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4月13日(水)

  • 三十の反撃
  • 『三十の反撃』
    ソン・ウォンピョン,矢島暁子訳
    祥伝社
    1,760円(税込)
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  • アーモンド
  • 『アーモンド』
    ソン・ウォンピョン,矢島暁子
    祥伝社
    1,760円(税込)
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 春も初夏も通り過ぎて夏のような暑さとなる。

 午前中、祥伝社さんへ発表会の展示用でお借りしていた本屋大賞翻訳小説部門第一位のソン・ウォンピョン『三十の反撃』を返却しにいく。

 編集の方から、この本の、というかソン・ウォンピョンさんの前作『アーモンド』を出版する経緯や韓国文学への想いなど伺っていると胸が熱くなる。

 午後は会社を出たり入ったりしつつ、夕方資料を届けにいらした荻原魚雷さんに既刊本にサインをしていただく。


(3)

 約束の時間が近づいても博報堂のある田町のグランパークタワーに古幡さんはやってこなかった。博報堂を訪れるのは初めてのことで、ぼくはえらく緊張し、ドキドキしていた。

 このグランパークタワーの一階には流水書房田町店があり、ここの店長さんは高津淳のペンネームで業界紙などで本屋エッセイを執筆し、『明けても暮れても本屋のホンネ』(トゥーヴァージンズ)を出版する名物書店員だった。

 ひとりでエントランスに立っているのが耐えきれず、外に出てきょろきょろしてしていると古幡さんから携帯に電話が届いた。

 迷っているという。田町駅芝浦口から徒歩5分程度のところなのだが、どうしてここで迷うのだろうか。古幡さんも浮き足立っているということだろうか。浮き足立つのは私も一緒なのだが、遅刻して博報堂の人たちを腹立てるのは非常にまずいので、古幡さんを走って迎えに行き、どうにか約束の時間ギリギリで博報堂の中に入って行った。

 黒歴史というのはそのときには「黒」になるなんてまったく考えていない。何気なく発した言葉やとった行動が、後から考えると恥ずかしいものとなり、黒歴史と呼ばれるのである。

 指定されたフロアに向かうエレベーターのなかでぼくが放った一言は、今では恥ずかしいかぎりの黒歴史だ。消しゴムでその発言と記憶を真っ白に消してしまいたいし、ここで書き記すのも穴があったら飛び込んでしまいたいほど恥ずかしい。ぼくは乗り込んだエレベータの中で古幡さんにこう言ったのだった。

「ぼくは出版界の坂本龍馬になりますよ」

 なんでそんなことを当然言い出してしまったのかというと、当時ぼくは今更ながら読み出した司馬遼太郎の著作にどっぷりハマっていたのだ。『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『峠』『世に棲む日日』『花神』と幕末ものを続けて読んでいたところだった。

 一番憧れたのは「おもしろきこともなき世をおもしろく」と辞世の句を詠んだ高杉晋作だったのだが、このシチュエーションは高杉晋作ではない。敵対していた薩長に同盟をむすばせた龍馬ように、書店や版元や取次の垣根を超えた販促を作る...そんなことから思わず恥ずかしい宣言をしてしまったのだ。

 ところがそれを聞いた古幡さんもやはりどうかしていた。古幡さんはどんどん数字が増えていく回数表示を見つめながら、「私たちが何年後かに『プロジェクトX』に出るときは、このエレベーターのシーンが必ず入りますね。『杉江は言った。オレは出版界の坂本龍馬になる』とね」と返したのだった。

 黒歴史を背負ったふたりだったが、自分たちがこれから大それたことをしようとしているという確信だけはあった。

 緊張して博報堂のあるフロアーに着くと、そこには中野さんが待っており、すぐにもうひとり人がやってきた。それが嶋浩一郎さん(34歳)だった。

 嶋さんは今では博報堂ケトルの代表として活躍し、著作も多数ある有名クリエイティブディレクターだが、当時は博報堂が出している「広告」の編集長で、売り出し中の社員だった。俯き加減でもごもごとまるで独り言のように話しつつも、博識で説得力があり、議論の問題点がどこにあるか見極め解決策を考えるのがとても上手な人だった。

 ちなみに本の雑誌社と博報堂の結びつきは、その3年前に開設したホームページ「WEB本の雑誌」に始まる。当時、徐々にネットのコンテンツが普及し始めた中で、出版関係で何かネット展開できるものはないか考えていた博報堂(中野さんなど)が、地方小出版流通センターの川上さんに相談に行ったところ、「本の雑誌」と組めばいいのではとアドバイスを受け、本の雑誌社にやってきたのだった。

 ぼくはその頃入社3年目で営業で本屋さんを廻るので精一杯であり、そこで目黒さんや浜本とどんな打ち合わせがあったのかわからない。ただこの日記を書くようにという厳命がくだされ、それ以来これを綴っているわけだが、要するに「WEB本の雑誌」はコンテンツは本の雑誌社が提供し、運営を博報堂がするという関係が続いているのだった。そしてその「WEB本の雑誌」の初期の方向性にアドバイスをしていたのが嶋浩一郎さんだった。

 緊張するぼくと古幡さんは会議室に通され、誰の耳も気にする必要もないはずなのに、みんなが小さな声で話をした。それは言わばキックオフミーティングのその前の、プレ会議というか第0回の本屋大賞実行委員会の打ち合わせということになるのだが、そこで決まったことは以下のことだった。

「我々はあくまで裏方、サポートである。余計な口出しはせず、書店員さんの必要とするものを作る」

 そうしてはじめてみんなが顔を合わせる準備が整ったのだった。海のものとも山のものともわからない、その時には本屋大賞なんて名称はもちろんなく、何をするのかすらもまったく決まっていない会議が開かれようとしていた。

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