第23話(最終話) 差し出す声もなく、手を握る

 雨が降っている。窓の下を若者の話し声が歩いていった。ラジオはアルテミス計画の話をしている。雨の音が濃くなるたびに静かさも深くなるようだ。

 本を読もうか、と鞄にいれたままだった本を取り出すも、まったく読む気になれない。駄目な時はいつもこうだ。雨の音がせめて、本の一行ならば、僕は耳を澄ませているだけで何ページにもわたって読んでいるだろう。目をとじて、雨音を読む。

「読書は孤独を癒す」と印字したTシャツを作った本屋の呟き(ツイート)があった。僕はそう思わない。孤独な時、人は読書できない。孤独は雑踏のなかに隠す。賑やかな酒場で知らぬ人と言葉で酌み交わしながら、紛らわす。酔った帰り道に孤独は深まるが、感情の動きとして自然でもある。孤独は癒すものではない、癒されるものではない。耐えるものだ。自分の欲求を言葉にしてしまえば、その浅さを知ることになる。その手前で踏みとどまる時に、孤独が立ち現れる。その間、覚えている詩の一節でもそらんじることができれば、ひとりの人間として豊かだ。読書は孤独を癒さない。読書は孤独を肯定する。

 

 運命は

 屋上から身を投げる少女のように

 僕の頭上に

 落ちてきたのである

 

 もんどりうって

 死にもしないで

 一体だれが僕を起こしてくれたのか

 少女よ

 

 そのとき

 あなたがささやいたのだ

 失うものを

 私があなたに差し上げると

              黒田三郎「もはやそれ以上」より

 

 僕の左ポケットには家の鍵、店の鍵、車の鍵、自転車の鍵、ライター、リップクリーム、USB、あらゆるものが詰めこまれている。右ポケットにはスマートフォン。ポケットはいつも僕の用をなすもので満席だ。一つとして、誰かに手渡せるものがない(貸すことはあっても)。差し上げることはできない。実につまらないポケットの中身だが、無いと困るものばかりだ。

 黒田三郎のこの詩は簡単なようで難解だ。失ったものを差し上げるのではない。これから「失うもの」をあなたに差し上げる。それが何かは明示されていないが、差し上げたことで「あなたはささやいたのだ」。果たして、僕にもこれから失うものがあるだろうか。あるいはもう失ったのだろうか。用をなすものばかりが入った、無いと困るものばかりのポケットからこぼれ落ちた、何かが。気づかぬうちに。

 僕も手癖のように詩を書いていた時期があった。見よう見真似の愚にもつかない詩を沢山書いてきたが、素直な言葉が連なる、若さゆえの切実さはあった。気どりがあっても、気どりにも正直さがあった。三〇歳を超してくると、青かった自分が疎ましくなってくる。その切実さに一生敵うことができないからだ。せめて、別の切実さを見出すしかない。

 当時書いていた詩に、

 

 これが僕の詩です。とポケットから手を差し出す

 (あなたがいなければ何も書かれていないことに近しいのに)

 

 というものがある。言葉よりも行為が先立つことがある。言葉を尽くすことより、一度の握手で伝わることがある。孤独の時に僕は差し出す声もなく、手を握る。それが僕の詩であり、一冊の本である日があることを信じて。