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5月20日(土)

 父親の四十九日の法要と納骨が無事終わる。

 父の死後、一番懸念していたお墓は、そういえば実家から歩いて30秒のところにお寺があることを思い出し、まさしく灯台下暗しで、そちらにおさめていただくことになった。このお墓には父親の友達もたくさん眠っており、この地域を愛していた父親にはぴったりなのだった。

 セレモニーホールで縁もゆかりもないお坊さんが唱えるお経と、古くから父親のことを知っているお坊さんの唱えるお経では、なんだかまったく異なるものに聞こえ、葬式では一粒の涙もこぼれ落ちなかったのに、今日は涙が止まることはなかった。

 お経が終わるとお坊さんが、この地域のお祭りで父親が毎年お化粧してお面を被って練り歩いたエピソードを語ってくれ、また涙があふれた。

 納骨後は実家に戻って、兄貴一家とともに食事をした。母親の50年来の友達がたくさんの料理を作って持ってきてくれたのだが、足腰が悪いのにも関わらず、大きなカートに料理を詰めてゴロゴロと引いてきてくれたのだった。

 そのおばさんの旦那さんは私が中学3年の時に亡くなっていた。自宅で行われたお葬式に制服を着て駆けつけると3人の子どもの末っ子である同級生が号泣している中で、おばさんは気丈に振る舞っていたのを思い出す。

 当時その苦労があまりわからず、今になって改めて「おばさん、ほんとに大変でしたよね」と声をかけると、にかっと笑みを浮かべてこう言うのだった。

「やるきゃないのよ!」

 やるきゃないんだな、やっぱり、人生は。

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