古書みすみ 1/3

2月25日(木曜)

 平日の朝、中央線の下り電車には乗客の姿がまばらだ。武蔵小金井駅の中央改札を抜け、北口からバスに乗り込む。「発車します。おつかまりください」。アナウンスが流れると、扉が閉まってバスは動き出し、新小金井街道を進んでゆく。車窓には戸建てが目立つ。ローソンも駐車場つきだ。プール前というバス停を降りると、「古書みすみ」がある。

 11時過ぎ、店主の深澤実咲さんがシャッターを上げる。店名を記した青緑色の看板を出し、表に均一棚を並べて、店内にモップをかける。開店作業をしていると、バイクが留まり、郵便が届く。「あの、レターパックってあったりしますか?」と深澤さんが尋ねると、「今はないんですけど、午後でもよければ」と配達員さんが答える。切手やレターパックなどは、そんなふうに配達員さんから買うことができるのだという。

「今日はめちゃくちゃ暇だと思うので、地味な仕事をやってると思います」。深澤さんはそう言って、まずは届いたばかりの郵便物を開封する。中に入っていたのは、東京都庭園美術館で開催される「20世紀のポスター[図像と文字の風景]―ビジュアルコミュニケーションは可能か?」展のチラシだ。気になる展覧会があれば電話をかけ、チラシを置かせてもらえないかとお願いする。わざわざ郵送してくれる美術館は少ないけれど、今回は送ってもらえたのだという。

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 チラシを店頭に置くと、本の値付けにとりかかる。足元には丸椅子が置かれていて、その上には激落ちくんのスポンジとセロテープ、らっこのセロテープ台にセットされたマスキングテープ、水を入れた霧吹きと、「ラベルはがし風神」というスプレーがコンパクトに並んでいる。布に「ラベルはがし風神」を染み込ませて本を拭き、汚れを取り除く。ラベルをはがすときだけでなく、汚れもきれいに落とせる。ダメージのある本や高価な本は、表紙を一旦外して、表紙にビニールを巻く。ビニールシートも足元に用意されており、ハサミですうっと一直線に裁断する。どこか懐かしい感じのする、黄色いハサミだ。

「なんかちょっと、お道具箱って感じのハサミですよね」と深澤さん。「このハサミは10年ぐらい使ってます。買ったときはもっとオレンジ色だったんだけど、色褪せてきて。たしか100均で買ったやつで、別に使い勝手がいいわけでもないんですけど、実家からこれだけ送ってもらって今も使ってます」

 深澤さんは1994年長野県生まれ。小さいころから本をたくさん読んでいたというわけではなく、夢中になったのは読書よりも映画だった。

「映画は中学3年生ぐらいから好きで、休みの日は映画館に行くことが多かったですね。地元にちょっと変わった映画館がひとつあって、そこによく映画を観に行ってたんですけど、学生だとあんまり入れなかったりするんです。観たい映画が観れなくて、ときどき高速バスで東京まできて、映画を観てから帰ったりしてましたね。二十歳を超えたあたりからは、それまで観れなかったぶん、めちゃくちゃ観るようになって。今でも店を閉めたあとは、映画を観てることが多いです。たまに仕事中にも、今日帰ったら何観ようかって調べたりしちゃいます」

 高校を卒業すると、地元の専門学校に通ったのち、上京。ただ、「映画がたくさん観られるから」と上京したわけでもなく、これという明確なきっかけがあったわけでもなかったのだと深澤さんは振り返る。

 気づけばお昼時で、近くのラーメン屋には行列ができている。ひとりで切り盛りしていると、お昼を食べに出かけるわけにもいかないけれど、もともとあんまりお昼ごはんは食べない生活だったから別段困らないのだと、深澤さんは言う。

「上京してから、お米をまったく食べなくなりました。朝はもう、米と納豆とお味噌汁みたいな家だったんですけど、そこで米を食べ過ぎたせいなのか、今は食べなくなりました。でも、お菓子が食べたいなと思ったら、お客さんがいないタイミングで店を閉めてコンビニに行っちゃうんですけど。あそこのローソンでいつもコーヒーを買うので、よくいる店員さんがレジにいると、こっちが注文しなくても『コーヒー?』って言われます」

 お店の前を、何台も自転車が通り過ぎていく。近くにコートがあるのか、ラケットをかごに積んだママチャリをよく見る。深澤さんは本をぱらぱらとめくり、2Bの鉛筆で値段を書き込み、すぐに棚に並べてゆく。
 最初に古本屋で働いたのは、二十歳のころ。深澤さんはそのころ高円寺に暮らしており、近所にあった「古書サンカクヤマ」でアルバイトを始める。

「その当時から、ぼんやりとではありますけど、ゆくゆくは自分でお店をやりたいと思っていたんです。それで、たまたまサンカクヤマの前を通りかかったときに、ああ、本屋だと思って中に入って。女性一人でやっているし、ここで働かせてもらえたら何か得るものがあるんじゃないかと思って、履歴書を書いて持っていったんですね。アルバイトの募集とかが出てるわけじゃなかったんですけど、『募集してなかったらいいです』みたいに、突然お願いして。そこで『じゃあ、来月ぐらいから』と言ってもらえて、サンカクヤマで働き始めたんです」

「古書サンカクヤマ」で働きながら、深澤さんは「八重洲ブックセンター」でもアルバイトをしていた。3年近く働いたところで、「八重洲ブックセンター」の契約社員にならないかと誘われたものの、就職して定時で働くより古本屋の世界のほうが魅力的に感じられ、誘いを断ったという。

「古本屋で働いていると、同業者に面白い人が多かったんです。当時はまだ二十歳ぐらいでしたけど、一角文庫の前原さんと一緒に催事(古本市)に出たときに、店番をしている目の前で高い本が売れていって、『これだからやめられないんだよ』って楽しそうに話していて。そんな楽しそうな感じを、自分はそれまで味わったことがなくて、いいなあと思ったんですよね。それで社長に『いつか自分でもお店を開きたいです』と話したら、市場にも連れて行ってもらえるようになったんです」

「古書サンカクヤマ」で働いていたころ、粟生田さんから花小金井の「秋桜書店」を紹介され、仕事を手伝っていたこともある。店頭販売を行っていない「秋桜書店」で手伝うのはネット販売の仕事だった。「古書サンカクヤマ」では店売りのよさを、「秋桜書店」ではネット販売のノウハウを学んだことが、今の自分の基礎になっていると深澤さんは振り返る。

「サンカクヤマの社長の他にも、自分が古本屋になりたいと思うきっかけになった人が何人かいて、いろんなところに影響されながら古本屋になった感じです。秋桜書店に通っているうちに、武蔵小金井のあたりも良さそうだなと思って、自分の店を始めるときにも武蔵小金井で物件を探したんです。家賃も三鷹を越えると一気に安くなるし、うるさくなくていいな、って。ただ、武蔵小金井に限らず、内見情報が出ればとりあえず見に行ってたんですけど、尾花屋さん[新小金井にある古本屋]がここで前に店をやっていた人と知り合いで、『あそこの物件、空くらしいよ』と教えてくれて、すぐに借りることに決めたんです」

 その物件は、かつてデザイン事務所として使われていた場所で、その前は工務店、さらに遡れば八百屋だったそうだ。近くにもう一軒八百屋があり、銭湯もあるのだという。知らない街を訪れると、駅を中心に捉えてしまう。でも、駅から少し離れたこの場所も、暮らしている人たちからするとひとつの中心だったのだろう。

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 昼下がり、小学生が下校してゆく。信号を渡ったところで別れ、「またねー!」と手を振りながら、半袖姿の子が走り去る。郵便局の車が停まり、午前中とは別の配達員がやってくる。

「ゆうパック、使ってもらえそうですか?」
「ちょっとずつ使う機会は増えてるんですけど、200個まで増えるかどうか――」

 日本郵便には大口契約と中小口契約、二種類の特約契約があり、ゆうパックであれば年間200個以上発送すると「中小口契約」が可能で、送料が少し割引になるのだという。あくまで最初はトライアルということで、もし200個に届かなくてもペナルティがあるわけではないので、試してもらえたらと、帰り際に、「ちなみに、実咲さんが社長さんなんですか?」と配達員が確認していた。

「お店をオープンすると、けっこう営業の人がきますね」と深澤さん。一番最初にきたのはダスキンで、朝使っていたモップもダスキンのものだ。さきほどの配達員も、帰り際に「ちなみに、実咲さんが社長さんなんですか?」と確認していたけれど、店主ではなく店員だと勘違いされることも少なくないという。

「営業の人から『店主の方はいついますか?』と聞かれることは多いですね。逆に、断りたいときは『今、ちょっと店主がいないので』って言い訳に使ってます(笑)。店をオープンするときも、告知はギリギリまでしてなかったんですよ。初日にたくさん人に来られるのも好きじゃなくて、知り合いにしか伝えてなくて。でも、わりと初日にお客さんがきてくださって、手伝いにきてくれてた人たちに店番を任せて、私は買い出しに出かけてました。自分が店主だと思うと、恥ずかしくなっちゃって。最近やっと、なんとなくは自分が店主だと思えるようになってきましたけど、『私が店主なんで!』みたいな気持ちは全然ないんです」

 現在の物件を借りたのは2020年10月1日のこと。開店に向け準備をしているあいだ、表に「11月中旬オープン」とだけ貼り紙をしていた。実際に開店にこぎ着けたのは11月22日だった。住宅街ということもあり、日中は若い世代のお客さんは少ないが、シニア世代のお客さんがちょこちょこ立ち寄ってくれる。

「こないだの地震で、こけしは倒れませんでしたか?」常連のお客さんが尋ねる。

「全然大丈夫でした」と深澤さん。「こけしは怖いから、早く売れて欲しいんですけど、全然売れないんですよね」

「古書みすみ」の棚には、こけしが13体並んでいる。カッパのお皿のように、頭頂部にぺっと値札シールが貼られている。てっきりこけしが好きで並べているのかと思いきや、買い取って欲しいと持ち込みがあり、並べているのだという。自分が店主ではあるけれど、自分の好みだけで棚を並べているわけでもないのだと教えてくれた。

「ちょっとはこだわりがありますし、『こういう本は置きたくない』とかっていうのはありますけど、自分の好きなジャンルだけ並べてるわけじゃなくて。映画関係は好きで並べてるところもありますけど、料理や手芸の本はあんまり得意じゃないから、開店に棚を作ってるときは大変でした。でも、その棚を作ったおかげで、結構料理や手芸の本の買い取りが入るようになったので、並べてよかったなと思います。自分のこだわりで店をやりたいというより、地域の本屋になれたらいいなと思っているので」

 外では日が傾き始めており、深澤さんは表の電灯をつける。母子が自転車で通り過ぎてゆく。「父ちゃん、待ってるって!」と母が叫ぶように言う。「どこでー?」少し前を走る子が振り返る。「ファミマんとこ!」と母が声を張り上げる。17時を過ぎると人通りが減り、客足も途絶える。仕事帰りのサラリーマンはバスで帰途につくせいか、スーツ姿のお客さんが来店することは滅多にないという。

「こないだ、雪が降った日があるじゃないですか」と深澤さんが切り出す。その日はちょうど、前回「北澤書店」にお邪魔していた日だ。

「あの日は朝から雨だったんですけど、店を開けてすぐ雪になって。こっちで雪が積もり始めたころになって、下北沢や高円寺でも『雪になりました』って言っていて、やっぱり西に行くにつれて変わるんだなと思いました。あの日は誰も歩いてなくて、ずっとここに座って、外の雪を見てました」

 深澤さんは帳場に本を広げ、消しゴムをかけている。書き込みアリの本が入ってきたので、ページにダメージを与えないよう、慎重に消していく。知り合いの古本屋さんには、この作業で腱鞘炎になった人もいるという。「そこに並んでいる本は、全部書き込みがあるんです。もう、どうしようと思って」。そうぼやきながら、日が暮れた店内で、深澤さんは消しゴムをかけ続ける。

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