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4月4日(月)


 愛媛県伊予市に暮らす女の子の話から始まる早見和真『八月の母』(KADOKAWA)は、もうページをめくったら最後、仕事も家事もいつも聴いてるラジオもプレミアリーグの配信も忘れて、没頭没入一心不乱で物語の中を息も絶え絶えになって駆け抜ける。

 年に一冊くらい「今年はこの小説を読むためにあった」と思うような本に出会うけど、『八月の母』はそのレベルを超え、10年後、20年後にも「あの本、凄かったよね」と語り合えるくらいの作品だ。

『八月の母』は三代に渡る女性の物語で、今でいう「親ガチャ」に血まみれになって挑んだ物語でもある。

「親ガチャ」って言葉を初めて聞いた時、なんか嫌な言葉だなあと感じたんだった。「スクールカースト」なんかもそうなんだけど、言葉が生まれることによってその世界が可視化される良さもあるけど、それと同時に言葉に引きずられて逃げられなくなっちゃうこともあるんじゃないかと思った。

「親ガチャ」って言いたくなる気持ちもわかる。それでも人生って本当にガチャガチャなのかな?とも感じたんだった。ガチャガチャはハンドルを回すことしかできないけれど、人生は手を伸ばしつかみ取ることもできるんじゃないかって。そう、人生はガチャじゃなくて、UFOキャッチャーなんじゃないかと思ったんだ。

 そんな「親ガチャ」に、おそらく著者も含めて血まみれになって挑んだ物語。それが早見和真『八月の母』(KADOKAWA)。とにかく読んでほしい。この叫び声と祈りを聞いてほしい。

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