市場界隈 那覇市第一牧志市場界隈の人々

『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』は書籍になりました。

沖縄県那覇市の第一牧志公設市場。戦後の闇市を起源に持ち、70年以上の歴史を抱える市場に通いつめて、界隈の人々を取材しました。浮かび上がるのは沖縄の昭和、そして平成。観光で触れる沖縄とはちょっとちがう、市場界隈の人々の記録です。
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橋本倫史+宇田智子 市場の景色を記録する

橋本倫史著『市場界隈』刊行記念トークショー @2019年6月15日 於:沖縄・ジュンク堂書店那覇店
ゲストは那覇の"市場の古本屋ウララ"主の宇田智子さんです。

橋本 今日、ここジュンク堂書店那覇店でトークイベントを開催させていただけることになったとき、ゲストとして最初に浮かんだのが宇田さんだったんです。僕が頻繁に沖縄を訪れるようになったのは2013年からで、その頃からリトルプレスを作ってたんですけど、それを「市場の古本屋ウララ」で扱ってもらうようになって、直接納品するときなんかに公設市場のあたりを歩くようになって、それで少しずつ界隈の地図が出来ていったんですね。
 最初に宇田さんのお店で扱ってもらった本は、たしか『cocoon no koe cocoon no oto』(HB編集室)という本で。まず、今日マチ子さんがひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた『cocoon』(秋田書店)という漫画があって、マームとジプシーという演劇カンパニーが舞台化したんですね。それを2015年に再演するにあたり、事前にリーディングライブのツアーがあって、ツアーを追ったドキュメント『cocoon no koe cocoon no oto』を最初に扱ってもらったんです。

宇田 そうでした。それまでもたぶん店にはよくいらしてくださっていて、なんとなく「この人はあの人だろう」とわかっていたんですけど、まあお互いにあまり話しかけるタイプではないので、ずっと話さないままでしたね。

橋本 そっと本を買ってそっと帰ってました。宇田さんはもともとジュンク堂書店に勤めてらして、那覇店がオープンするときに異動を願い出て、こっちに引っ越してらしたんですよね?

宇田 そうですね。それがちょうど10年前です。

橋本 それは、どうして異動を願い出たんですか?

宇田 橋本さんの『市場界隈』では、私も店主のひとりとして取材していただいてるんですけど、自分で読むせいか、私だけ変なことばかりしゃべってるような気がして。他の人はもう少し自分の人生を振り返ったり、沖縄の話をしたりしてるのに、私は自分のぐずぐずした話ばかり書いてあるような気がするんです。こんなのでよかったのかなと思うし、今聞かれたような質問の答えも、この本の中には書かれてないですよね。

橋本 取材させてもらったとき、そういうことは質問すらしなかった気がします。

宇田 沖縄にきたきっかけは、東京の池袋で働いていたときに、沖縄の本を扱うようになって。それを沖縄で売りたいと思ったのが一番の理由ではあるんですけど、それ以外はぐずぐずした理由が重なって、なんとなくきてしまったというのが正直なところです。

橋本 宇田さんと話をしたいと思った理由のひとつもそこにあるんです。僕の『市場界隈』は、現在の建物としては明日(2019年6月16日)で最終営業日を迎える第一牧志公設市場界隈を取材して、一冊の本にまとめたわけですけど、沖縄好きが高じて取材対象に公設市場を選んだわけではないんですね。そうではなくて、ちょっとした縁が重なって沖縄に足を運ぶようになって、公設市場が建て替えになると聞いて、「今の建物があるうちに記録しておくべきじゃないか」と思うに至って、本を作ったんです。取材なら取材という行動を起こすとき、動機として「この対象が好きだから、取材してます」といったほうが話は早いじゃないですか。でも、僕は好きだから取材するという感じではないんですよね。宇田さんが沖縄にいらしたのも、好きという言葉で説明するのは難しいことであるような気がしたんです。

宇田 私に限らず、この本に出てくる人たちも、「鰹節が大好きで鰹節屋を始めた」とか、そういうことではないですよね。別に好きじゃくても店を始めていいし、いろんな理由があるんだってことを、『市場界隈』を読んで改めて感じました。

橋本 この本では30軒のお店に話を伺っていて、宇田さんのお店は13軒目に登場するんですけど、そのひとつ前に取り上げたのが「ザ・コーヒー・スタンド」というお店で。そこはすごくこだわってらして、美味しいコーヒーをいただけるお店なんですけど、それだけこだわるからには昔からコーヒーが好きだったんだろうなと勝手に思っていたんです。でも、話を伺ってみるとそうではなくて、「初めてコーヒーを飲んだとき、こんな苦いものに皆がお金を払うんだったら、もっと美味しく淹れれば商売になるんじゃないかと思った」とおっしゃっていて。そういうきっかけもあるんだなと、改めて気づかされましたね。

市場があるうちに

宇田 ちょっと聞いてみたいなと思ったのは、この本は3部構成になってますけど、なんでこういう章立てになっているのか、わからないところがあって。第1部は公設市場の業者の方達で、第2部と第3部は市場の周辺のお店が取り上げられてますけど、第2部と第3部はどうやって分けたんですか?

橋本 第2部でお話を伺ったのは、「ザ・コーヒー・スタンド」や宇田さんのお店に始まって、化粧品店に呉服屋さん、ミシン屋さんにタオル屋さん、紙商店にお餅屋さんあたりなんですね。宇田さんのお話の中でも、本は日用品だというお話がありましたけど、基本的に第2部は生活の中で必要とされるものを扱うお店を取り上げてるんです。公設市場は基本的に食料品を扱う場所ですけど、その界隈には生活を支える品物を扱うお店が集まってるってことを、第2部では取り上げていて。
第3部に関して言うと、飲食店が多めではありますけど、10年前、50年前には今と全然違う風景がここに広がっていたんだってことを感じられるお店を集めたんですね。そういうことを本のまえがきで書いておけば読者の方にもわかりやすかったんでしょうけど、それを書いてしまうと説明過多な気がしたんですよね。それをすべて言葉で説明するより、目次を見たときに、「章立てされてるけど、これはどういう意味があるんだろう?」くらいに思いながら読み始めてもらえたらと思ったんです。

宇田 30軒の店主の方達の聞き書きがあって、最後に公設市場の粟国組合長の話が掲載されてますけど、そこだけインタビューにしているのはなぜですか?

橋本 この本は「今の建物で市場が営業しているうちに、沖縄の書店にも並んでいてほしい」と思って、奥付は5月25日発行になってるんですね。本の内容としても、「公設市場は皆の思い入れの詰まった場所だったね」と過去形で終ってしまうのはよくないなと思って、未来に向いた話が必要だなと思ったんです。
 もう一つ、この本は30軒の店主に取材して、それに粟国組合長のインタビューが加わっているので、30+1という構成になっていて。取材を始めた段階で、この「30+1」という構成にすることは決めていたんです。沖縄の歴史を元号と絡めるのもどうかとは思ったんですけど、公設市場が観光客で賑わうようになったのは持ち上げ制度が始まった90年代以降のことで、つまり平成のあいだにかなり大きく移り変わったんだと思うんですね。だから、平成が30年+数ヶ月で終わるタイミングで建て替えを迎えることにあわせて、30+1という構成にしたいなとは思っていたんです。

宇田 聞いてみないとわからないことですね。

橋本 そう考えると、この本はあんまり優しくないところもありますね。ただ、僕がどう思っているかってことはどうでもよくて、あくまでこの界隈の方達がどんなふうに過ごしてこられたかってことだけが書かれてあればよいと思ったので、僕がどう考えたかってことはほとんど書かなかったです。

宇田 でも、まえがきには唯一橋本さんの思いが書かれてますけど、今の市場があるうちに本を出版したいというのがすごく印象に残っていて。5月の終わりに出版されて、市場が今の建物で営業するのは明日までだから、1ヶ月しかその期間はないわけですよね。それでもその期間を作ろうとして、1年で本を出すのはすごいなと思いました。

帳場からの風景

橋本 「今の建物で営業しているうちに出版したい」ということはまえがきにも書いたんですけど、僕がなぜ市場を取材するのかって動機のことはあんまり書かなかったんです。宇田さんはお店をされながらエッセイを書かれていて、お店の帳場からご覧になったことを書かれてますよね。そこから見える風景を言葉にしようと思った動機はどこにあるんですか?

宇田 私は橋本さんのように自分から取材にいくことはなくて、何かが起こることを待っているだけなんですけど、お店を始めるときは何かを書いていこうとは思っていなかったんです。ただ、お店を始めてみると、市場中央通りはすごくいろんな人がくる場所なんですね。私の店は沖縄の本がたくさんあるんですけど、「この写真に写っているのは自分だ」とか、「この出来事に自分は関わっていた」とか、本を見て思い出したことをしゃべってくれることも多くて。私はそれをどう位置づけていいのかもわからなかったんですけど、すごく大事なことをしゃべってくれているのはわかるので、それを自分の中だけに留めておくのはもったいない気がしたんです。だから、私が文章に書くのは、「こんなことがあった」と他の人にも知って欲しいという単純な気持ちもあります。市場が建て替えになるって聞いたときも、もっとちゃんと話を聞いてみたいと思ったんですけど、私自身は「話を聞かせてください」と訪ねて行ったことはなかったし、そこで何を聞けばいいのかってことも頭になかったので、橋本さんが取材すると言ってくださったときはすごく嬉しかったです。

橋本 取材する立場としては、僕のほうが楽なところがあると思うんですよね。それは普段からライターとして仕事をしているということをまったく抜きにしても、僕のほうが楽だと思うんです。たとえば、本を出したあとで那覇に滞在していると、「どうしてうちには取材してくれなかったのか」という声も耳にするんですね。紙の本には制約があるので、すべてのお店に話を伺うことはどうしても出来ないので、じゃあ限られた紙面の中でどこに話を聞くか、僕の主観で選んでいるわけです。そうやって「選ぶ」ということは、普段はここに暮らしていないほうがやりやすいところもあって。でも、宇田さんはこの町に暮らしていて、ここでお店もされているとなると、「どうしてうちには話を聞きにきてくれなかったのか」ということが如実に起こる気がするんです。
 それに、僕は自分から話を聞きに行く立場ですけど、宇田さんはその逆で、宇田さんに会いにお客さんがやってくるわけですよね。宇田さんは営業時間中はずっとお店にいて、そこにいろんなお客さんがやってきて、宇田さんに話しかけてこられるわけですよね。そういう状況にある上で、帳場で見聞きしたことを書き記すっていうのは、僕には存在しないハードルが大きく横たわってる気がするんです。別に文句を言われるってほどのことはなくても、「あのときのことを書かれるとは思わなかったから、恥ずかしかった」と言われたり。

宇田 最初に書いた『那覇の市場で古本屋―ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』(ボーダーインク)を読み返すと、「ああ、こんなことを勝手に書いている」とは思うんですけど、まあたぶん、皆あんまり読んでないですよね。「読んだら自分が出てきてびっくりした」と言われることはありますけど、今のところ名誉毀損みたいなことにはなってないし、写真とかだとすぐバレちゃうかもしれないですけど、本って読まないとわからないですよね。橋本さんはそうやっていつもうろうろして、不審者扱いされたと言ってましたけど、そういう苦労もあるわけですね。

橋本 最初に取材を始めたときは、本に出来る確約もない状態だったので、どうやって話しかけようか迷ったんです。僕はどこかの会社に所属しているわけではないので、余計に説明しづらいんですよね。たとえば「××新聞の記者をしていて、今は公設市場の取材をしてます」と言えば通じやすいじゃないですか。でも、僕はそうやって名乗れるものがないので、まずは顔見知りにならないと取材なんてお願い出来ないなと思ってしまうんです。普段から気安く 人に話しかけたり出来ないほうなので、一向に取材できないまま歩き続けて、「はあ、今日も話しかけられなかった」と落ち込んで、お店の軒先で宇田さんに話を聞いてもらう日も多かったですね。

宇田 いや、30軒ぶんも「話しかけられなかった」という気持ちを積み重ねて取材されたんだと思うと、読む以上に大変だったんだなと思います。

百年後の読者に

橋本 今回、宇田さんとトークをしたいと思ったのには、もう一つ大きな理由があるんです。僕は毎年6月には沖縄を訪れているんですけど、去年の6月にやってきたときに公設市場の近くに宿をとって、1週間ほど界隈を歩きまわって過ごしたんです。少しずつお店に話を伺って、その滞在記をブログに書き連ねていていたんですね。僕は公設市場にすごく馴染みのある人間というわけでもなかったので、それが僕にできる記録だろう、と。でも、その滞在記を何日ぶんか書いたところで、宇田さんとお会いしたときに、「橋本さんはよく『百年後の読者に届けたい』と言いますけど、あのブログだと、市場の歴史に興味がある私でも読むのがつらい」と言われたんですね。その言葉で、もう、ばっさり斬られたような気持ちになって。市場の日々を記録することに関心があって、しかも普段からよく文章を読んでいるであろう宇田さんが「読むのがつらい」と言うのであれば、こういうスタイルで書き残すのでは駄目なんだろうなと思ったんです。その言葉を受けて、生まれて初めて 出版社に企画を持ち込んで、今のスタイルで取材し直して、『市場界隈』を出版したんです。だから、宇田さんの言葉がなければ一冊の本にまとまることもなかったんですけど――この話をすると、宇田さんはすごく居心地が悪そうな顔をされますよね。

宇田 居心地が悪いというか、もう少し優しい言い方をしたんじゃないかと思いたいんですけど、でも、本になってよかったですか?

橋本 よかったと思います。

宇田 じゃあよかったです。「百年後の読者に届けたい」ということは、本のまえがきにも書かれてますし、橋本さんがよくおっしゃることでもあるので、そのブログも百年後に向けて書いているんだろうと思っていたんです。私の中では市町村史のようなもので、通して読むものではなくて、そこに書かれていることを必要とする人が必要な項目だけを読んで、「こんなことをよく記録しておいてくれたな」と思うようなものを書こうとされているんだと思っていたんです。だから別に、今の私が通読できなくても、橋本さんにとっては想定内だろうと思っていたので、うっかりそんなことを言ってしまって。その言葉にショックを受けたと言われて、心から反省しましたし、本のあとがきに名前を出してくださったことにも申し訳なさでいっぱいです。
 あのとき私は、「本にして欲しい」と思って言ったわけでもなかったんですけど、本屋としてはやっぱり本にして欲しいですし、私は沖縄の本を沖縄で売りたいという気持ちがすごく強くて、その中でも「市場の本を市場で売りたい」という気持ちがあるんですよ。市場関連の本や水上店舗の本が出るとすごく嬉しくて、この店で売るしかないと頑張って売ろうとしますし、そう言う本がもっとたくさんあればいいなと思うので、これが本になってくれたのは嬉しいんですけど、その一点についてはお詫びしたいと思います。

今すぐ読んでもらいたい

橋本 ちょっと変な質問ですけど、宇田さんは友達が多いほうですか?

宇田 いや、少ないと思います。

橋本 いい大人が言うのもどうかと思うんですけど、僕も友達が少なくて、友達だと言い切れるのはふたりくらいなんですね。でも、この1年は月に1度は沖縄を訪れて、「なかなか取材したいお店の方に話しかけられないな」と思いながら、宇田さんのお店にお邪魔して、軒先で少し話を聞いてもらったりしてたんです。その時間がなければ、たぶん途中で挫けてた気がするんですよね。

宇田 橋本さんは一日に何度か寄ってくださって、一緒に座って話すこともあれば、ただ挨拶だけして去っていくこともあったんですけど、顔色の変化が顕著で、何度かすごく明るい顔をして現れたことがあったんですね。そういうときはやっぱり、「さっきの取材ですごくいい話が聞けた」と。でも、大体は落ち込んでいて、取材を断られたとか、うまく話しかけられなかったとか、そうおっしゃってることが多かったんですよね。でも、私は橋本さんが市場を取材してくれること自体嬉しいと思っていたこともありますし、毎月通うっていうのも大変なことだと思っていたんです。しかも、いつも歩き続けていて、挨拶しないまま私の店の前をなんども通り過ぎる姿も見ていて、あれだけ足を使って取材するのは大変だと思うんですよね。それをひっくるめて言うと、ちょっと嘘くさいですけど、尊敬してます。

橋本 取材で滞在していたときに落ち込んでいたのは、「うまく話しかけられなかった」ということも理由にはあったと思いますけど、取材をしようとするたびに、「自分は余計なことをしようとしている」という気持ちがどうしても消えないってこともあるんです。そもそも取材という言葉も「材料を取る」と書くわけで、どんなに丁寧にアプローチしたとしても、原稿を書くための材料を集めているわけで。そんな作業を、この町に暮らしているわけでもなければ、この町に縁があるわけでもない人間がやろうとするなんて、なんて余計なことだろうと思ってしまうんですよね。もちろん「記録に残すことは意味があることだ」と思っているから取材するわけですけど、ここで働いている方たちは、当然ながら記録されるためにいるわけではなくて、ただ日々の生活として商売をされているわけですよね。その方々に、取材のために時間を割いてもらうなんて、すごくおこがましいことでもあるなと。

宇田 でも、心が折れることなく、こうして一冊にまとまって。

橋本 今の建物で営業を続けているうちに出版したいと思ったのは、そんな気持ちがあったからというのもありますね。もちろん公設市場の歴史は明日で終わるわけではなくて、7月1日からは仮設市場での営業が始まって、2022年には元の場所に新しい市場が完成する予定で、市場の歴史はずっと続いていくわけです。ただ、せっかく話を聞かせてもらって言葉にするからには、「こんな場所があったんだね」と過去形で振り返るのではなくて、皆さんが今の風景で商売をされているうちに出版して、この本を片手に歩きながら、「このお店にはこんな来歴があったのか」と思いながら歩いてもらえたらなと思ったんですよね。

宇田 橋本さんは以前から「百年後の読者に」と話されてますけど、同時代の人に今すぐ読んでもらいたいって気持ちもあるんですね。

橋本 その気持ちは、昔より大きくなってきてます。僕は気が向いた朝にだけジョギングをするんですけど、公園でぼんやりベンチに座りながら新聞や雑誌を読んでいる人を見かけると、その人が手に持っているものを自分の本にすり替えたい衝動に駆られることもあるんです。この界隈を歩いているときも、スマートフォンで何か読んでいる人がいると、手元にすっと『市場界隈』を差し出して読んでもらいたいなと。

宇田 「こういう本を出してみたんですけど、読みませんか?」って、直接話しかけてみたらどうですか?

橋本 さすがに本を差し出すのはハードルが高いですけど、本を出版したときに、出版社の人に確認した上で、自分でチラシやポスターを作ったんですよ。どこでそんなに配るつもりだって数を印刷してしまったんですけど、せっかく本を出したからには、「こんな本を出しました!」と伝えたい気持ちがあるんですよね。いい歳して人見知りなので、見知らぬ人に突然差し出したことはないですけど、常に渡したいなって気持ちでいます。

宇田 この『市場界隈』は、最初にWEB本の雑誌に連載されてましたけど、そのウェブ連載のチラシもご自身で作られてましたよね。ウェブ連載のチラシって見たことなかったのと、しかもすごく立派な紙で作られていたので、びっくりしました。

橋本 採算っていう言葉を忘れがちなので、よく同居人から怒られてます。ポスターを作るときも、「せっかくだから一番立派な紙にしよう!」と選んだら、すごく分厚い紙で刷り上がってきて、最初に自分がびっくりしました。

過去形ではなく

橋本 今回の『市場界隈』という本は、ここ数年のあいだに僕が考えてきたことがあって、それでこういう本になった部分もあるんですね。僕はドキュメントを書く機会が多いんですけど、それはつまり、「現在」という時間に起こった何かを目撃して、文章に書き記すわけです。目撃した段階では「現在」だったことが、文章を書く段階でもうすでに「過去」になっていて、そうして書いた文章を読むのは「未来」にいる人たちなんですよね。その過去・現在・未来という3つの時間軸のことを考えていて、それを読んだ人にも感じてもらうためにも、当然のように「過去」のこととして書かれた本として『市場界隈』を出版するんじゃなくて、本が出た瞬間にはかろうじて「現在」のことでもある本として出版したかったんです。
 それで言うと、宇田さんが昨日ツイッターでつぶやかれたことも印象的だったんですよね。沖縄タイムスの「私の公設市場物語」という 連載企画でインタビューされたことについて、「向かい側から公設市場を眺めた日々について話しています」と一度ツイートされて、その少しあとに「と初めて 過去形で書いてみて、ぞっとしました」とつぶやかれてましたよね。

宇田 そのとき、「眺めている」というよりも「眺めていた」かなと思ったんです。私の店の向かいに公設市場があって、それをずっと眺めてきたんですけど、「眺めた日々」と書いてみたときに、ぞっとするという言葉しか出てこないぐらい怖くなって。
 私たちはこれからも同じ場所で商売を続けていくんですけど、市場が建て替えになることでいろんな問題が起きていて、今はそれについて考えるのに必死なんです。だから、「3年後はどうなるのか」みたいなことをずっと考えてきたんですけど、先週の終わりぐらいから市場がほんとに営業を終了するんだってムードが感じられるようになってきて。その日のことをあんまり想像しないようにしてきたんですけど、月曜日に店を開けるときにショックを受けるんじゃないかと思って、すごく怖いんです。

橋本 怖い?

宇田 なくなることはわかっているのに、そのショックを和らげる方法はないような気がして。今のうちにと市場を写真に撮っておいたとしても、月曜日はすごくショックを受けるんだろうなと。それは、市場がなくなることが寂しいというよりも、ずっと見てきたものがある日突然終わっていることに対する怖さかもしれないです。今の市場は好きなんですけど、今のままでずっとあるわけではなくて、建物が今のままだったとしてもお店は入れ替わるだろうし、それはしょうがないことで、「今の市場がいい」と言ってもしょうがないとは思っているんです。だから、そういうことを言わないように気をつけていたんですけど、やっぱりその事実自体はすごく寂しいことだっていうことを、このところやっと認められるようになりました。

時間の蓄積が育むもの

橋本 今ちょうど、那覇市歴史博物館で「那覇の市場」展が開催されていて、今日になってようやく観に行ってきたんです。そこでは明治以前までさかのぼって展示がされていたんですけど、すごく印象的な写真が展示されていて。それは公設市場が今の建物になる前の写真なんですけど、ひょっと影みたいなのが写り込んでいて、一体何だろうと思ってよく見ると、犬だったんですね。当時の市場は暗かったから、犬の姿がちょっとぶれてたんですけど、市場の中を犬が歩いているぞ、と。それで、そこに添えられたキャプションを読むと、この市場にはよく野良犬が出て、市場には食べ物があるせいか丸々太った犬が多かったけど、怒った店主から包丁を投げられることもあり、背中に傷のある犬も多かった――そんな説明書きがあったんです。そんな写真の隣には、今の市場がオープンしたばかりの写真が展示されていて、それは本当にぴかぴかで、真新しい姿だったんですよね。今はその写真が撮影されて半世紀近く経っていて、市場もレトロさを帯びてますけど、オープン当時は当たり前に真新しい建物だったんだなと。その写真を目にしたときに、今の風景になるまでにはものすごく膨大な時間の蓄積があって、さまざまな移り変わりがあって、その結果として、偶然今の姿があるんだなと思ったんです。その風景は今までだって変わってきたし、これからだって変わっていくんだろうなと、ちょっと前向きな気持ちになれたんですよね。

宇田 私も同じようなことを感じていて。今、公設市場の2階でも写真展をやっているんですけど、1972年に今の市場が出来たときの写真があって、ほんとにきれいな市場なんですよね。スーパーみたいに整然としていて、はみ出して陳列されているものもなくて。それに比べると今の市場のほうがよっぽど古くて、どんどん昔に戻っている感じがしたんです。だから、建物が新しくなったとしても、そこで商売をするのが今の人たちであればきっと今みたいな雰囲気にいつかはなるだろうと、気が楽になりました。

橋本 明日の日曜(2019年6月16日)で公設市場は一時閉場となって、引っ越し期間を経て仮設市場で営業を再開して、今の建物を壊す作業に入るわけですよね。そうすると、アーケードをどうしていくのかという問題も含めて、いろいろ大変なことが巻き起こると思うんです。僕はライターという仕事をしていて、日本全国を好き勝手に移動して、話を聞いて言葉にする仕事をしているので、一つの場所に根を張って暮らしているわけではないんですね。だから余計に思うんですけど、建て替え工事によって大変なことが巻き起こるのは目に見えているのに、宇田さんが市場中央通りで店を続けることを選ぶのはどうしてなんですか?

宇田 それは自分でも不思議ですね。さっき話した展示には、1960年代に公設市場の移転が取りざたされたときに、それに反対する人たちが市議会に乗り込んで陳情する様子も展示されているんですね。そこで市議会に乗り込んだのは、「こういう町づくりをしたい」ってことではなくて、「自分の商売が成り立たなくなるからやめてほしい」と言ってるだけだと思うんです。でも、そう訴える人がたくさんいたことで、那覇市を動かすことが出来て、今の町が形作られてきて。ひとりひとりは自分の店のことしか出来なくても、皆で訴えかけることで場所を守ったり整備したりしてきた歴史があるんです。私の店も、場所を変えれば面倒なことから全部逃れられるってことは常に頭の片隅にあるんですけど、ここまできたらやるしかないし、どこかで面白いと思う部分もあって。自分は当事者でもあるんだけど、どうなっていくのか見ていたいような気持ちもあるんです。
 これまで私は、「明日も店を開けられるかどうかわからない」という気持ちでいたんです。それはお金のことというよりも、自分の気持ちが変わってしまうんじゃないか、と。昔から将来とかを信じられないところがあって、「10年後に生きているかもわからない」といつも思っていたんです。でも、今は新しい市場がオープンする3年後のことを考えていたり、「新しいアーケードを作れば、それは30年後の人も使えるはずだ」と考えたり、今までになく未来のことを考えるようになってきて、それ自体も面白いんですよね。もしかしたら途中で心が折れて移転するかもしれないですけど、せっかくここまで関わっているので、これからも続けてみようという気持ちでいます。

橋本 今回は一昨日沖縄にやってきたんですけど、市場の最終営業日が迫っているだけに、センチメンタルな空気が界隈に漂っているかもなと思っていたんです。でも、この2日間歩いてみた感じだと、お客さんはセンチメンタルな感じを漂わせてるけど、働いている人たちはさっぱりされていて、「そんなことより、仮設市場がオープンするまでに引っ越しを間に合わせられるかどうかが大変よ!」とおっしゃっていて。考えてみれば当たり前なんですけど、過去を振り返っているというよりは、「次!」という姿勢で過ごしてらしたのが印象的で。

宇田 『市場界隈』にも出てくる「コーヒースタンド小嶺」さんも、一昨日行ってみるとカウンターにグラスがたくさん並んでいて、それは今まで見たことない数だったんですね。「最後にもう一度冷やしレモンが飲みたい」というお客さんですごく繁盛してるんですけど、小嶺さんとお話ししていると、「お客さんは『最後に』と言って飲みにくるけど、別に最後じゃないよ、仮設市場でも同じように続けるんだから」とおっしゃっていて。そうやって話をしていると、建て替え工事が始まることは、何も悲しいことじゃないんだなと思いました。

橋本 こういう問題はいろんなところで起きていて、長く続いていたお店が閉店するとなると、「残念だ」と惜しむ声が挙がりますよね。でも、どういう時間が懐かしいのかって考えると、なくなってしまったあとで振り返る時間よりも、普通に営業している今の時間が何より懐かしいと思うんですね。だから、今日と明日であれば公設市場は今の建物で営業してますので、今日のトークを聴きにきてくださった皆さんは、このあとぜひ市場を散策していただけたらと思います。

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二人の1週間後の対話「続・市場の景色を記録する」に続きます。10月中に公開予定。