第3回 マインドコントロール研究の第一人者に聞く「洗脳ってなんですか?」(前編)

 西田公昭教授に「洗脳」という言葉の使い方について聞きに行く

 洗脳とは一体何なのか? その謎の答えを探るため、私と担当編集の近藤さんがまず訪れたのは立正大学でした。

 こちらの大学院心理学研究科の西田公昭教授にお話を伺うためです。ご存知の方も多いでしょうが、西田教授は元オウム真理教信者の裁判では弁護側証人として出廷したこともある、マインドコントロール研究の第一人者です。『なぜ、人は操られるのか支配されるのか』(さくら舎)などの著書も多数出しています。専門的・学受的な面から「洗脳」について教えていただくのに、これ以上の方はいません。

 そこに加えて、私が西田教授のお話を伺いたかったもうひとつの理由が、「旧統一教会の洗脳に精通している」ということです。

 西田教授は大学での研究のかたわら、「破壊的カルト」の被害にあった個人や家族へのカウンセラー経験についての交流や情報交換を行う「日本脱カルト協会」の代表理事を務め、旧統一教会問題にも関わっております。

 そのような方ならば、私と会って話をしていくうちに、「ああ、こいつはかなり旧統一教会に操られているな」なんて感じで私の「洗脳されっぷり」を見極めてくれるかもしれません。そんな期待もあって今回、取材を申し込んだのです。

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 大学院心理学研究科の建物に到着して、西田教授の研究室へ向かうと、開けられたドアの奥で、西田教授が何かお仕事をされていました。廊下から「失礼します」と声をかけると「窪田さんですか? お待ちしていました」と笑顔で室内に迎えてくれました。

 ちょっとほっとしました。実は今回の取材は、まず立正大学に申請をして、西田教授ご本人からお返事のメールをいただくという流れだったのですが、その中で、大学の広報担当者の方が私の取材申し込みを西田教授に転送をした際の「件名」に、「悪意の可能性あり」と書かれていたのを見てしまったからです。

 もちろん、大学側としては、なにも間違ったことはしていません。先ほど申し上げたように西田教授は「破壊的カルト」の研究でも高明な方なので、そこに旧統一教会の取材をしている怪しげなライターが面会を申し込めば、警戒を促すのは大学の危機管理として極めてまっとうな対応です。

 ただ、ひとつだけ心配だったのは、「悪意のある取材」と警戒するあまり、西田教授がこちらの質問にあまり答えてくれなかったら困るなあということでした。しかし、にこやかに迎えてくれた西田教授を見る限り、それは完全に杞憂でした。

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 取材を快く受けてくれたことに礼を述べた私と近藤さんは、さっそくここにやってくる前に「最初に質問しよう」と決めたことを尋ねることにしました。

「先生、実はこの連載のタイトルが『私、洗脳されてますか?』というものなんですが、こういう言葉の使い方をしても大丈夫でしょうか?」

 いきなりなぜこんな質問から始めたのかというと、話はこの連載について打ち合わせをしていた時に遡ります。

 近藤さんと2人でタイトルをどうしようかと考えて、最終的に「私、洗脳されてますか?」にしようと決めました。旧統一教会問題でもマスコミやジャーナリストは「洗脳」という言葉が盛んに使っています。そのように社会に浸透している「洗脳」という言葉を使えば、企画のテーマもしっかりと伝わるだろうと考えたのです。

 しかし、それからほどなくして私たちは頭を抱えることになります。取材の下調べをしようと、西田教授の本を読んでみると、「洗脳」とは拷問などで暴力的に思想を支配していくものと説明されているのです。宗教や詐欺商法などで人を操っていくのは「マインドコントロール」と呼ばれ、それぞれ異なるものと位置付けられているのです。

 となれば、『私、洗脳されてますか?』というタイトルは問題です。私は旧統一教会から拷問や監禁されたこともないからです。しかし一方で、マスコミも有名ジャーナリストも「マインドコントロール」と「洗脳」を混在して使っています。「赤信号みんなで渡れば怖くない」ではないですが、これが問題ないのならば、我々も「洗脳」という言葉を使いたいという思いはあります。

 このような「制作サイドの事情」をお話しすると、西田教授からは意外な言葉が返ってきました。

「確かに2つの言葉が混在している状況ですが、私は正直それもしょうがないかなと思っているんです。実は『洗脳』という言葉は私たちのような研究者がつくった言葉ではなく、ジャーナリズムから始まっているものですから」

「洗脳」は旧ソ連のスパイ開発プログラムについて米ジャーナリズムが広めた概念

 西田教授によれば、もともと「洗脳」とは、中国共産党が捕虜や反共産主義者などに対して行ってた思想改造に使われていた表現で、それをエドワード・ハンターというアメリカ人ジャーナリストが突き止めて自国で造語の「brainwashing」と紹介したことが、きっかけだそうです。つまり、アカデミックな世界ではなくジャーナリズムが世に広めた概念なのです。

「もちろん、もっと古くに遡れば原理は心理学にあって、旧ソ連の生理学者イワン・パブロフの条件づけから始まっているんですよ」

「犬に餌をあげる時にベルを鳴らすことを繰り返すと、ベルを鳴らすだけでヨダレを垂らすようになるという"パブロフの犬"のことですね」

「ええ、つまり旧ソ連から始まった、いわばスパイ開発プログラムなんです。それが同じ共産主義国に伝わり、中国で『洗脳』となったものを、アメリカのジャーナリストが見聞きして自国に持ち帰りました。それが共産主義というのは人間にこんな酷いことをしているんだ、という一種のプロパガンダに使われたんです。ただ、そうやって批判をしながらも、実はアメリカも同じようなことを研究していて、実用化をしたのが共産主義国の方が早かっただけなんですよ」

 その例として、西田教授は「MKウルトラ」を挙げられました。これは1953年からCIA(アメリカ中央情報局)とタビストック人間関係研究所が秘密裏におこなっていた洗脳実験プロジェクトで、幻覚剤や電気ショックなど数々の危険な人体実験を行い、死者・廃人を多数生み出したことがわかっています。要するに、「人間を意のままに操ろう」という技術の探究について、共産主義国もアメリカも「目くそ鼻くそを笑う」状況だったというわけです。

「その後、アメリカで洗脳は下火になるんですが、80年代にカルト団体が台頭してきたことで再び注目を集めます。被害者調査で、洗脳と同じようなことをしていると告発があるんです。それがマインドコントロールです。もちろん、この時からそんな話はあり得ないという虚構論を主張する人もいて、宗教学、社会学、そして心理学を中心に議論がされているという流れですね」

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 実はこのあたりの議論については、私も旧統一教会側から耳にしていました。彼らの主張としては、自分たちはマインドコントロールなど受けておらず、そもそもそんなもの自体は存在しないというものです。その話に触れると、西田教授は「そうそう」と立ち上がって、本棚から『間違いだらけの「マインド・コントロール」論』(魚谷俊輔著、賢仁舎)という本を取り出して見せてくれました。

「ありがたいことに、誰か知らない人からこういう本が送られてきましてね(笑)。そこで読んでみると、(教団の問題を追及する)紀藤正樹弁護士に比べると、西田公昭はまだ可愛げがあるみたいなことが書いてありました。おそらく、私は断定的じゃないからでしょうね」

「マインドコントロールにまつわる議論というのは、まだはっきりとした結論が出ていないということでしょうか?」と私が質問をすると、西田教授はにっこりと微笑んで、「ええ、断定はできませんよ、何もかも証明には多くのデータが必要ですから」と言いました。

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 私と近藤さんは、顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろしました。「洗脳」や「マインドコントロール」というものが、科学的・医学的に結論が出ているものであれば、この連載のタイトルも修正しなくてはいけませんし、記事中の「洗脳」という言葉の使い方もあらためなくてはいけません。

 しかし、ここまでお話を伺うと、そもそもジャーナリズムが広めた概念であり、かつては大国同士のプロパガンダにも利用されたものでもあるので、まだ評価の定まっていない面もあるようです。ならば、この連載も他のマスコミやジャーナリストの皆さんと合わせる形で「洗脳」という言葉を用いても問題はないはずーー。というわけで、これから本文に登場する「洗脳」というのは、マインドコントロールも含めた大きなくくりのことだけ受け取っていただければと思います。

洗脳されている人は見ただけでわかるのか?

 西田教授のわかりやすい解説のおかげで、連載タイトルについての懸念が解消された一方で、新たな疑問も浮かびました。

 マインドコントロールというものが断定できないのであれば、旧統一教会側の「我々は洗脳などされていない」という言い分にも一定の正当性があるのではないでしょうか。実際、前回でも述べたように、私はこれまで100人を超える現役信者と話をしてきましたが、何かに操られているような印象はまったく受けませんでした。熱心に信仰をしていることを感じますが、自分たちが置かれている状況や、教団の問題点などを客観的に分析をしている人も多くいました。

 そんな私自身の体験を、黙って頷いて聞いていた西田教授は逆に私にこんな質問をしてきました。

「窪田さんは記事などで"洗脳されているようには見えない"と書かれていますが、見ただけで洗脳をされているかどうかわかるんですか? 洗脳をされている人はこんな顔をしているというモデルがいるのならば、そのようなことも言えると思いますが、そんなモデルはいないですよね」

 なるほど、その通りだと納得しました。私の中では洗脳されている人は「恐怖」で支配されている、という先入観があったので、教会や自分たちの信仰に向き合う姿勢に対して批判的なことを言っている人が多くいたことで、「洗脳されていないのでは」という印象を抱いてしまったのです。それを伝えると、西田教授はこう言いました。

「窪田さんが多くの信者に感じたように、マインドコントロールを受けている人は見た目も言動もごくごく普通です。外見からは何もわかりません。2002年に北朝鮮から拉致被害者の方たちが帰国をした時がありましたね。私はあの時にマスコミから、飛行機から降りてくる時の顔を見て、洗脳されているかどうか判断をしろと言われたんです。洗脳というものをそんな風に捉えているのかと驚きました」

 「まったくマスコミってとんでもないことを考えますね」と呆れる私に、西田教授は言いました。

「でも、失礼だけど窪田さんも彼らと同じようなイメージで洗脳を考えているんじゃないかと思ったんですよ。マインドコントロールというものに、ロボットや催眠術のイメージに引っかかっていませんか?」

 ぎくっとしました。

 胸に手を当てて考えてみると、確かにそのような面があったことは否めません。「マインドコントロールという言葉の持つ「支配」や「操られる」というイメージに引きずられて、現役信者の言動をチェックしていたところもあったからです。

【第4回 マインドコントロール研究の第一人者に聞く「洗脳ってなんですか?」(中編)に続く】