4月1日(土)
半年ぶりに父親に会った。先々週高齢者のリハビリ系の病院に転院し、そこは3時以降10分に限り面会が可能になっていたからだ。
病院は当たり前だけれど高齢者しかおらず、ほとんどの人が寝たきりのようだった。病室を覗くとみんな目を閉じており、正直生きているのか死んでいるのかわからなかった。
半年ぶりに会った父親は容貌がすっかり変わっており、最初はこれが自分の父親なのかと信じられなかった。明らかに健康より病気に、生より死に近づいており、リハビリを経てまた歩けるようになるとはとても信じられなかった。
父親は私の顔を見ると、「あーうれしい!」と言って泣き出してしまった。それはまるでどこかに預けれられていた子どもに親が迎えに来た時のような感情の爆発だった。何度も何度も「今日はいい日だ。ツグに会えてうれしいよ!」と大きな声で話すので、相部屋の寝ている人に迷惑なのではと小さな声で話すよう注意したのだけれど、あまりに興奮して声を落とすことはできないようだった。
10分なんてあっという間に過ぎて、父親は別れ際、母親に「幸子さんは今毎日何してるんだ?」と聞いてきた。母親が「何もしてないよ。毎日テレビ見てるだけで暇よ」と答えると、「暇なら内職でもすればいい」と父親は言った。
「内職なんてないわよ」と母親は笑って答えていたが、私は母親が夜な夜な内職に精を出していた40年前の姿が思い浮かんだ。
それは父親が独立開業して町工場を立ち上げたときで、必死に仕事をもらってきても従業員にお給料を払うと我が家に入るお金はまったくなかったのだった。そんな中母親は少しでも生活費を手にするために近所を回って譲り受けた仕事が内職だった。
それは小さなぬいぐるみを作る仕事で眼玉になるビーズや口になるキルトや木工用ボンドを手に、母親は夜遅くまで綿を詰めたりしていた。
その後、父親の会社は儲かるようになり、父親の給袋は驚くほど分厚くなって、文字通り立つようになっていったのだか、それでも母親はしばらくの間、内職をやめることはなかった。
面会の10分が過ぎて病室を後にする頃には、そこに寝ているのが間違いなく、自分の父親だと思えるようになっていた。