市場界隈 那覇市第一牧志市場界隈の人々

『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』は書籍になりました。

沖縄県那覇市の第一牧志公設市場。戦後の闇市を起源に持ち、70年以上の歴史を抱える市場に通いつめて、界隈の人々を取材しました。浮かび上がるのは沖縄の昭和、そして平成。観光で触れる沖縄とはちょっとちがう、市場界隈の人々の記録です。
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橋本倫史+宇田智子 続・市場の風景を記録する

『市場界隈』刊行記念トークショー(2019年6月15日)から1週間後の対話です。市場が仮設に移動をはじめた頃、橋本倫史さんと宇田智子さん(那覇"市場の古本屋ウララ")が語る牧志公設市場と沖縄のあれこれ

橋本 ジュンク堂書店那覇店でトークをして、1週間が経ちました。トークの翌日は、第一牧志公設市場が今の建物で営業する最後の日でしたけど、当日は何が印象に残りましたか?

宇田 あの日は本当に、お祭りみたいでしたよね。私の店には、今まで店番してくれた人が何人かきてくれて、交代で店番をしながら市場の様子を見に行ったんですけど、それは文化祭みたいですごく楽しかったですね。行く先々で見知った顔にもたくさん会って、それは私が本屋をやっているから出会ったというより、市場にいるから出会った人ばかりだったんです。私は本屋だけど、思った以上に市場に依存して暮らしてきたんだなと感じました。

橋本 たしかに、最終営業日はお祭りみたいでしたね。でも、その前日はまた雰囲気が違っていて、市場で働く方達の様子を伺っていると、建物が取り壊されることに対してセンチメンタルになっているというよりも、7月1日からは仮設市場での営業が始まるわけで、引っ越し作業が間に合うかどうかを気にして――つまり、過去を振り返るというより、未来のことで精一杯になって――過ごしている感じがあったんです。そこから一晩経って、最終営業日を迎えてみると、お昼頃になってお店の方達がざわつき始めて、「今日はレジェンドが揃うねー」と話したんですね。ずいぶん前に引退された方たちも車椅子でやってきて、ちょっとした同窓会みたいになっていて。最終営業日というのは、ただの日付に過ぎないんですけど、でも、その日付があるおかげで再会を果たすことできた人たちもいるわけで、そう考えると大きな意味のある日付でもあったんだな、と。

宇田 1972年以来と考えると、すごく大きな出来事ですよね。市場の中だけじゃなくて、市場の外側でも、同窓会と卒業式が一度に起こったみたいな雰囲気はありました。橋本さんは、どこから閉場セレモニーを見てたんですか?

橋本 セレモニーのときは、市場の北側、居酒屋「信」に続く路地の入口あたりから眺めてました。その近くのお店でビールをテイクアウトできたので、3杯ぐらいお代わりして。

宇田 セレモニーが始まっても、私はしばらく店にいたんです。でも、粟国さん(第一牧志公設市場組合長)の挨拶が始まったとき、もうちょっと近くで聞こうと思ったんですけど、人だかりができていたので何も見えなくて。最後に「蛍の光」が流れたのは閉店のアナウンスみたいで嫌だったんですけど、粟国さんが前向きな挨拶をしていたのと、「公設市場と周辺事業者は運命共同体」と言ってくれたのがよかったなと。最後にカチャーシーが始まったところで、私は踊れないから人だかりから離れたんですけど、あの日はあんまり悲しいと思うタイミングもなくて、良い一日だったなと思います。市場にはいろんな時間が流れてきたんだなってことを感じられた日でもあって、私が知っているのはごく一部だけど、私の見えないところにもいろんな時間があって、いろんな人の思いがこもっている場所なんだなと。だから、建物がなくなっても消えないものがあるだろうと思えたんですよね。

市場は続く

橋本 閉場セレモニーが終わった翌日、早く目が覚めたので、7時頃に市場のあたりを歩いてみたんです。浮島通りのほうから市場中央通りを進んでいくと、市場の軒先に灯りがともっているのが見えて、何事もなかったかのように商品を陳列しているお店があったんです。あれ、昨日で一時閉場だったんじゃないですかと尋ねてみると、「いや、今日からは引越しの作業をするんだけど、片づけをしているあいだ、せっかくだから商品を並べてるの」とおっしゃっていて。そうやってなし崩し的に営業していることを「沖縄の悪いところだ」とおっしゃる方もいるとは思うんですけど、そこにたくましさを感じたんです。今の市場は行政によって立ち上げられたわけではなくて、戦後の混乱の中を生き延びていくために自然発生的に始まったもので、これからもそうして続いていくんだろうなと。

宇田 セレモニーの次の日、市場の人たちはいつも通りお店にきていて、「玉城鰹節店」の玉城さんも「間違えて商品を並べそうになった」と言っていたんです。その日はお客さんもこれまでと同じように通りかかっていて、これだったら大丈夫かもと思えたんです。でも、私の店は火曜日が定休日なので、一日おいて水曜日に行ってみると、「玉城鰹節店」の看板はもう外されていて、商品を並べていた台は解体されていたんです。それが瓦礫のように置かれていて、数日前まで使われていたとは思えないような姿になっているのを見ているうちに、取り返しのつかないことだったんだなという気持ちが出てきたんです。いくら「変わらないものがある」と言っても、やっぱり変わってしまうこともあって、取り戻せなくなったものがある。それから今日に至るまで、ちょっと落ち込んでますね。

橋本 僕は月曜日の朝の様子を眺めたあと、那覇を離れて、北のほうに出かけてたんです。水曜日の夕方に那覇に戻ってきて、国際通りから市場本通りを歩いてみると、ちょっと人通りが少なく感じたんです。思っていた以上に変化の速度が早いことに驚いて、本当に大きな曲がり角だったんだなと思いました。

宇田 時間が経てば元の賑わいが戻ってくるのかもしれないですけど、それは待ってみないとわからないし、時間がかかりますよね。それに、「3年後には市場が戻ってくる」と思っていたんですけど、もしかしたらこの3年のあいだに店を閉じる人も出てくるかもしれなくて、3年後に戻ってくるのは全然違う人たちかもしれないなっていうことを、今週になって考え始めたんです。それはネガティブ過ぎる予想かもしれないですけど、今はあんまり元気が出ないですね。店に座って放心しているうちに一日が終わってしまうので、この一週間はあっという間でした。トークから1週間しか経っていないのが信じられないぐらいです。

建て替えをめぐる風景

宇田 公設市場が建て替え工事に入ることって、私の中では、もっと大きなニュースだと思っていたんです。でも、月曜日の地元紙の朝刊を見てみると、一面には掲載されてましたけど、トップではなかったですよね。

橋本 僕も朝刊を見て、思ったより扱いが小さくて驚きました。公設市場は「那覇の台所」ではなく「沖縄の台所」で、昔は各地からはるばる買い物にきていたという話をよく聞いていたんですね。もちろん行政的には沖縄県ではなく那覇市が運営している市場で、その意味ではローカルな問題ではありますけど、もっと広い範囲から買い物にきていた場所だと思うので、もっと大々的に報じられると思ってました。

宇田 閉場セレモニーでの市長のスピーチも、全文載っているだろうと思っていたんです。でも、さわりしか載ってなくて、スピーチでは『市場界隈』にも触れていたのに、そのことも載ってなかったですよね。

橋本 スピーチで自分の本のタイトルが出てくると思ってなかったので、びっくりしました。この1週間を過ごしてみて、僕の中で考えが変わった部分もあるんですよね。これからも沖縄には定期的に足を運ぶつもりでいましたけど、取材としては『市場界隈』を出版したことでひと区切りだと思っていたんですね。閉場した翌日から人の流れが変わっていたり、思ったほど扱いが大きくなかったりというのを目の当たりにしていると、ちょっと気持ちが変わってきたんです。
 僕は「百年後の読者に向けて」と考えがちなところがあって、今の風景を書き記しておくことは未来に向けて重要な記録になるはずだと思っているんです。でも、もう少し「今」という時間に向けて書くこともできるんじゃないかって、この1週間で考えるようになって。自分の書くものに影響力があると思っているわけではないですけど、書くことによって多少なりとも現実の風景に関われないか、と。

宇田 私もこの3年間のことを書きたいとは思っているんですけど、それは「書くことで市場がどうなるか」ってことはあんまり意識してないんですよね。これからの3年間は、新しい市場が完成したあととは全然違う時間になるはずなので、それを書き残しておきたいと思っているんです。それこそ百年後に「あの3年間ってどんなだったの?」と言われたときに、この1週間に何があったかってことを書き残しておいたほうがいいかなと。

橋本 宇田さんが「何か書いておこうと思っている」という話は伺っていたので、記録が残るかどうかってことに関しては、ある意味安心しているところもあって。ただ、よそものだから出来ることもあるって、最近は考えるようになってきたんですよね。僕は那覇にきているとき、「常に取材している」と言うと聞こえはいいですけど、いつもぷらぷらほっつき歩いていて。この1週間のあいだに、「大城文子鰹節店」を通りかかると、大城さんがお店の片づけをされていたんですね。普段は後ろのシャッターを下ろしたまま営業されてましたけど、そのとき、シャッターが上がっているのを初めて見たんです。そこでパッと話しかけてみると、「昔はここにコンクリートの台があったんだけど、皆で壊した」とおっしゃっていたり、「ここに窓があって、魚屋さんが窓を開けてくれてたから、こっちは外だけど冷房が当たって涼しかったんだよ」とおっしゃっていたりして。そういう話をパッと伺えるのは、よそからやってきてぷらぷら過ごしているからだなと。

宇田 当事者って、忙しいですよね。私もこの1週間は呆然とするばかりでしたけど、外からきてくれた人が写真を撮ってくれたり文章を書いてくれたりするので、それはありがたいことだなと思いました。市場で働いている人たちも、起きていることに対応するので必死だったと思うので、それを外から見てくれている人がいるのは大事な記録になると思います。

小説が教えてくれること

橋本 現実の風景に対して、どんなふうに関わることができるか――それは、この2ヶ月、柴崎友香さんの小説『わたしがいなかった街で』をチビチビ読みながら考えてきたことでもあるんです。今年の4月、『市場界隈』の最後の取材で那覇にきていたときに、宇田さんが「橋本さんがこの小説を読んだら、どんなことを思うのか」と薦めてくださったのが『わたしがいなかった街で』で、お薦めされた直後にジュンク堂書店那覇店で買い求めて、1日に10ページくらいのペースで読んだんです。すごく印象深い一冊になったんですけど、どうしてこの本を薦めてくれたんですか?

宇田 あんまり人に本を薦めることはないんですけど、つい薦めてしまって。理由としては、最初は広島の話で始まるっていう単純なこともありますけど、主人公が「おじいさんに話を聞いておけばよかった」と思ったり、「あのときあの場所に自分がいたら」と考えたりする話を読んでいると、なんとなく橋本さんのことを思い出したんです。

橋本 『わたしがいなかった街で』には、音戸大橋という場所で出てきますよね。音戸大橋というのは広島県呉市にある倉橋島に渡るための橋で、小さい頃に家族で何度か渡った記憶があります。赤い話で、ぐるぐるループ状になった橋をのぼりおりしているのを、後部座席から眺めていた記憶があるんです。
 小説の中では、ある日、主人公の祖父が「今日は天気がええけえ、音戸大橋がよう見えるじゃろ」と言うんですけど、祖父の老人介護施設の窓から橋は見えないんですよね。でも、その言葉をきっかけに、主人公は「その橋を、見てみたい」と思って、実際に橋を観に行くんですよね。そういう謎の衝動は僕の中にもよく沸き起こるものだし、主人公がドキュメンタリーばかり観ているというのも自分に近いなとは思いました。

宇田 あと、これは主人公ではないですけど、登場人物が「そうか、気になったら聞けばいいのか」と思う場面がありますよね。「目の前にいるんだから話しかけて聞いてみればいいって、今まで考えなかった」と。橋本さんは前に、「昔の公設市場を撮影した写真を見ていると、その人に話しかけてみたい気持ちになるけど、過去の写真の中にいる人には話しかけられない」と言ってましたけど、その話とも繋がるなと思ったんです。

橋本 この小説の主人公にも、すごく話しかけたい気持ちになったんです。彼女は戦争のドキュメンタリーを観ながら、「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」と思う場面が出てくるんですね。その気持ちはすごくわかるし、テレビの画面の向こう側とこちら側を隔てているものは何だろうということは、僕もよく考えるんです。それに、「わたしはあなただったかもしれない」と考えることは、社会を成り立たせる大きな前提でもあるとは思うんですけど、やっぱり、わたしとあなたは別の存在だってことで考えないことには、「あなたに想いを寄せています」ということで終わってしまうと思ったんですよね。これは別に、小説にケチをつけているなんてことではなくて、そうやって主人公に語りかけたい言葉を思い浮かべながら読んでいたということなんですけど、僕はやっぱり、わたしとあなたが違うと思っているからこそ、話を聞いておきたいし、書いておきたいと思うんですよね。小説の登場人物に話しかけたいと思ったことなんて今までなかったような気もしますけど、そんなことを主人公と話しながら過ごしてみたいなと思いました。

宇田 沖縄で『ドライブイン探訪』の刊行記念トークイベントを開催されたとき、ゲストである女優の青柳いづみさんも今と近い話をされてましたよね。『ドライブイン探訪』を読んで、青柳さんは「私の知らない『わたし』がこんなにもたくさんいると知った」と思ったとおっしゃっていて。

橋本 青柳さんはすごい女優ですけど、誤解されているところが大いにある人だと思うんですよね。女優を形容するときにしばしば使われる言葉として「憑依」というものがありますけど、青柳さんは誰かを憑依させているわけでも、なりきっているわけでもないと思うんですよね。ひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた『cocoon』という作品があって、その漫画が舞台化されたとき、青柳さんは主人公のサンを演じていたんですけど、トークイベントのときに『cocoon』の話にもなって。そこで青柳さんが言っていたのは、上演しながら「ひめゆりの人たちのことを想像しているわけではない」と言っていたんですよね。「『こういうことがあったんだろうな』と想像しているわけではないし、そういうことをしてしまうのは失礼なことだと思っていた気がします」と。その言葉はすごく印象的でしたね。

『わたしがいなかった街で』

橋本 話を『わたしがいなかった街で』に戻すと、あの小説を読んでいると、僕は逆に宇田さんのことを思い出したんですよね。あの主人公は、腑に落ちないことがあったときに、それをなんとなくやり過ごすのではなくて、その違和感をずっと抱え続けている感じがありますよね。その硬質さみたいなものは、どこか似ているなと。

宇田 柴崎さんの小説を読んでいると、他の小説の主人公はもう少しスムーズに生きているような気がするんです。登場人物が飲み屋で出会った人と意気投合して2軒目に行くような場面あるんですけど、『わたしがいなかった街で』の主人公は人と関わることの壁にぶつかっている感じがすごくするんですよね。ドキュメンタリーばかり観ていることに対して、友達のお父さんから「モテないよ」と唐突に言われたりもして、なんでいきなりあんたにそんなこと言われるんだって、読みながら私はものすごく腹が立ったんですけど、主人公はそれに対して怒るわけでもなく、「まあ、そうですよね」と返していて。

橋本 小説の序盤でそう言われながらも、主人公はずっとドキュメンタリーを観続けて、終盤になってそのお父さんに「あのー、なんで戦争の映像見てるかって話ですけど」と切り出しますよね。そうやって主人公がぐるぐる考えている場面がすごく印象的だったんですよね。
 僕はもともと本を読むのがものすごく遅いんですけど、それにしても2ヶ月かけて1冊の本を読むというのは初めての経験だったんですね。どうしてそうなったのかと考えると、主人公がああでもない、こうでもないと考えている回路を辿りながら、僕自身もあれこれ考えているからだなと。しかも、主人公の思考回路が自分にはさっぱり理解できないものであれば、「そんなことを考える人もいるのか」と読み流せるんでしょうけど、自分が『市場界隈』を取材しながら考えていたこととすごく繋がる話だったので、ページをめくるごとに立ち止まってしまって、それで読み終えるのに時間がかかったんです。

宇田 もしかしたら「読んでみたけど、よくわかりませんでした」と言われるかもしれないなと思っていたので、良かったです。

橋本 ドキュメンタリーを観ながら、その映像は過去の誰かによって記録されたものであることについて、主人公が考える場面がありますよね。世界で起きている出来事と、それを私が知るまでのあいだには常に時差があって、「今起きているできごとを、わたしはいつ知るのだろうか。また時間が経って、知らなかったと思い、ただ過去に起きたこととして見るだけなのだろうか」と。『市場界隈』を、公設市場が今の建物で営業しているうちに出版したいとこだわったのもそれに近くて、そこに書かれた風景がまだ過去のものではなく、現在もそこにあるものだというタイミングのうちに出版したいと思ったんです。

宇田 『市場界隈』は、出版された当初は私の店のまわりにある風景を書いた本だったのが、市場はもう閉場してしまって、もう見られないものになって。そんなにはっきりと歴史が変わる瞬間というのを、私は見たことがなかったんです。しかも、本というのは私の中ではもっと静的なもので、雑誌とは違って時代が移り変わっても同じスタンスであり続けるものだと思っていたのに、あの日を境にして意味が変わったことにもびっくりして。閉場したあとに出すと、どうしても懐かしの平成みたいな本になってしまいますけど、市場があるうちに出すってことは大きなことだったんだなと改めて思いました。

いつかは終わってしまうけれど

橋本 これは個人的な傾向の話になってしまいますけど、小さい頃から「いつか終わってしまう」ということばかり考えてしまうところがあって。高校生の頃は熱狂的な阪神ファンで、広島市民球場でメガホンを振り回していて、応援団に勧誘されたこともあるんです。でも、それだけ応援しながらも、「ああ、あと5回で終わってしまう」と考えてしまっていたんです。なくなってしまったあとより、その時間が続いているうちから懐かしがってしまうところがあるというか。

宇田 友達が転校することが多かったので、私も小さい頃から終わりがくることはすごく意識してました。あと、ピアノを習っていたときに、音楽教室の先生が途中で辞めてしまうことが多くて、「あとレッスンは4回しかないのか」と思って過ごしていたんです。でも、最後のレッスンを迎えても、何も特別なことは起きないし、「ありがとうございました」と言って帰っても、実感がないんですよ。この1週間で、橋本さんの『まえのひを再訪する』という本を読み返しながら、そのことを思い出していて。いくら「この日で最後だ」と言われても、その日まで普通の生活が続いていれば、終わってみないと何もわからないんじゃないかと思ったんですよね。公設市場の場合、1週間前ぐらいからまわりが盛り上がってきたから「ああ、終わるんだ」という雰囲気はありましたけど、こんなに前から最終営業日を決められていたのに、結局その日を迎えるまで備えられないものだなと。だから今も呆然としていて、それがほんとにおそろしくて、最後までこうなんだろうなと思いました。「1ヶ月後にあなたは死にます」と言われても、呆然として終わってしまう気がします。

橋本 自分が死ぬとなると、どういう状態になるのか想像しづらいですけど、身近な誰かがもうすぐ死ぬとなったとしたら、「悲しい」とか「涙が出る」とかっていうよりも、やっぱり「今のうちに聞きたいことを聞いておかなければ」と僕は思ってしまう気がします。一緒に酒を飲んだことがある人で、亡くなってしまった人はまだ数えるくらいしかいないんですけど、演出家の危口(統之)さんが癌だとわかったときも、同居人と一緒に会いに行ったんです。そうして危口さんの家にお邪魔したときのことを日記に書いて、本人も読んでくださったんですけど、過去形で振り返るのではなくて、生きているうちにと思ってしまうところがあって。

宇田 私も身近な人を亡くした経験はすごく少ないんです。ひとりは晶文社の中川六平さんで、数えるほどしかお会いする機会はなかったんですけど、私にとってはすごく大きな影響を与えてくれた人だったんですね。石田千さんが最初の単行本『月と菓子パン』を出版されて、ジュンク堂書店の池袋店でトークイベントがあったとき、私は担当で受付に立っていたんです。『月と菓子パン』を担当された編集者が中川六平さんで、トークイベントにもいらしてたんですけど、私の顔を見て、「あんた、何か書きたいと思ってるでしょ」といきなり言われたんです。なんだこの人はと思ったんですけど、「原稿用紙に5枚ぐらい書いて送れよ」と言われて、ファックスで送ったら添削してくれて。
 そこからしばらく音信不通だったんですけど、私がボーダーインクから最初の本を出す直前に急に手紙がきて、そこには「あんたの本を出したいと思っているんだよ」と書かれていたんですね。もうすぐボーダーインクから本を出すことを伝えると、「次の本は晶文社から出そう」と言ってくれて。でも、なかなか会えずにいるうちに、急に亡くなられて。「六平さんについていけばいいと思っていたのに、どうしてくれるの」みたいな、自分勝手な気持ちになったんですけど、ひとりだけ放り出されたような気がしたんです。橋本さんは六平さんに会ったことありますか?

橋本 二人で会って話したことはないですけど、何度かお酒の席でご一緒したことはあります。最後にお会いしたのは、どこかの中華料理屋さんで、三つくらいの円卓に別れて座っていたんですけど、六平さんと同じテーブルになったんですね。そのときはもう一度体調を崩されたあとだったから、ウーロン茶を飲まれていて。最初のうちは僕のことを「橋本さん」と呼んでくださっていたんですけど、別に酔っ払ったわけでもないのに、途中で「おい、橋本」とおっしゃって。そのとき、僕が店員さんに注文をする係みたいになっていたんですけど、そこで六平さんがこっそり僕に話しかけられて、「ウーロン茶じゃなくて、ウーロンハイにしてくれ」とおっしゃって。「え、でも、お酒飲んじゃ駄目なんじゃないんですか?」と聞き返すと、「それはそうなんだけど――わかるだろ?」と六平さんが言ったんですよね。それがどこの店だったんかは覚えてないですけど、そのやりとりはすごく鮮明に覚えています。

宇田 六平さんが亡くなった年の年末ぐらいに、京都のお寺で六平さんを偲ぶ会があって、そこになぜか私も呼ばれて行ったんです。皆が六平さんの思い出を話すときに、「あいつはほんとに酷いやつだ」って話から始めつつ、自分はこんなに仲が良かったとかこんな出来事があったということをすごく嬉しそうに話していて、これを生前に聞いたらどんなに喜んだろうかと思ったんです。そのときに、死んだあとにいくら言っても本人には伝わらないから、生きているうちに褒めてあげないといけないなと思ったんです。追悼文で「早過ぎた」とか「やり残したことが一杯あっただろう」とか書かれているのを読むと、いつも腹が立つんです。その人の人生はもう終わったのに、早いも何もないじゃないかって。もちろんやり残したことはあるにしても、もっと「お疲れさま」と労ってあげることはできないのかって、いつも思います。

古本屋からの眺め

橋本 『市場界隈』を出版して、沖縄の新聞から著者インタビューを受けたとき、「沖縄県外の人にはどんなふうに読んでもらいたいですか?」と質問されたんです。その場でしばらく考えたんですけど、やっぱり、「今とは違う生き方があってもいい」と知れることが大きいなと思ったんですよね。これは公設市場が閉じたあとで気づいたんですけど、たとえば市場の外回りのお店って、かなり通りにはみ出して商売をされてますよね。お店の方に話を聞くと、今の市場がオープンしたときにあらかじめ設置されていたコンクリートの陳列台に商品を並べても、通りが広くてお客さんが立ち止まってくれないから、せり出すように商品を並べるようになったとおっしゃっていて。もちろん「そうやってなし崩しにやるのが沖縄の悪いところだ」とおっしゃる方もいるとは思いますけど、目の前にある状況が生きていくために不都合だとなったときに、その現状に耐えるんじゃなくて、自分が生きていきやすいように変えたっていいんだと思えてくるんですよね。

宇田 「コンクリートの台を壊す」みたいなことも、今ではちょっと考えられないですけど、そういうことが自然に起こる勢いがあったのは面白いと思うんですよね。水上店舗も、「川の上に建物を建てる」なんてことがどうやったらできるのか、私には全然わからないんですけど、それを琉球政府やアメリカを巻き込んで実現させるって、ものすごいエネルギーだなと。しかも、「町を良くしよう」ということでそれを実現させたわけじゃなくて、純粋に自分の商売と生活のためにやったっていうところに、私は一番心を打たれるんです。自分が生きていくために座り込みをしたり、議会に乗り込んで陳情したりして、それを本当に建てさせてしまう――そういうエネルギーは今もあるような気がするんですよね。普通は路上で飲んでたら怒られるはずなのに、ここでは許されている。こどもっぽいかもしれないですけど、他の場所だとやっちゃいけないことがここでは許されていて、解放されている感じがある気がします。

橋本 これから公設市場の取り壊しが始まると、風景も移り変わるし、大変なことも巻き起こると思うんです。このタイミングで閉店や移転を選択するお店も出てくると思うんですけど、宇田さんがここでお店を続けようと思っているのはなぜですか?

宇田 移転をしようと思えば今からでもできるんですけど、それはできないって気持ちになっているのが自分でも不思議なんです。去年の夏に、東京の「往来堂書店」でトークをしたときに「移転するつもりはないんですか?」と聞かれて、「市場が建て替えになる3年間を、ここから見ておきたい」って言葉が自分から出てきて、ああ、そんな気持ちがあったんだなと思ったんです。「市場が建て替わる様子を見て、記録を書き残したい」という気持ちもあってそう言ったんですけど、でも、記録しないとしてもやっぱりここにいるような気がして。それは「これまで頑張ってきた市場の人たちの歴史に関わってみたい」という気持ちなのかもしれないし、単純に「今の景色が好きだから」っていうこともあるんですけど、なんでそんなに頑張ろうとしてるのかと考えると、自分でもよくわからないんです。
 私はアーケードを再整備しようとしてるけど、他の古本屋さんはアーケードがない場所でぽつっと営業していることもあるので、それもありなはずなんです。普通の古本屋だったら、自分は店の奥にいて、本だけが並んだ部屋の中にいて、それを一日中眺めて過ごす――今の私には、それはあんまり面白くないんですよね。でも、あの場所にいると、通りかかる人を見ていたり、鰹節屋の看板を見ていたり、本以外のものを眺めている時間のほうが多いんですよ。

橋本 「それを一日中眺めて過ごすのは、今の私にはあんまり面白くない」というのは、宇田さんが書店員になった最初のときから考えていたことではないですよね?

宇田 そうですね。まったくないですね。私は小さい頃に市場に通った思い出があるわけではないんですけど、たぶん「本が特別だ」っていうことが嫌だったんだと思います。私は本を読むことがそんなに特別なことじゃないと思っていたんですけど、たまたま市場にきてみると、本だけじゃなくて鰹節も紅型も漬物もあって、買う人は本を特別扱いしてないんですよね。

橋本 そう考えると、宇田さんが扱う商品だって、本じゃなくてもいいってことになりますよね。でも、それでも古本屋を続けるのはなぜなんでしょうね?

宇田 そうそう、だから別に、本屋じゃなくてもよかったんですよ。古本屋で生きていく自信もなかったんですけど、この通りにはこんなに店があるわけだから、何かを売れば生きていくことができるんだろうなと思ったんです。そこで「箸はどうかな」とか「手ぬぐいはどうかな」とか考えたんですけど、私は本しか売ったことがないから、とりあえずは本を売ってみて、駄目だったら業種を変えるのもありかもしれないと思って、ぼんやり始めたんですよね。ただ、「本は特別じゃない」と言いながらも、やっぱり特別なところもあると思っていて。本の中には鰹節の本もあれば紅型の本もあるし、漬物の本もあって、すべてを扱えますよね。市場の歴史もわかれば、那覇の昔の写真も見ることができるので、その意味ではすごく特別だとも思っているんです。前に、築地の市場に図書室があるって話を読んで、そこには市場の歴史をまとめた本や漁業に関する本もあるらしくて、それがすごくうらやましいなと思ったんですよね。ここにもそういう場所が必要だと思ったんですけど、あんまり実現しそうにもないから、とりあえず私にできることをやろうと思っています。