第2話 人生は間違いである
自転車を商店街側から路地へ滑らせてゆく。片側が駐車場になってしまっては路地というよりは小路と言ったほうがいいかもしれない。この短くも狭い道を真っ直ぐに走るには少しコツがいる。遅すぎてはいけない、バランスをとりながら気持ち速く進む。店の角に自転車を停めて、シェアハウスの玄関から店へ入る。開店作業をすませ、表看板をさきほどの小路を通って商店街沿いに出す。振り返ると、灯りの漏れる木造モルタルの我が城。古本屋がある建物に見えないこの場所で僕は生き続けている。傾いて見えるのは、二階部分が斜めにせり出しているからだ。朽ちているからではない。
店を始めてみたいと相談を持ちかけられることが少なくない。ガラクタを寄せ集めてできた僕の店を見ながら、私もお店ができたらと言われると恥ずかしくもあり嬉しくはある。どんな店をしたいのか話を聞いていると、いつも会話の最後には「いつかできたらいいなと思っていて」と返される。そのたびに、あなたはいつまで生きられるつもりなのかと言いたくなっている。
尾道に移り住んだ頃、町に暮す人びとから「何か始めないの?」とよく聞かれた。当時は流れるように移り住んだ若者らを中心に、古い空き家や使われていないスペースを活用した小商いが少なくなかった。大学を無職のままで卒業し、地元福山に帰ってきた僕が尾道へ足を向かわせたのも、そういった空気を求めていたからだろう。NPO法人尾道空き家再生プロジェクトが運営するゲストハウスのアルバイトを始め、移り住んで一年後には店を始めた。チェックイン業務とカフェバイトの合間で古本屋を営業する兼業スタイル。開店当時の貯蓄は一〇万円にも満たなかった。一週間で一日まるまる休みの日はなかったが、大変だった思い出よりも生きている甲斐のほうが大きかった。駄目でもともと、でたとこ勝負の行き当たりばったり。どうせ最後は死んでしまえばいいという開き直りで、一日でも長く延命を続けていく。
初期衝動にも似た古本屋は、多くの奇特な友人たちにより育てられた。内装の準備をしていれば、電気工事の資格を持った男が偶然やってくる。大工仕事が苦手な僕に代わって、内装を補修してくれた江國香織、山田詠美好きの謎の美青年。ショップカードのデザインは、当時店二階のシェアハウスに住んでいた同居人。表看板を新調しようとすれば、常連さんのご実家がたまたま看板屋だったりする。書き出せばキリがないほど、店のピースは多くの出会いで構成されている。店を始めなければ、出会えなかった人たちばかりだ。
店を始めるために必要なのは「諦めること」だ。あらゆる人生の選択肢が浮かんでしまうから、始めることに躊躇する。ある意味、それは贅沢な話だ。一念発起という強さではなくて、あらゆる選択肢を「諦める」という後ろ向きの強さで始まる物語もある。
最初の一漕ぎを踏めば、あとは自然と自転車は進んでいく。狭い道を進むにはバランス感が必要になる。遅すぎず速すぎず、ゆっくりとペダルを踏む。思っているより道は長くない。大通りからそれた道はノラ猫が時々眠る、古本屋へ続く夜の小路だ。
いつかはきっとと思いつづける
それがきみの冒した間違いだった
いつかはない
いつかはこない
いつかはなかった
人生は間違いである
ある晴れた日の夕まぐれ
不意にその思いに襲われて
薄闇のなかに立ちつくすまでの
途方もない時間が一人の人生である
ひとの一日はどんな時間でできているか?
長田弘「間違い」(『一日の終わりの詩集』みすず書房)