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6月29日(木)金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』にしびれる

  • 腹を空かせた勇者ども
  • 『腹を空かせた勇者ども』
    金原 ひとみ
    河出書房新社
    1,760円(税込)
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 娘や息子から送られてくるLINEに「それな」という返答がよくある。元はお笑い芸人が使っている相槌のひとつなのかもしれないけれど、10代、20代の間で流行っている言葉使いなんだろう。その若者が使う「それな」を見事に小説に表現しているのが、金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』(河出書房新社)だ。

 金原ひとみという作家は、現代や風俗を描くのが本当に上手い。「それな」だけでなく、今、10代の子たちが使う言葉や道具、そしてその思考や行動が、まるで生写しのように文章で再現されている。娘や息子が、あるいは駅前にたむろっている中高生たちがページのなかで暮らしているかのようだ。

 主人公、レナレナ(玲奈のあだ名。こうして反復させるのもとても現代的。そしてパスコというあだ名の理由が秀逸でこれまたリアル)は、私立の女子中学校に通う女の子。お母さんは不倫しており、それを容認するお父さんと暮らし、部活に友達付き合いと忙しく、帯の言葉を借りれば「愛しい陽キャ」な女の子だ。

 そのレナレナが中学生から高校生になっていく青春小説であり、友情小説であり、家族小説でもあるのだけど、これはまさしく令和の『69』(村上龍)であり、『ぼくは勉強ができない』(山田詠美)なのだと思った。

 村上龍の『69』は、ぼくが読書に目覚めた、まさしく人生を変えた一冊だ。とくにそのあとがきは毎年読み返すほどぼくにとって聖書みたいなもので、その冒頭に綴られているのが、「これは楽しい小説である。こんな楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた。」という文章なのだった。

 楽しい小説ってなんだろう──。おそらく10代の、なんでもないことで友達と笑い転げ、どうでもないことが冒険だったあの頃を描いた物語だと思った。そこには支配しようとする大人がいて、社会があるのだけれど、それらに対して10代の自分たちだけが輝くぴかぴかの人生を見せつけ、まぶしがらせられると信じていた時間があった。

 この村上龍のあとがきは、『腹を空かせた勇者ども』の帯に金原ひとみのコメントとして掲載されている言葉に通じていると思うのだった。

 そこには「これまで書いてきた主人公たちとは、共に生涯苦しむ覚悟を持ってきました。でも本書の主人公には、私たちを置いて勝手に幸せになってもらいたい、そう願っています」とあった。

『腹を空かせた勇者ども』は、とにかく楽しい小説だ。10代のエネルギーが放出するまぶしい小説なのだった。

6月20日(火)一喜三憂

 脳梗塞で入院中の母親は、治療を終え、リハビリ系の病院へ転院する日を待つばかりと喜んでいたら、慢性硬膜下血腫というのになって、昨日緊急手術となってしまった。手術自体は簡単に済み問題ないらしいのだけれど、不運とその中での幸運の、一喜一憂というか一喜三憂の日々が続く。

 ここまでの3週間を振り返ってみると

脳梗塞になる(不運)
自分で息子に電話できた(幸運)
すぐに救急車呼べた(幸運)
玄関の鍵は閉まっていたものの庭の窓が開いていた(幸運)
すぐ病院に行けた(幸運)
左半身に麻痺がでた(不運)
話すことができる(幸運)
脳梗塞はすぐに回復した(幸運)
病棟からコロナが出て面会NGになった(不運)
リハビリ系に転院できることになった(幸運)
慢性硬膜下血腫になった(不運)
早期に発見でき簡単な手術で済んだ(幸運)

 といったところで、サッカーの試合でいうと、開始5分で先制点を取られ、すぐに相手のオウンゴールで追いついたもののまた点を取られを繰り返し、後半60分で3対4で負けている感じだろうか。どんな状況だろうと試合が続いているかぎり、勝利を目指して走り続けなければならない。

 4時起床。町田康『口訳 古事記』(講談社)をゲラゲラ笑い転げながら読む。町田康、天才以外のなにものでもない。

 9時半に出社。午前中、POPやリリース作りに勤しむ。御茶ノ水ソラシティの古本市を覗いた後、営業へ。

6月3日(土)

  • ヤマケイ文庫 完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?
  • 『ヤマケイ文庫 完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』
    田中 康弘
    山と渓谷社
    1,155円(税込)
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  • マタギのむら―民俗の宝庫・阿仁を歩く
  • 『マタギのむら―民俗の宝庫・阿仁を歩く』
    野添 憲治
    社会評論社
    2,310円(税込)
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 夕方、息子が急遽、新潟より帰郷。明日の鹿島戦を応援したいのとともに、私のことを心配して、らしい。

 いつの間にか心配される側になっていた。そういえば娘からも「父ちゃん、ちゃんと休んでね」とLINEが届いていたのだ。

 15キロラン。母親の面会に勤しんでいたため一週間ぶりのランニングとなってしまい、足が重い。面会とランニングをうまく紐づけることはできないだろうか。本日は兄夫婦が面会へ。

  田中康弘『完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』(ヤマケイ文庫)読了。イノシシ、シカ、クマ、ノウサギ、トドなど日本で行われている狩猟を追ったレポート。獲物という食糧を採った後の、食事の風景がなんとも言えず。分配することも含めて、こうした中で共同体が育まれ、人は暮らしてきたのだろう。

  待機本の棚から野添憲治『マタギのむら 民俗の宝庫・阿仁を歩く』(社会評論社)を抜き出し、読み始める。

6月2日(金)

  • ヤマケイ文庫 完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?
  • 『ヤマケイ文庫 完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』
    田中 康弘
    山と渓谷社
    1,155円(税込)
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 雨。どんどんひどくなるらしい。編集の松村と経理の小林は自宅待機。浜田と私のみ出社。

 昨日、サインしにいらしてくださったカミムラ晋作さんの『黒と誠』(双葉社)を、直販サイトに在庫登録する。すぐに注文が届き出す。おそらく今日には売り切れてしまうだろう。

 今回は双葉社の人が本の取り扱い(卸し)を許してくださったのでこうして販売することができたけれど、もし他の出版社からも仕入れることができるなら、椎名さんや沢野さんやあるいは高野秀行さんや宮田珠己さんなど「本の雑誌」でお世話になっている人たちの新刊が出る時にサイン本の受付・販売をしてもよいのではないかと思ったりする。他社本を売っている場合ではないのだが。

 時間とともに雨がひどくなっていくので、武蔵野線が動いているうちに帰ることにする。その前に、月曜日の飲み会を母親の入院でドタキャンしてしまった非礼を詫びに早稲田の古書現世さんに向かう。店主の向井さんは、せっかく買取してきた本に多数の書き込みがあり、肩を落としていた。

 当然ながら古書市場では、書き込みや折り込みのある本は極端に値が落ちてしまう。というかほとんど値がつかなくなってしまう。読んでる時は自分のものなので書きこもうが折ろうが関係ないけれど、蔵書のSDGsを考えるならば書き込みは絶対NGなのだった。

 ぎりぎり間に合ったかと思った武蔵野線は、南浦和駅で乗車してから1時間動かず。1ミリも動かない。これを見越して早めに帰ってきたつもりだったが、武蔵野線の方がずっと上手だった。雨風よりも先に武蔵野線が本領を発揮している。乗り入れしている京葉線が運休し、西船橋での折り返し運転になっているのだが、それがうまくいっていないらしい。ここから先各駅に電車が停まっている状況だというが、私の降りる東浦和駅には貨物列車が停まっているという。久しぶりに武蔵野線らしい武蔵野線だ。

 1時間が過ぎてやっとのろのろと動き出す。一駅が遠かったが、帰れただけマシだと思おう。ドイツにいる娘から「1時間遅れくらいドイツでは普通」とLINEが届く。

 激しい雨音を聞きながら、田中康弘『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』(ヤマケイ文庫)を読む。

6月1日(木)

  • センチメンタル リーディング ダイアリー
  • 『センチメンタル リーディング ダイアリー』
    @osenti_keizo_lovinson
    本の雑誌社
    2,200円(税込)
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 われながらバカだなあと思うけれど、昨日の浦和レッズ以降、世界が変わった。うす暗く雨が降り続いていたのに、一気に晴れ渡ったかのようだ。下を向かず、前を向いて出社する。

 6月の新刊、@osenti_keizo_lovinson『センチメンタル リーディング ダイアリー』のカバー周りの色校が出たので、デザイナーの松本さんのところへ届ける。最近、盛岡のBOOK NERDさんを訪れた松本さんからそのお店の魅力を伺う。

 夜、母親の病院へ。面会に行くのはちょっと緊張する。良くなっているかもしれないし、悪くなっているかもしれない。突然、医師から呼び出されるかもしれない。

 ベッドに横になっている母親の顔を見た瞬間、力が湧いてくる。顔色がよく、表情がはっきりしている。話し出したら、もうそこにいるのはいつもの母親だった。昨日の試合の話をしたら、観戦できなかったのを悔しがった。そして早く治してスタジアムに行きたいと語る。左半身の麻痺は続いているが、トレーナーさんと立ったり歩いたりとリハビリに勤しんでいるらしい。

 実家に寄って、窓を開け、空気を入れ替える。父親に線香をともす。風が抜ける居間の畳の上に横になり、本を読む。この時間がだんだん好きになっている。

5月31日(水)

 仕事を終えて帰宅すると、ベッドに腰掛け、スタジアムに向かうかしばし悩んでしまう。

 試合は観たい。浦和レッズを応援したい。今日のサンフレッチェ広島戦は、優勝戦線に残れるかとても大切な試合なのだ。だから昨日面会に行った母親にも、明日はレッズの試合があるから病院に来られないと伝えていたのだ。

 ベッドにいったん横になる。天井を見ながら考える。今、この状況で、スタジアムに行って、そして応援して、僕の身体はもつのだろうか。

 満身創痍。去年の秋から、娘の渡独、目黒さんの死、息子の寮暮らし、父との別れ、そして母親の入院と続いているのだ。僕の心と身体は、僕が思っている以上に痛めつけられているだろう。このまま身体を横たえて、1時間でも2時間でも眠った方がいいのは間違いなかった。

 95年にシーズンチケットを買い始めて以来、自らの意志でホームスタジアムで試合が行われているのに観戦に行かなかったのは、妻が入院していたときと父親が死んだときだけだった。100%で戦えないならスタジアムに行くべきではないと判断したのだ。

 今日はどうだろうか。戦うことはできる。ただ、戦ってどうなるかが心配なのだった。

 観戦仲間からぞくぞくとLINEが届く。スタジアムに行けば彼らに会える。彼らは父や母とも一緒に応援していた仲間なのだった。気を許し合い、心の底から語り合える仲間に会うことは、今、僕が一番欲していることの気がした。

 よし、行こう! スタジアムに行って、仲間とともに浦和レッズを応援するのだ。それが、僕の、生きる、なのだった。

 後半5分に先制されたとき、今日は絶対負けるわけにはいかないんだとエンブレムを強く握った。病室で結果を気にしている母のために、明日、面会に行って良い報告ができるために、今日は絶対勝たなきゃいけないのだと誓った。レッズの結果が、まるで今後の母親の病状であるかのように思った。

 それから狂ったように声を出した。暴れるかのように飛び跳ね、手を叩いた。僕だけではなかった。観戦仲間がボルテージをあげて叫び出した。通路の向こうのおじさんも、後ろにいる女の子も、みんなみんな浦和レッズの勝利のために、大声を上げていた。2万人の観客が、まるで5万人いるかのような迫力で後押しした。酒井宏樹をはじめすべての選手が、スタッフが、サポーターが、ここにいる誰もが、諦めてなかった。逆転し、浦和レッズが勝利するのだと信じきっていた。

 その声を聞きながら、自分でもその声を発しながら、涙があふれた。ついさっきまで、僕は人生をあきらめようとしていた。嫌なことが続き、もうどうでもいいやと投げやりになろうとしていた。

 必死にゴールを目指す選手を観て、逆転を信じきって応援を続けるサポーターの中にいて、思った。人生に永遠はない。いつまでも元気な父親も、母親もいない。いるわけがない。どんなときでもそばにいる娘も息子もいない。いるわけがない。この試合はこの試合でしかない。みんな変わっていくのだ。変わっていって当たり前なのだ。

 酒井宏樹の同点ゴールが生まれ、伊藤敦樹の逆転ゴールで浦和レッズが勝利した。

 僕はもうあきらめてなかった。投げやりでもなかった。
 何もかも受け止めて、今を、精一杯生きるしかない。
 精一杯生きることこそが、きっとPRIDE OF URAWAなのだ。
 観戦仲間と抱き合った。
 そして僕は、ひとりではなかった。

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