8月2日(火)
出社時より猛烈な暑さ。果たして私は今日、無事帰宅することができるのだろうかと心配になる。
午前中、企画会議。暑さのせいか人に会ってないせいか、いまいち閃きがなく、消化不良。
午後、直納と営業。さすがに街中には人影少なく、ただ訪問した本屋さんは避暑地となっているのか、お客さんがそこそこいらしてほっとする。
夜、まったく気温下がらぬ中どうにか無事帰宅すると、娘からドイツの寮が決まったと報告を受ける。
娘はこの秋からドイツのハイデルベルクというところに一年間研究留学することになっているのだけれど、不甲斐ない父親である私はハイデルベルクがどの辺にあるのかすらもわからず、ここ最近娘が相談してくることになにひとつ答えられずにいるのだった。
寮費のドイツへの送金の仕方なんて日本の銀行の振込すらままならならない私にわかるわけないのだ。
娘は私の回答なんてまったく期待しておらず、ドイツ語で書かれた資料を手に次々と申請をし、3時間後には入寮の手続きを終えていた。
もはや私が彼女に教えられることなんてなんにもないのだった。教えることどころか資金面でもほぼすべて娘自身がアルバイトで貯めたお金で留学するため、やはり私の出番はないのだった。まあ出番ですよと声をかけられたところで捻出できるとは思えないのだが。
こうして子育ては終わっていくのか。一人では食事もトイレも寝ることすらできなかった子供が、こうして羽ばたいていくのだ。子育て、面白かったよ。娘よ、ありがとう。