第五回 リタファーム&ワイナリー

 2021年、春。余市には13のワイナリーがある。地方公共団体の「町」で考えると、余市は日本でいちばんワイナリーが多い町。
 そんな余市とワインの関係は、古くて新しい。
 2011年、春。10年前の余市にワイナリーはふたつしかなかった。ニッカウヰスキー余市蒸溜所がある余市は、ワインの町というよりはウイスキーの町。2014年に『マッサン』がスタートして、その印象がより強くなる一方で、あちらこちらでワイナリーが産声をあげていく。きっかけは「北のフルーツ王国よいちワイン特区」。2011年に北海道初のワイン特区に認定されたことで、余市は小規模のワイナリー設立が可能になったんですよね。
 もともと余市はワインの原材料となるぶどうの栽培が盛んな町。40年近くにわたって国内のワインメーカーに良質なぶどうを提供し続けてきた豊穣な土地柄も、新規の就労者には大きなアドンバンテージとなって、『マッサン』の放送が終わる頃、ワイナリーの数は増えて、なんと7に。
2013年、余市がワイン特区になって最初に誕生したのが「リタファーム&ワイナリー」。ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝さん=マッサンの妻であるリタさんの名前を冠した、夫婦ふたりで営む小さなワイナリー。
 いま余市で、地元出身者によって営まれているワイナリーはふたつ。リタファーム&ワイナリーはその先駆者で、醸造を担う菅原由利子さんは余市出身。造り手も、ぶどうも、ワインも余市生まれの余市育ちというわけ。

リタファーム&ワイナリー(北海道余市町登町1824)
写真・中島博美

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「呑んべいの気持ちです」

 菅原由利子さんは、確かに、そう言ったんです。穏やかな微笑みを浮かべて、うふふといった面持ちでね。僕はといえば、予期せぬ言葉に、ぽかんとします。

 ワイン造りで大切にしていることーーありがちな僕の質問に、呑んべいに対する慈悲深い心を開陳した菅原さん。なんだか菩薩と対峙しているような、清々しい気分。

「私が呑んべいなもので」と言うけれど、目の前に座った彼女はといえば、ほんわかとして、呑んべいという言葉のイメージとはどこか違った佇まい。呑んべいなんですかと、訊ねれば、軽快に「そうなんですよー」。

「呑んべいにとって、お酒の値段はとても重要です。だって、毎日、飲みたいでしょ。さらに、いっぱい、飲みたいでしょ。そう考えると、ワイン1本の値段は2000円がいいところ。どうですか?」

 僕自身、呑んべいだとは告白していないけれど、問われれば、そうです、と答えます。でもね、安かろう悪かろうでは、ちょっと困る。わがままだけれども、安くてうまいが、いい。小さく頷く菅原さん。

「安くておいしい、大事ですよね」と言って、次なる問いを僕に投げかけます。

「日本のワインの値段はどう思います?」

 特段、日本のワインに詳しいわけじゃないけれど、話題の1本に遭遇すれば、おぉとか、へぇとか浮かれながら、嬉しそうに飲んじゃいます。そう、にわか。でも、正直に言えば、日本のワインってちょっと高いよなぁと思うことが多々あり。だから僕の答えは、高い気がします、です。さっきと同じく小さく頷いた菅原さん、さっきよりは心なしか神妙な趣きです。

「日本のワインを好んで飲んでいる人でも、高いよねって言う人は結構います。私ももう少し安いといいなぁと思います。価格とクオリティのバランスなんですけどね。それでもやっぱり高いかな、日本のワイン。4000円とか5000円、普通にありますもんね」

 菅原さんの話を聞きながら、ふと浮かんだシニカルな思い、呑んべいの端くれとして正直に口にしてみます。

「たとえば3000円以上出すなら、フランスのそれなりのワインが買えたりしますもんね」

「私もそう思います」と、菅原さんはきっぱり。「最初は日本のワインということで買ってもらえるかもしれないですよね。でも、その人たちがたとえば3000円の日本ワインをずっと買い続けるかというと、うーん、どうなのかなって。私としては、お手頃な価格で買ってもらって、えっ、この値段で、こんなにおいしいの。そんなふうに言ってもらえるワインを造っていきたいと思って、うちは2000円という価格にこだわっていきたいんですよね」。

 だからこそ、昨今、マスコミがこぞって喧伝するーー日本ワインが元気だ、日本ワインのレベルが上がった、日本ワインの造り手はおもしろい、etc.のことについて、菅原さんが思うところは、たいへんだなぁ。

「メディアは盛んに取り上げますけど、褒めすぎですよ。私のところのワインもそう。期待値を上げすぎです。困りますね」

 苦笑いを見せる菅原さんから奥の棚へと目をやれば、行儀よく数本のワインが並んでいます。エチケットには「十六夜」の文字。僕の視線に気づいたのか、菅原さんが「あれは『旅路』という珍しい品種で造ったワインです」と教えてくれます。

 その後のやり取りは、こんな感じ→(行きがかり上)もしかしてあのワインは1本2000円だったりするんですか?→(あっさりと)2000円しませんよ→えぇぇ(のけぞる)→(にっこりと)だってほら大切なのは呑んべいの気持ちですから→(感服して)呑んべいには嬉しいことですねぇ→喜んでもらえたら私も嬉しいです(にこにこ)。

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 余市で生まれた菅原さん。少女時代を振り返れば「町のどこにもワインの気配なんてなかったです」。将来、故郷がワインの町になるとは露ほども思わず、就いた仕事がワインのインポーター。理由を訊ねるのは野暮だと思いつつ、訊いてみますーーなぜワインの仕事を選んだのですか?

「ものすごく簡単に言えば、ワインが好きだったから、ですね」

 返ってきたのは期待に違わぬ答え。菅原さん、やっぱり昔から呑んべいだったんですね。

「それは変わらないですねー」

 インポーター時代の話を訊けば、余市を離れて家族と札幌で暮らしていたこと、ワインに関わるうちにぶどうの栽培や醸造にも興味が広がっていったこと、思いが募って仕事の傍ら何度もフランスに渡って醸造を手伝うようになったことなどなどが、菅原さんの口から語られます。

「ワイナリーを始めようと思ったのは、そろそろそういう時期なのかなって。フランスで経験を積んでいく中で、自然の流れだったと思います」

 それで余市に戻ってきたんですね、と結論を急ぐ僕に、菅原さんは「それがね、そうでもないんです」。どうやら、ワイナリーを始めるにあたって、菅原さんの中に「余市」という選択肢はなかったみたい。理想の土地を追い求めて道内を巡り、本州にも足を運んで、フランスも視野に入れていた菅原さんにとっての余市は、大きなワインメーカーにぶどうを卸す町。「ワイナリーなんて、とてもとても」。候補地をぐるぐる回って、これといった場所が見つからなくて「たどり着いた場所が、ここだったんです」。ここ、それはいま「リタファーム&ワイナリー」がある場所。ここ、それはかつて菅原さんの母が営んでいた「リタファーム」という名の果樹園があった場所。「いちばん身近だった場所が、ずっと私が探していた土地だったとはビックリですよね」と、菅原さんは笑います。

「同じ頃に知り合いが道内でワインのぶどうをつくり始めて、その苦労話を聞いていると、実は余市ってものすごくいい場所なんじゃないかと思うようになって。もともと果物が育っていた場所じゃないと、ぶどうづくりは簡単にはいかないんですよね」

 それで余市に戻ってきたんですね、と僕がさっきと同じ問いを発すると、うんうんと頷いて「近すぎて余市の良さが見えてなかったんでしょうね。最短距離でたどり着けたはずなのに、ずいぶん遠回りして帰ってきましたよね」。

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「リタファーム&ワイナリー」が立ち上がったのは2011年。ぶどうを育てるところから始めて、ワインを醸して10年になる。ここまで順調でしたかと訊ねると、菅原さんは顔をしかめて「順調じゃないですよー」。そもそも、立ち上げの段階で応援してくれる人は数えるほどだったとは、菅原さんの言。

「余所の人がワイナリーをつくっても、町の人はどうのこうの言わないんです。ワイナリーができたぞ、成功するかな。そんな感じ。余市出身の私がやろうとすると、目立つことやめれ、ワイン造るなんてとんでもねえ、そんな博打はやめろ、個人でできるもんじゃねえ、大きな会社に任せとけとばいい、とにかくやめれやめれの大合唱でしたね」

 リタファーム&ワイナリーは余市で3番目にできたワイナリー。いま、その数は13に増えている。菅原さんの話を聞きながら、余市におけるワインへの理解はここ10年で大きく変わったんだろうなぁと思うばかり。でも、菅原さんの考えは、そうでもないみたい。

「外からの人に対しては静観。地元に対しては厳しい。それは10年前よりちょっとだけ良くなったくらいかな。目立つことをするといまでも言われたりしますよ。私が余市の人間だから言いやすいのかもしれないですけどね。余市出身者で最初にワイナリーを始めたのがうちだったということもありますよね」

 周囲の反対にあいながら、それでも、菅原さんはここまで続けてきたんですよね?

「あー、うるさいって思いながら、聞き流してやってきました」

 えへへへといった表情の菅原さんは「余市の人は、いい意味で、世話焼き、なんです。としておきましょうね」。あはははと笑って爽やかに毒づきながら、菅原さんが続いて口にしたのは余市への大いなる讃辞。

「10年近く畑をやってみて、本当にここは恵まれた土地だなぁって思います。余市を選んでなかったら、今頃はワインを造ることに挫折していたかもしれないですね。毎年毎年、暑過ぎたとか、雨が多かったとか、いろんなことがあって、今年のぶどうはダメだダメだって大騒ぎするんですけど、ここで育つぶどうは秋になるときちんと挽回するんです。しっかり糖度を上げて、適度に熟して、いい意味で予想を大きく裏切る育ち方をする。私のワイン造りはこの場所に助けられてばっかりです」

 リタファームのぶどう畑が広がる余市の登地区。この土地の穏やかな気候と、秋の長さと、ちょうどいい日照時間の恩恵を受けて、ここで育つぶどうは本当に伸び代があるんですよねぇと、菅原さんはしみじみ。

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「思えば、好きなようにやってきたものです。私がフランス品種を好きなこともあって、畑にはシャルドネとピノ・ノワールとメルローとソービニヨンブランを植えてるんですけど、余市で成功したワインぶどうって実はドイツ品種なんですよね。やっぱり、周りからは言われるわけです。フランスなんてやめとけ。無理だ。ドイツにしろと。私は私で、そうですよねぇ、なんて言いながら、結局は自分の好きな品種だけを植えてやってきました」

 ふふふと笑って、面倒だったことをさらっと話す菅原さんを見ていると、いったい彼女のどこに信念を貫き通す強さがあるんだろうと、不思議な気分。その声で蜥蜴食らうか時鳥――なんて句を頭に思い浮かべながら、僕は菅原さんの語りに耳を傾けます。

「造りに関しても言われてましたね。ナチュールで造って、濁ったワインが完成したら、こんなもの出したら回収もんだ。ダメだダメだとね」

 そのときはどうしたんですか?

「ぶどうのときと一緒です。今度から気をつけます、とか言いながら、変わらずに造り続けてました。ナチュールに関しては、ここ2、3年かな。世の中に浸透してきたこともあって、何も言われなくなりましたね」

 話を聞きながら、僕は感心しきり。ワインを造ることに関して、菅原さんはぶれないなぁ、と。外野の声にもまったく揺るぎません。どうして?

「ワインを造る回数って、人生で意外と少ないんですよ。ぶどうを育てて、ワインを造ることは1年に1回しかできないですからね。私もあと何回できるかなって思ったりもします。だから、そこは好きにやっていいのかなって」

 続けて菅原さんは「そうは言っても、造りに関しては迷ってばかりなんですよ」と、さっきまでとは違った一面をのぞかせます。

「毎年、造りを終えると、あのときこうすれば良かったなとか、反省点が出てくるんですけど、次の年になれば気候も違って、ぶどうも変わって、ワイン造りも同じようには進まない。だから、毎年、戸惑ってばかりで」

 1年1年、新しい挑戦の繰り返しだと菅原さんは言います。同じ味にはならないけれど、よりおいしくなるようにはしたい。確信はないけれど、その手応えはある。そう言った後に「手応えというか、自分たちが納得する味に仕上げる自信はついてきた気がしますね」。

 菅原さんの充実した表情を見ていると、ワインと歩む日々はとても楽しそう。またもありきたりな質問だと思いながら、訊いてみますーーワインを造る楽しさってどんなところですか、と。でもね、菅原さんから返ってきた答えは再び予期せぬもの。

「つらいことばっかりです。楽しいことなんてすぐには思い浮かばないですよ」

 菅原さんは、はっきりと、そう言ったんです。真摯な表情でね。

「ワイン造りって、肉体労働なんです。ワイナリーと言っても9割は農作業ですからね。造り手は毎年ひとつは確実に年を取るわけです。当然、年々、体はしんどくなる。今年がいちばんたいへんだったなぁって言いがら、次の年になると、今年がこれまでで最高にしんどかったってなる」

 菅原さん、おいくつですか、と訊ねると「それは訊かないでー」とお茶目に笑います。と、そのとき、菅原さんの表情がぱっと明るくなって「楽しみ、ありました。収穫です、収穫」。そうだったそうだったといった感じで、菅原さんは収穫の楽しみを嬉しそうに教えてくれます。

「収穫は楽しみでもあり、喜びでもありますね。参加してくれたお客さんたちと触れ合うのは本当に楽しいものです。大地に感謝をして、お客さんに感謝をする時間でもありますしね。農業って孤独なんですよ。大勢のお客さんたちと一緒に仕事をすることで励みにもなるし、温かい気持ちにもなりますね」

 普段は夫婦ふたりでの畑仕事。広いぶどう畑でお互いが仕事に集中すると、ひと言も話さずに夜になっていることもあるという。

「夫婦喧嘩をしたときは遠くに離れて仕事ができるから、良かったなぁと思います」

 笑顔でそんな話を始めた菅原さんは「うちのぶどう畑は3ヘクタールもありますからね、広さを存分に生かして、端と端で仕事しているうちに、喧嘩をしてたことも忘れちゃうんですよ。家の中にいたらギスギスしたりするのが、畑仕事だと紛れます。ここでのいいことって、もしかしてそれかも」。

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 夫婦の会話はワインのことがほとんどで、喧嘩の原因も大半がワインだと菅原さんは言います。

「どうやったらワイン1本を2000円にできるかとか、そんな話ばっかりですね。ワイナリーをやるってことは、呑んべいである自分たちの思いをいかにして形にするかということでもあるんです。呑んべいとしてはおいしいワインを2000円で飲みたい。出来れば、毎日ね。さっきも言ったように、呑んべいのみなさんに安くておいしいワインだねって言われたい気持ちもあります」

 菅原さんの中で交錯する呑んべいと造り手の思い。話を聞きながら、僕は理解します。最終的に、ふたつの思いは一緒なんだなぁと。

「そもそもワインの飲み手が増えているかというと、そんなことはないでしょって思うんですね。飲み手がぐんと増えていないのに、ワイナリーだけが増えても、ね。これから淘汰されていくんだろうなっていう不安はあります。私は余市でワイナリーがつぶれたって話は聞きたくないんです。町にとってもマイナスだし、日本のワインに対してもいいことじゃない。だからこそ、価格のこともきちんと考えないといけないと思っています」

 僕はこれまでにいくつかのワイナリーを訪れてきたけれど、ワイン1本の値段についてこれほどまでに主張する造り手ははじめて。付加価値をつけて高く売る、とか、利益率を上げる、なんて話は何度も聞いたことがあるけどね。

「うちがケチなだけかもしれないです。節約できるところは徹底的にケチケチしていますからね。ラベルでも段ボールでも少しでも高く感じたら、ちょっと待ったぁってなる。なんにせよ、価格交渉は必死にやってます」

 菅原さんは「必死に」のところに力を込める。聞けば、菅原家では毎年、ワインを値上げするべきか否かの熱い議論が交わされるという。せめぎ合う金額は100円也。喧喧囂囂あって、最後には結局、据え置きという結論になる。今年も恒例の価格談議はあって、やっぱり100円の値上げは見送られたとのこと。広大なぶどう畑が広がるワイナリーの麓で、100円をめぐる熱い攻防が繰り広げられていたことを知って、リタファーム&ワイナリーのワインがとっても愛おしく見えてきます。

「最後は自分たちが飲み手としてどうなんだという話になって、100円の値上げは痛いよね、呑んべいとしては悲しいよね、となるんです」

 そうは言っても、2000円という価格を維持するには、ちょっとケチケチした程度ではなかなかに難しいことくらいは僕にもわかります。

「うちは夫婦ふたり、家内制手工業ですから。その中で安くておいしいワインを世に出そうと思ったら、たくさん造ることです。そうすれば、売り上げも立ちますからね。でも、たくさん造るということは、ぶどうを育てるのも収穫もたいへん。呑んべいにやさしい価格で世に出すには、しんどいことだらけ。でも、やるしかない」
菅原さんから発せられる言葉は本当に強い。けれども、本人から漂う雰囲気は、ふわっとやわらか。頑なさや意思の強さが前面に出ることもない。むしろ、微塵も感じさせない。なによりも、包み込むような優しさに満ちている。

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 僕から菅原さんへの最後の質問。これからのリファーム&ワイナリーが目指す道は?

 そうですねぇと言った後、ひと呼吸あって、菅原さんはいっきに話し切ります。

「ワイナリーを始めた当初は、まったく売れなかったんですよね。ネームバリューもないし、ナチュールもまだ受け入れられてなかったし、ね。経済的な心配がずっとありました。私はこれからワイナリーを始める人たちに、少しでも金銭的な不安が取り除けるような場所をつくりたいと思っています。カスタムクラッシュワイナリー、ようは共同でできる受託醸造の施設です。すべてを揃えなくてもワイナリーをスタートできる、そのための手助けになるような場所をつくります。これからワイナリーを始める人や始めたばかりの人たちがどうにもならなくなる状況をつくりたくないんですよ。畑を買ったり、苗木を買ったり、それなりに資金が必要な中、さらにワイナリーをつくるとなると、建物から機材から出費が嵩みます。退職金を充てたり、お金を借りたり、いろんな人たちがいます。でも、ワインを造ることが最終目的じゃないはずです。いかに売るかって発想がないと、そこでおしまいですよ。とにかく始めたからには最後までワイン造りを続けて欲しい。余市だけじゃなく、日本のワインのためにもね。最終的な目的はワイナリーを続けること」

 菅原さんの見つめる先には、呑んべいと余市と日本のワインと、そしてワインを愛する人たちがいることを、思い知らされます。

 かっこいいですね、と声をかければ「かっこばかりつけて、自分のところはどうなんだとまた言われそうですけどね」。そして菅原さんは最初と変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべて言ったんですね。

「私も余市の人間なので、世話焼きなんでしょうね」

 うふふといった面持ちでね。

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 菅原さんに話を聞いて4ヶ月が過ぎた頃、余市から1000km以上離れた東京は下町のスパイス料理店で、僕はリタファーム&ワイナリーのワインと出逢います。偶然です。びっくりです。あるなら飲みたい、あるなら飲みます。だって、にわか、ですからね。

 エチケットには「HACHIRO」の文字。「八郎橙色葡萄酒」とも描かれています。てんとう虫のイラストも。グラスに注がれたオレンジ色のワインを口に含んで、おぉと、ついつい声が出ます。力強いんです。菅原さんと会ってなければ、造り手のイメージはいかつい大男だっただろうなぁ。そんなことを思いながら、生命力に溢れる一杯を堪能します。

 物腰やわらかな雰囲気を漂わせながらも、言葉の端から端から感じた菅原さんの芯の強さが、目の前のワインにも宿っていて、もっと飲みたいなぁ、また飲みたいなぁと思わせる力がありましたね。

 はて1本の値段は?――お店のスタッフに訊ねると、3000円とちょっとだとか。今度、菅原さんに会ったときは伝えようと思います。3000円でも呑んべいが喜んで買い続けるワインが、日本にもあるということを。