕はなぜだか嬉しくなっている。

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 香川さんにとって、菓子をつくっていて楽しい瞬間って、どんなときなんだろう?

「うちの親父がね、饅頭を包んでいてあんこをぽろっと落とすんです。それをね、さっきまであんこを包んでいたヘラでぽんとくっつけるんです。それでまた包み始める。そんなときですかね」

 えっ。禅問答のような答えに、僕はぽかんとする。香川さんは「変ですよね」と笑った。変なのかどうかも、実は僕にはわかっていない。もう一度、教えてください、とお願いをする。

「えぇ、えぇ。私は魚釣りをするんですね。釣りの好きな人に聞いたんです。雪が降っているときの魚釣りは、竿に積もった雪をふっと吹くのが面白いんだと。さっきのあんこの話は、その感じに似ていると思っています」

 あぁ、哲学的だ。香川さんの境地にない僕は、なかなか理解することが難しい。『ダイ・ハード』のブルース・ウィルスのように「考えろ、考えるんだ」と頭の中でつぶやいてみるけれど、やっぱりわかりません。もしかして、と断りながら香川さんに訊ねる。本質と違うところに喜びがあるってことですかね。香川さんは、イエスともノーとも言わず、さっきと同じように「変ですよね」と言って、楽しそうに笑った。

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 帰り仕度をする。りんごもなかを買い求めようとして、陳列棚の前で香川さんと対峙する。世間話のつもりで香川さんの好物を訊いて、驚いた。返ってきた答えが「お菓子」。

「私は酒は飲まないんです。夫婦揃ってお菓子が大好きなんですね」

旅行に行ってもスーツケースは、土地土地の菓子が詰まってパンパンになるという。

「親戚が遊びに来るとき、何か欲しいものあるかと訊かれるじゃないですか。だいたい、お菓子と答えてますね」

 売るほどあるのにね。香川さんはつくづく菓子の人なんだなぁ。

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 りんごもなかを手に帰ろうとして、今度は店先ではたと気づく。ガラス戸には「菓子舗 香川」と「ニュー香川」とふたつの名前が記されている。正式な店名は、どっちなの?

「どっちでもいいです」

えぇぇ。曖昧な答えに、また驚く。どちらかと言えば、どっちですか?

「香川でいいです。香川で通ってますから」

 なんと、どちらでもないとは。けどね、それがまた、らしい。昭和55年に店を改装して、ニュー香川と付けてはみたけれど、周囲からの呼称は香川のままだったという。

「今年で104年ですか。長い分、いろいろあります」

 真摯な姿勢とどことなく惚けた風情の香川さんは、実に魅力的な菓子職人だった。

 追記。
 今年で104年と言った香川さんに対して、僕はよく考えもしないで、老舗ですねぇ、なんて感心していたけれど、帰ってからりんごもなかを片手に電卓を叩けば、2020年で106年という計算になることに気がついた。もう、微笑がえしですね、香川さん。そう、おかしくって、涙が出そう、です。