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5月30日(火)

 かつては毎日乗っていた東武伊勢崎線に揺られ、母親の面会へ向かう。故郷の駅はスナックや居酒屋の灯りばかりが目につくようになっていた。20時まで面会できるのが大変ありがたい。仕事を終えたサラリーマンや家のことを済ませたお母さんたちが面会受付に列を作っている。

 面会証を首から下げて病棟に向かうと、母親が車椅子に乗ってやってきた。看護師さん曰く「昼夜逆転になっているので、なるべく日中寝かせないようにしている」とのことだが、横ではなく縦になっている母親の姿を見て、なんだかとてもうれしくなる。

 面会時間が30分もあるので、病院の様子を聞きつつ、浦和レッズのことや相撲のことなどのんびり話す。時折、病院に居るはずのない人の話になり、母親は夢と現実がごっちゃになっているようだった。

 もっとも気になっていたのは実家の固定資産税のことで、第1期の納税期限が今月末、明日なのだった。

 そのことを問うと、兄嫁に頼んで支払ってもらったというのだ。しかし義姉と母親が会う機会などそんなにないわけで、認知症か脳梗塞による思い違いだと聞き流し、時間を置いて何度か問いただす。それでも答えは一緒だった。まあ、払ってなければ督促状がくるだろうと、それ以上聞くのをやめた。

 左半身の麻痺は続いているようだが、コミュニケーションは問題なく取れ、一安心する。あとは食事やリハビリがどれほど進んでいくかだろう。

 時間を持て余すかと思ったけれど30分なんてあっという間だった。面会証を返すと、真っ暗な道を歩き、実家に向かった。窓を開けて、家の空気を入れ替え、父親に線香をあげる。

 実を言えば、実家からの方が通勤の便もよく、このまましばらく実家でひとり暮らしをしてもいいのだった。しかしその場合の私の心身の負担は、自宅で過ごすのとどちらのほうが軽いのだろうか。

 距離的、時間的には実家で暮らす方が楽であるが、慣れぬベッドで眠れなくなるのはもっとも避けなければならない気がした。目黒さんのお別れ会の司会を押し付けられてから短い時間しか眠れなくなっているのだ。

 あんなに元気だった母親が倒れたのならば、私もいつ倒れたっておかしくないだろう。

 毎日面会に行きたい、毎日実家の空気を入れ替えたい、毎日父親に線香を灯したい、そう思うけれど、それをしていては身が持たない。無理のない範囲で対応すべきなのだが、何が無理なのかよくわからないのだった。

 戸締まりをして今日は自宅に帰ることにした。道すがら兄に連絡し、母親の状況を伝える。ついでに母親の記憶違いだと思うんだけどと固定資産税のことを話すと、なんと母親の言う通り義姉と銀行に払いにいったというではないか。

 母親の言っていることはまったく正しかったのだ。足取りが軽くなった気がした。

5月29日(月)

 仕事を早めに切り上げて、病院へ向かう。

 父親の四十九日が終わりほっとしていたら、土曜日に母親が脳梗塞で倒れ、入院してしまったのだった。こんなことがあるだろうか。いや実際にそれは起きているわけで、今から振り返れば、父の死後、もっと母親に寄り添うべきだったと後悔ばかりが押し寄せる。

 病院に着くと、顔色はよく、右脳の脳梗塞だったためしゃべることもでき、やけに滑舌よく話すのだった。あとは左半身の麻痺が、リハビリによってどこまで回復することができるのか。

 先のことは考えず、そしてかつてとも比較せず、母親2.0という感じで、ありのままを受け入れようと思う。

 

5月20日(土)

 父親の四十九日の法要と納骨が無事終わる。

 父の死後、一番懸念していたお墓は、そういえば実家から歩いて30秒のところにお寺があることを思い出し、まさしく灯台下暗しで、そちらにおさめていただくことになった。このお墓には父親の友達もたくさん眠っており、この地域を愛していた父親にはぴったりなのだった。

 セレモニーホールで縁もゆかりもないお坊さんが唱えるお経と、古くから父親のことを知っているお坊さんの唱えるお経では、なんだかまったく異なるものに聞こえ、葬式では一粒の涙もこぼれ落ちなかったのに、今日は涙が止まることはなかった。

 お経が終わるとお坊さんが、この地域のお祭りで父親が毎年お化粧してお面を被って練り歩いたエピソードを語ってくれ、また涙があふれた。

 納骨後は実家に戻って、兄貴一家とともに食事をした。母親の50年来の友達がたくさんの料理を作って持ってきてくれたのだが、足腰が悪いのにも関わらず、大きなカートに料理を詰めてゴロゴロと引いてきてくれたのだった。

 そのおばさんの旦那さんは私が中学3年の時に亡くなっていた。自宅で行われたお葬式に制服を着て駆けつけると3人の子どもの末っ子である同級生が号泣している中で、おばさんは気丈に振る舞っていたのを思い出す。

 当時その苦労があまりわからず、今になって改めて「おばさん、ほんとに大変でしたよね」と声をかけると、にかっと笑みを浮かべてこう言うのだった。

「やるきゃないのよ!」

 やるきゃないんだな、やっぱり、人生は。

5月19日(金)

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 9時に出社。午前中はデスクワークに勤しむ。

 昼過ぎ、宮田珠己さん来社。7月刊行の『明日ロト7が私を救う』の装丁の相談。この単行本は「本の雑誌」で連載していた「私がロト7に当たるまで」を改題したものなのだが、この連載、そして本作りの恐ろしいところはこうして制作している間にも、宮田さんがロト7に大当たりし、突如大金持ちになってしまう可能性がないとは思うけれど確率的にはなきにしもあらず、ということなのだった。

 しかもその当たったことを宮田さんは素直に報告するとは限らず、もしかすると今目の前にいる宮田さんの銀行口座にすでに10億円が振り込まれている可能性があり、どうしても疑心暗鬼になってしまう。

「宮田さん、もしかして当たってないですよね?」

と不信感の塊になって問いただすと、なぜか会社の応接テーブルで持参してきたおにぎりを食していた宮田さんは、「当たっていたらこんなおにぎり食べてないですよ」と胸を張るのだった。最近はお昼はいつも手製のおにぎりらしい。というかわざわざご来社いただいたのだからランチくらいは当然ご馳走するつもりだったのだけれど、食にまったく興味のない宮田さんはおにぎりで十分なのだろう。

 というわけで、おそらくまだ10億円は手にしてない宮田さんと装丁の打ち合わせをしつつ、次なる企画について雑談していると、宮田さんの天才的閃きにより、あっという間に様々なことが決まっていくのであった。

 その後、16時にデザイナーの松本さんが来社。こちらは6月刊行の@osenti_keizo_lovinson『センチメンタル リーディング ダイアリー』の装丁の打ち合わせ。すっかり松本さんの腕を信用しているので松本さんにお任せしつつ、それぞれの考えを話しつつ、良きものに仕上げていく。組版、装丁と文章がまるで衣装を着させられるかのようにイメージを変えていくのがとても面白い。

 夜、丸善お茶の水店さんに寄って、髙津臣吾 『理想の職場マネージメント 一軍監督の仕事』(光文社新書)を購入して帰る。

5月18日(木)

 目黒さんのお別れの会が開催される。

 自分はこの催しには関知せず、やりたい人に任せていたのだが、一週間ほど前にお前が司会をやることに決まってると突然欠席裁判か何かのように言い渡されたのだった。

 私は人前に出るのを人の千倍くらい苦にするタイプであり、何より私はついひと月半ほど前に父親を亡くしたばかりで、今、というか、もうというか、死というものと向き合うのがとても苦しく、しばらくの間、遠ざけておきたいと思っていたのだ。

 なので強く拒否し、固辞したにもかかわらず、脅しのような言葉を投げつけられ、周りで見ていたひとたちも誰も助けてくれなかった。

 しかも台本を用意すると言われたにも関わらず、当日の朝までそれはできることなく、本当に人間不信に陥ってしまった。

 家ではほとんど仕事の話をしないようにしているのだが、昨夜堪えきれず妻に愚痴をこぼすと、妻は烈火の如く怒り出し、「肉親の四十九日も終わってないのにそんなことをさせることがあるか! パパの心が壊れるのが心配だからもう会社をやめていいよ」と言ってくれたのだった。

 その一言で、自分は今日の日をがんばろうと思った。今日だけはがんばろうと思ったのだった。妻はもちろんだが、娘、息子、友達、仲間、わかってくれている人は必ずいて、自分はそうした人たちのために生きていくしかないのだ。

 お別れ会が終わり、もう誰とも口を聞きたくないとぼんやり新宿の街を歩いていると、母親から電話があった。

 明後日に行う父親の四十九日の法要後の食事がお寿司になっており、私がお寿司を食べられないことから心配してくれての電話だった。母親の愛情とはどうしてこんなに深いんだろうか。

 葬儀にも出られなかった私が、目黒さんを心の底から悼める日はいつ訪れるのだろうか。

5月8日(月)

 GW明け。電車は妙に混んでいる。私も含めて登社拒否にならなかった人々を誰か褒めてくれないだろうか。登社拒否どころか8時に出社している私はワーカーホリックなのかもしれない。いやアジアチャンピオンなのだから早出くらい当然なのだった。

 会社に着いてすぐ、積み上がっていたデスクワークに勤しむ。6月刊行の書籍の編集が山場を迎えており、デザイナーさんに再校の戻しと奥付やプロフィールなどの原稿を送る。

 それがひと段落ついたところで、今度は5月刊行の新刊『本屋、ひらく』の営業活動も山場を迎えており、改めてチラシを作り直し、ご案内を始める。

 昼飯は持参のおにぎりひとつ。山下清なみに味わって食す。

 食べ終わったところに「本の雑誌」6月号の定期購読者分が搬入となり、台車3台をフル活動して地上から5階にある本の雑誌社に運び込む。

 奥付やスリップを確認した後、すぐさま封入作業を始める。先月号は200ページを超える分厚さでとても入れにくかったのだけれど、今月は136ページと普通の厚さのため、いつもの封筒に戻り、助っ人とともにツメツメに勤しむ。

 3時半、終了。2日かけてやるはずだった作業を1日で終えられ、現場監督の浜田は大変喜んでいる。

 夕方、南柏のオークスブックセンターさんへお届けもの。

 帰宅後、新潟にいる息子に向けてPS5を発送する。引っ越しの際には持っていかなかったのだけれど、やっぱり必要らしい。それに合わせてチューナーレステレビも注文。息子のためならエンヤコラ、か。

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