5月18日(木)
目黒さんのお別れの会が開催される。
自分はこの催しには関知せず、やりたい人に任せていたのだが、一週間ほど前にお前が司会をやることに決まってると突然欠席裁判か何かのように言い渡されたのだった。
私は人前に出るのを人の千倍くらい苦にするタイプであり、何より私はついひと月半ほど前に父親を亡くしたばかりで、今、というか、もうというか、死というものと向き合うのがとても苦しく、しばらくの間、遠ざけておきたいと思っていたのだ。
なので強く拒否し、固辞したにもかかわらず、脅しのような言葉を投げつけられ、周りで見ていたひとたちも誰も助けてくれなかった。
しかも台本を用意すると言われたにも関わらず、当日の朝までそれはできることなく、本当に人間不信に陥ってしまった。
家ではほとんど仕事の話をしないようにしているのだが、昨夜堪えきれず妻に愚痴をこぼすと、妻は烈火の如く怒り出し、「肉親の四十九日も終わってないのにそんなことをさせることがあるか! パパの心が壊れるのが心配だからもう会社をやめていいよ」と言ってくれたのだった。
その一言で、自分は今日の日をがんばろうと思った。今日だけはがんばろうと思ったのだった。妻はもちろんだが、娘、息子、友達、仲間、わかってくれている人は必ずいて、自分はそうした人たちのために生きていくしかないのだ。
お別れ会が終わり、もう誰とも口を聞きたくないとぼんやり新宿の街を歩いていると、母親から電話があった。
明後日に行う父親の四十九日の法要後の食事がお寿司になっており、私がお寿司を食べられないことから心配してくれての電話だった。母親の愛情とはどうしてこんなに深いんだろうか。
葬儀にも出られなかった私が、目黒さんを心の底から悼める日はいつ訪れるのだろうか。